至福の読書・魅惑の世界旅行

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メリダ・ユカタン半島 「遠い落日」渡辺淳一

・(米国に向かう船中 先輩から米国の新しい本をすすめられ)古くても、シェイクスピアは英語の古典です。なにごとも、まず古いものから読んでいくというのが順序です。

・(白人の悪徳について)…いつか、世界の物質的文明が同程度に達したときには、彼らの特徴は黄色人種にもゆき渡り、白人だけの特性でなくなることは間違いありません。

・人間は大丈夫だと思えば大丈夫なものだ。人は心意気で生きるものだ。なにくそ、という気持ちがあればなんでもできる。

・人間は体のことを考えるようになったら終りだ。自分をいたわるようになったら、もうエネルギーはなくなったということだ。

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 子供の頃 大半の日本人が手にしたであろう一般的な偉人伝とは異なる、リアルな実像にせまる野口英世の伝記である。著者は学生時代 医学部で細菌学を学んだ渡辺淳一氏。

 猪突猛進で反骨精神に溢れる一方、エキセントリックな一面をも併せもつ細菌学者の知られざる人物像は どこまでもエネルギッシュなこと、この上ない。この本での野口英世は 家庭環境こそ違えど“政界の黒幕””右翼”と呼ばれた三浦義一によく似た印象だ。孫の三浦柳著「残心抄」の中で語られる三浦義一も猪突猛進、金銭感覚がなく 大借金をつくるが なぜかいつも誰かが助けてくれる、その一方で大変繊細な一面を併せ持ち 身体的苦労を背負っていたなど 複数の点において酷似しており興味深い。

 私ごとではあるが、昔イエローカード入手の為 黄熱病のワクチンを接種した。エチオピア経由でケニアに入るということで、用心のための入手であった。しかしこの本を読むまで、黄熱病の病原体が細菌ではなくウイルスである知識すら持ち合わせてはいなかったのだから気楽なものだ。参考までに細菌によるものが、ペスト・破傷風結核コレラジフテリア・百日咳・赤痢・腸チフス・猩紅熱など、ウィルスによるものが、コロナウイルスはもちろん黄熱病やインフルエンザ・天然痘狂犬病・小児マヒ・はしか・日本脳炎エイズなど。細菌とウィルスの違いは主にその大きさにより、2つの病原体の間には更にリケッチャ・クラジミアも存在する。人間の細胞をバレーボール位とするなら、細菌はゴルフボール、ウィルスは米粒程度の大きさに匹敵するそうだ。ウィルスは20世紀に入って開発された電子顕微鏡でこそ見えるものの 光学顕微鏡では見えない、つまり野口英世の時代はどうころんでも黄熱病の病原体を見つけることはムリな話しだったのだ。

事実 医者でもある著者は本の中で

「…ウィルス疾患に挑んだ野口の敗北は、個人の失敗というより、学問の発展途上における必要やむをえざる誤りであったともいえる」

と述べている。その到達不能なことに挑んでいたのが 野口英世はじめとする当時の研究者たちで、そしてその研究の過程で命を落としたのは、本にも書かれているように野口英世一人ではない。現在 汚染地域にも注射1本のワクチンを打つだけでゆうゆうと出かけることができる、それは彼らの犠牲の上に成り立っているということを忘れてはなるまい。

 また冒頭に引用した明治生れの人らしい発言も興味深い。更に特筆すべきは明治の人のお人よしといっていいほどの鷹揚さ加減であろう。いくら相手が野口といえども度重なる無心、しかも金銭感覚が破綻した人物ゆえ 返済されるあてもないのに言われるがまま差し出す懐の深さは現代人には到底理解できない。つまり野口の偉業もまた、彼を支えてくれた周囲の人々の上に成り立っていたのだ。

 ペニシリンの発見者フレミングの時代、戦闘で死亡する兵士より、チフスコレラ赤痢などで死亡した兵士の数の方がはるかに多かったそうである。過去から現在まで細菌やウィルスとの果てしない格闘は続く。やがて新型コロナウィルスがおさまったとして、またいつか新たな別の脅威が登場するのであろう。

 また抗生物質の発見される以前の時代を覚えているかなり高齢の医師や看護師しか、抗生物質のもたらした医学の革命を正当に評価することはできないであろう。…1918年5月に、ヨーロッパで、おそらくスペインから、インフルエンザが流行し始めた。インフルエンザは、アメリカ合衆国を含む交戦国に急速に流行していった。発病率は高かったが、死亡率は比較的低かった。しかし、この流行の第一波の終わり近くになると、不気味なほど死亡率が急上昇した。…10月になると大流行の第二波が始まり、地球上のすみずみまで破滅的な影響を及ぼしながら広がっていった。今度は第一波のものよりはるかに悪性で、恐ろしい勢いで致命的な肺感染を起こした。医者も手のほどこしようがなかった。1918年の終わりには死者は200万人を超えた。

 「奇跡の薬ペニシリンとフレミング神話」より

・…ある方法で死ななくなれば、別のもので死ぬのです。その移り変わりが、不治の病と呼ばれてれてきただけです。昔はほとんどが感染症、特に肺炎や結核コレラなどで死ぬ人が多くいました。抗生物質の発見によって人間が細菌の感染で死ぬことは少なくなり、現代では感染症ではなく、生活習慣病というもので死ぬわけです。ガンなどがその代表で、不治の病と呼ばれています。今後人類がこのガンなどの生活習慣病を克服すれば、また別な不治の病が出てきます。  執行草舟著「生命の理念Ⅰ」

・ウイルスとは、膜と蛋白質でできた小さなカプセルである。…ウイルスは寄生体である。それ自体では生きることができない。…ウイルスは他者の細胞のエネルギーと物質を利用して延命を図るのである。…地球の免疫システムは今、自己を脅かす人類の存在に気づいて、活動をはじめたのかもしれない。人間という寄生体の感染から自己を守ろうとしているのかもしれない。ひょっとしてエイズは、地球の自己浄化プロセスの最初の一歩なのだろうか。

 リチャード・プレストン著「ホット・ゾーン」

「ウイルスの世界では、わたしたちのほうが侵略者なのだ」

 ジョーゼフ・B・マコーミック著「レベル4 致死性ウイルス」

 

      <知られざる観光大国メキシコ>

 伝記執筆にあたり 著者は取材旅行のため、メリダを訪れている。メリダユカタン半島の玄関口であり、首都のメキシコシティから空路定期便が運航する地方都市だ。旧市街にスペイン風の広場が残るものの、特に見るべきもののない静かな田舎町で、チェ・ゲバラは2回目の南米大陸横断時にメリダを訪れた際 次のように日記にしたためている。

「この手の街としてはかなり大きいが、生活はとても田舎っぽい。…昼間のひどい暑さを考えれば、夜はかなり涼しくなる。…1番の魅力は、廃墟と化した周辺のマヤ都市で、ウシュマルとチチェン・イツァという2大中心地を訪れた」

 チェ・ゲバラ同様  多くの観光客はメリダを通過するだけで、郊外の遺跡観光へと出かけてゆくが、我々日本人にとっては野口英世ゆかりの地ということで、本の中にも書かれている氏の小さな銅像を拝みに立ち寄る場合も少なくない。1919年ユカタン半島で黄熱病が流行し、その中心がメリダであった。研究のためメリダを訪れた野口英世は、その後メキシコ学士院から その功績を称えられ名誉会員の称号を授与されている。

 そもそもメキシコは日本から直行便も就航している割に、人気も知名度も今一つのように感ずる。理由の1つとしてメキシコ政府観光局が、日本ではあまり熱心に宣伝 及び観光客誘致をしていない点が あげられるであろう。なぜなら すぐ北に隣接する大国、米国から毎年大勢の観光客・バカンス客が訪れるてくれるため、わざわざ日本人に来てもらわずとも痛くも痒くもないのだ、全くのところ。

 実はメキシコは観光資源が大変豊富な国で、ピラミッドだってエジプトに負けないくらい存在する。一般的にピラミッド=エジプトなので、初めてメキシコを訪れた時は正直とても驚いた。それらは主にメキシコシティ郊外のティオティワカンとユカタン半島に点在する。ユカタン半島にはマヤ人の末裔も多く、首が短いのが特徴で 肩の上にすぐ顔がのっているように見えるので すぐにわかる。また9月に訪れた時は呆れるほどの蚊の大群が発生しており閉口させられた。メキシコシティは標高2200メートルを超す高地だが、ユカタン半島はそうではないため 夏場は特に蒸し暑く 遺跡の見学も正直大変きつい。その一方カンクンのビーチは冬場泳ぐには肌寒い日も少なくないので、訪れる時期の判断を誤らないよう 注意が必要。つまり自分は遺跡観光とビーチリゾートのどちらをより楽しみたいのかということだ。因みに冬場 高地にあるメキシコシティは朝方 霧が立ち込めやすく 空路のスケジュールが乱れがちなのも重要なポイント。空港で何時間も待たされたり、あやうく帰国便に乗り損ねそうになったこともあった。そもそもメキシコに限らず中南米の場合トラブルがなければラッキーという程度の気持ちで臨んでいただきたい。万が一トラブルに直面したところで メキシコ人のように濃いテキーラマルガリータを飲み 本場のタコスを食べて憂さ晴らしすればすぐに気が晴れるので大丈夫。ビバ メヒコ!

・マリアッチは音楽の陽気な花束だ。

  長田弘著「詩人であること」

・マヤの世界は熱帯の天蓋の下にある。

  西江雅之著「風に運ばれた道」