至福の読書・魅惑の世界旅行

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サハラ砂漠「わたしは猫になりたかった」西江雅之

 ソマリアの砂漠では、朝、目覚めると「ああ生きている」と本気で思った。それから次に「今日は何か食べ物が口に入るかな」と考えた。そして、日中はわずかばかりの移動があり、一日が過ぎ、夜が来て、「今日も生き延びたぞ」と自分の生を確認した。そのような日々を二十日も三十日も過ごすうちに、自分はひとつの生き物のすぎないということを、実感するようになった。…たった一人で過ごす夜など、砂漠の中で最も恐ろしいものは人間の気配だった。人が間近にいると感じれば、そこには死が迫っているのがよくわかった。頼るべきも人間、恐れるべきも人間。毎日毎日、そんな状況の中で自分の命をつなぐ努力をする。このような状況は、東京での生活では書物の中に見出すことは出来ても実感としては得られない。…ふとした時に、東京での自分の周囲の世界が、途方もなく巨大な生け簀に見えてくる。そこでは目に見えぬ飼い主がわたしたちの命の保証をしてくれている。しかし、その安全の代償として、人々はその飼い主の都合通りに自らの人生を弄ばれている。…それはある種の恐ろしさとなって私に付きまとった。

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 引用が長くなったが元々は「ヒトかサルかと問われても」という題名で出版、文庫本出版を機に題名改め「裸足の文化人類学者半世紀」という副題がつけられている。   著者のことを初めて知ったのは十数年前の全日空の機内誌の「コンニチハ蝦蟇屋敷のご主人いらっしゃいますか?」 という記事だった。 記事のタイトル通り只者ではない、分類不能なユニークな学者さんの奇想天外な半世紀は読み出したら止まらない。一歩間違えば奇人変人と誤解されかねないエピソード多数、その多彩なエピソードの数々は普通の日本人の半世紀十人分を束にしてかかってもかなわない。例えば公費留学(彼は大変なエリートなのだ)でロサンゼルス滞在の時期は黒人暴動の激しい時代で、当時そうした地区に一般市民は殆ど足を踏み入れなかったそうだ…当然だ。そんな状況にも我関せず、氏はその地区のリーダーと仲良くなり、スワヒリ語を教えに行ったそうだ。とにかく何事にも執着がなく突き抜けた感のある現代のグローバル仙人みたいな人だ。

 エピソードだけを繋げば相当な自由人と錯覚しそうだが、30歳を過ぎてから30年間余り、病に倒れた奥様の看病と育児に明け暮れ、奥様の治療費を稼ぐために生きてきたという、責任を全うし尽くした人でもある。

 氏は本のあとがきで次のように語っている。

「この世に1センチ四方の土地もなく、家もなく、二、三カ月先のお金の蓄えもなく、さら定職もなしで、長い間、よく生きてこれたものだと我ながら思う。…とにかく勝手なことをしてきているので、はっきりとした夢を持つこと、他人の何倍もの努力をすることが必要なのである。努力というのは面白い。努力して何かが完成するという保証など何もない。物事は頑張れば出来るなどということではないからである。ただ、目標に向かって絶え間なく進む。そこに楽しみが見出せる。…”今を生きる” 獣や鳥や虫のようで、生とはそのようなものだ。動物は、勝手気ままに生きているのではない。単なる言葉としてではなくて、覚悟というものが常に身体そのものとなっている」

 2015年に他界されたとのこと、生前にお会いしお話しを聞いてみたかったと心から思う。ご冥福をお祈りします。

      <サハラ砂漠

 星の王子様の主人公はサハラ砂漠に不時着して星の王子様と出会った。不測の事態で不時着でもしない限り、一体何用あって砂漠へ? 西江氏のように無事生還できるとも限らない。日本人なら鳥取砂丘にでも行ってお茶を濁すというのが関の山だろう。

 砂漠というのは厳密には年間の降水量が250ミリ以下の土地を指す。サラサラの砂丘がどこまでも続く”すな砂漠”のイメージが強いが、実際には”すな砂漠”よりも、岩や石がゴロゴロとした荒涼な風景が続く”岩石砂漠”もしくは”礫砂漠”が占める割合の方が断然高い。

 観光客でも”すな砂漠”に足を踏み入れることができる国の一つとしてモロッコがあげられる。モロッコを横切るアトラス山脈を越えればサハラ砂漠は目前、広大なサハラ砂漠の20%程度しかない”すな砂漠”を訪れることが可能である。まだ星空瞬く時分にホテルを出発、4WDとラクダと徒歩で日の出を目指す。砂に足を取られながら苦労して砂丘に上り、風の音を聞きながら日の出を待つひとときは格別だ。明るくなるにつれ どこからともなくわさわさと現れては勝手に手を取り、頼んでもいないのに砂丘を上る手伝いをする地元モロッコ人へのチップをお忘れなく。

 チュニジアでも砂漠観光は可能だが、日の出ではなく日没に合わせて夕日の砂漠見学がどちらかと言うと一般的で、モロッコの方がよりディープな砂漠体験が楽しめる。その他 エジプト南部でヌビア砂漠、中近東ドバイ等でも砂漠の端っこに触れることができる(因みに日本は地形的に水田がなくなると一気に砂漠化が進む地形だそうだ…瑞穂の国ニッポンに生れた日本人はお米を食べよう)

「砂漠に出ると、絶え間なく吹いてくる風の音と、動物のひづめの音だけになった。…砂漠はとても大きく、地平線はとても遠いので、人は自分を小さく感じ、黙っているべきだと思うようになるんだ」

  パウロ・コエーリョ著「アルケミスト

「ただ砂の海の砂粒のようにしか、自分という存在など感じられない。人間の思い上がりがまったく通じない世界のひろがり。‥砂漠に、車ででかけるようになった。何のためでもない。遮るもののない空の真下で、ただ砂粒のような自分という存在を確かめなおすためだ」

  長田弘著「アメリカの61の風景」

「…サハラ砂漠は、夜になると、全体が一度に消えてしまって、広大な死の領土を形成するのだから。…この純白の地表は、ただ星々の前にだけ、幾千万年以来捧げられていた、澄んだ空の下にひろげられたしみ一つないテーブルクロス。…そしてぼくは、自分の身の上を考えてみた。砂漠の中に迷いこんで叛徒の襲撃に脅やかされながら、砂と星のあいだで、素裸で、自分の生活の中心からあまりにも多くの沈黙に隔てられている自分のいまの身の上を。…いまこうしてここにいるぼくは、世界じゅうに何一つ所有しないぼくだった。ぼくは、砂と星とのあいだに方途を失って、ただわずかに呼吸することの心地よさ以外には何ものも意識しない一個の人間でしかなかった…」

  サン・テグジュペリ著「人間の土地」

「日本にいたら、何か自分でミスしても命を落とすような恐怖感はない。ところが、熱砂の極限地では、一挙手一投足が自分の身にふりかかってくるという緊張感がある。緊張感がふっと緩む解放感を味わえるときもある。その連続が極めて非日常的だ。日本での常識や衛生観念がまったく通用しない世界。…確かに強烈なパンチを食らった旅だった」

  沢田研二著「熱砂に生きる~沢田研二250日間中東の旅」

「砂漠は化石になった海のようだ。揺れぬ波。動かぬ流れ」  

  西江雅之著「旅は風まかせ」

「砂漠は死そのもののように静かで優しい「…ある時、散らばったラクダの白い骨を見た。茶色の地面と青い空の中で、白は鮮やかに目に映った。前衛的な作品を思い起こさせた。まさに砂漠は見る者の心を惹きつける果てしない画廊である」

  西江雅之著「東京のラクダ」

「われわれは砂漠を約300キロ渡ってきた。激甚な疲労をともなうものだった。水は塩辛く、またはしばしば、まったくなかった。われわれは犬を、ろばを、らくだを食った」

  アンドレ・マルロー編「ナポレオン自伝」