「汽車にのって」
アイルランドのような田舎へゆこう
ひとびとが祭りの日がさを くるくる回し
日が照りながら 雨のふる
アイルランドのような田舎へゆこう
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この歌詞に歌われているのは「アイルランドのような田舎」であって、アイルランドのことではない。そもそも日本と同じ島国であるアイルランドは、「汽車にのって」 訪れることは不可能だ。(英国からカーフェリー、もしくは飛行機の利用となる)
しかしながら「日が照りながら雨のふる天気」は、アイルランドそのものである。真夏の時期でも初夏のような気候が続き、やがてそのまま短い秋に突入してしまうケルトの地、巡礼の島。
この歌詞を読むと どういう訳か今すぐアイルランドに駆けつけたいような心持ちにさせられる。僅か数行の素朴で短い歌詞に呪文のような言葉の力を思い知る。
そしてなぜか同時に思い出すのが、唱歌「夜汽車」だ。
「いつもいつも通る夜汽車
静かな響き聞けば はるかはるか想い出す」
子供の時分 布団の中で眠りにつく頃 遠くに聴こえてきたのは、通り過ぎる列車の音。夜の静寂を破って毎晩同じ時刻に響く列車の音は、奇妙にも夜の静寂をより増幅させた。まだ幼い自分には列車の行き先など知るよしもなかったが、どこか遠いところへ行くであろう夜汽車の響きはこの歌とセットになってひどくノスタルジーをかきたてる。(実はこの歌はドイツの古い民謡で、ドイツ語の歌詞は全く異なるという事を知ったのは、ずっと大人になってからだ)
<妖精の国>
「石のない土は、骨のない肉と同じ」というアイルランドの古い諺があるそうだ。石ころだらけのやせた土地で、かつてじゃが芋飢饉と呼ばれた時代には大勢の餓死者と共に大量移民を生んだ島。ましてや伊仏西にあるような見る人を圧倒させる観光名所がある訳でもない。アイルランドの良さはと尋ねられても即答出来かねる。でも大好きだ。
アイルランドの詩人イェイツがまとめた自国の童話集の題名は「隊を組んで歩く妖精たち」、実際アイルランドの田舎には「カプリコーン(妖精)の横断注意」というお茶目な道路標識が存在し、司馬遼太郎の「アイルランド紀行」にもその旨の記述がある。
またアイルランドの劇作家シングのエッセイ「アラン島」には地元民の話しとして、妖精にさらわれたとか 妖精の音楽を聴いたとかいう逸話が登場している。日本にも神隠しだの 天狗だの、あるいは座敷わらしとか 誰もが知る存在ながら、実際にその姿を見たという人はほぼいないという、そんな存在が妖精だ。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
「見えるはずのないものが見えないのは、はずかしいことじゃないよ。でも、見えるはずのないものは存在しないと言いきるのは、哀れなことだと思う」
C.W.ニコル著「風を見た少年」
アイルランドの田舎の片隅で、ケルトの時代よりもっと昔から、点在する巨石の古代遺跡の傍らでひっそり暮らしているであろう妖精たち。人生に疲れたそこのあなた、心が折れそうになっているそこの君、アイルランドを訪れてみてはどうです? テンションが上がる派手な観光地は世界中に複数存在する一方、心から寛げる居心地の良い土地というのは、実はそう多くはない。そしてそれが妖精のおかげだとしたら、興味は尽きない。
最後に旅のアドバイス。ケルトの地とは言いながら その名残は極めて限定的で、言語はもちろんのこと 食事やホテルなど隣国英国の影響がすこぶる強い。その為 ホテルの客室にはほぼ洩れなく英国同様に、湯沸かしポット&紅茶のティーバックが用意されているので有難い。その代わりミニバーはないことが多く、冷蔵庫の中にはミルクティー用のミニパックの牛乳(日本のスジャ―タのような偽ミルクではなく牛乳です)だけが入っている場合が大半。旅のシーズンは極めて短く6~9月、高緯度なので真夏でもウルトラライトダウン程度は必携、昼間でも半袖はほぼ不要、冒頭でも述べたとおり雨具も必携。パッケージツアー参加の場合 多くの観光が含まれているが、ウォーキングを兼ねたような観光地が思った以上に多いので、歩きやすい靴も必携。治安はすこぶる良好、首都ダブリンですらパリやローマに比べれば治安は格段に良い(但し油断は禁物)