至福の読書・魅惑の世界旅行

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ナイル河クルーズ「ナイルに死す」アガサ・クリスティ

・…ナイル河の黒光りした岩々をじっと見つめた。月の光に照らし出されたこれらの岩は、みる者に何かしら幻想的な感じを与えた。それはあたかも有史以前の怪物が身体の半分を水の中にかくして横たわっているかのようであった。

・「とても見事な月だわ。ところがひとたび太陽がでてくると、あの月は見えなくなってしまうんです。あたしたちの問題がこれと同じです」

・「…悪魔が入ってくるからです。…入ってきて、あなたの心の中で巣をつくります。しばらくしたら、絶対に追いだせなくなってしまうのです」

・岩肌に彫りこまれた神殿が朝の陽光をさんさんと浴びていた。崖の自然石を彫って作られた4つの巨大な人像は、こうして何千年となくナイル河を見おろし、何千年となく、昇る朝日を見つめてきたのである。

・人生は虚しい。ちょっぴり、恋と

ちょっぴり、憎しみと そして、おはよう。

人生は短い。 ちょっぴり、希望と

ちょっぴり、夢と  そして、おやすみ。

・「恋って時には恐ろしいものにもなりますねえ」 「だからこそ、有名な恋はほとんど悲劇に終わっているのです」

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 タイトルからも想像がつくようにエジプト旅行、とりわけナイル河クルーズに持参するにもってこいのミステリー。小説の舞台はピラミッドが残るカイロ・ギザ地区とかではなく、エジプト南部アスワンからアブシンベルにかけて、オリエント急行殺人事件の舞台が列車内なら こちらは船内、ナイル川クルーズ船内が事件現場となる。オリエント急行殺人事件のような ”おお~” といった感じのトリックはなく、比較的前半から犯人の想像もつきやすい一方、複雑にこみいった人間模様がポイント。船内フロアマップと宿泊者名入りの船室見取図がないと多少頭が混乱してくるので、読むより観る方が楽しめる感もある。むろん「ナイル殺人事件」のタイトルで映画化されている。

・「この冬はエジプトに行こうと思ってる。素晴らしい気候だと言うからね。ロンドンの霧、灰色の空、たえず降る雨の単調さから逃れるのも悪くないね」

・「この世に生まれてから一度はエジプトに行きたいと思ってたのよ。ナイル川とか、ピラミッド、砂漠…」

・「しんから暖かい国。のんびりした、黄金色の砂漠、ナイル河」

 小説の中でアガサ・クリスティが登場人物たちに語らせていることは、恐らく大半の英国人の思いと合致するであろう。冬の地中海は雨が多く 陰鬱な英国の冬と大差ないが、その地中海を更に南へもう少し飛ぶだけで別世界が待ちうけているのだから。実際クリスマスから新年にかけてのエジプトはじめモロッコチュニジアなど北アフリカは、英国人やドイツ人などを中心に各国ヨーロッパ人で溢れ返っている。ヨーロッパ人にとっての北アフリカというのは、日本人にとってのバンコク、バリ島辺りのように比較的気軽に異国情緒が楽しめる場所なのだ。

 いずれにしろ各国語に訳されているこの小説が、観光国エジプトに大きく貢献したことは間違いない。小説に登場するアスワンのカタラクトホテルは、アガサ・クリスティが訪れた当時と同じ優雅な佇まいのまま 今も無言でナイル河を見おろしている。

  <エジプト・ナイル河クルーズ>

 エジプト、とりわけ南部は暴力的な暑さとなる夏を避けて訪れるのが賢明。また3月頃は砂嵐が発生する可能性もあり、11~2月頃がベストシーズンと思われる。砂漠気候のため寒暖の差は想像以上に大きく、冬の朝晩はウルトラライトダウン程度の防寒具は必携。できるだけ平穏無事な旅を望むのであればイスラム教のラマダン、つまり断食の時期を避けた方が無難ではある。ラマダンにはイスラム暦使用のため クリスマスのように毎年決まった期間ではなく、毎年11日ずつ早まり、冬のこともあれば夏の場合もある。因みに2023年は3/22~4/20にかけての約1ヶ月、来年はこれより11日前倒しとなる。

 さてパッケージツアー参加でエジプト旅行の場合、その多くはかなりの強行軍である。その中で幾分ゆったりしているのは、ナイル河クルーズを組み込んだコースである。ここで誤解をしないでいただきたいのだが、ゆったりできると言っても ヨーロッパとか他の地域の旅行と比べれば依然として強行軍なので 念のため。日本人のツアーで最もメジャーな航路は 2泊3日のアスワン~ルクソール間(もしくはその逆ルート)だが、個人旅行で直接船会社に申し込めばもっと長くゆったりとした船旅が楽しめる。但しあまり長いと食事に飽きがくるため(どの船旅にも言えることだが、メニューは変われどもシェフが同じなので なんとなく似た味付け・料理になってしまう)日本人にはせいぜい3泊4日位迄が無難な範疇とも思われるが。一口にクルーズと言っても地中海クルーズのような大型客船とは以って非なり、途中で水門を通過する関係上、船体は一様にこじんまりと小さい。アットホームな規模なので 大型船のようにわさわさと人が多く落ちつけないということもなく、ある意味ゆっくり本を読むには最適だ。(但しツアーで参加の場合 観光がぎっしりと組み込まれていることも多く その限りではない)数え切れないほどのクルーズ船が存在するが、エジプトというお国柄もあり 水回りのトラブルなども散見する。しかし河の上では応急処置しか手立てがない。その点できるだけ新しい船の方が リスクを軽減できるし、何より快適に過ごせるであろう。一般的なクルーズ同様、基本的に朝昼晩ともに食事は船内でとるが、朝食は基本どの船でもビュッフェ、昼・夜はチョイスメニュー、BBQなど飽きないよう それなりの配慮と工夫はされている。船のランク次第で微妙に異なるが、夜のエンターテイメントにベリーダンサーの踊りなどを楽しめる船もある。

 尚 余談だが、2色~4色ボールペンを数本持参すると何かと便利な国である。というのもエジプト旅行中 様々なところで ”バクシーシ” と言って、イスラム教でいうところの喜捨を求められる場面に遭遇することであろう。いわゆるチップと思っていただければよい。宗教上メンタリティが異なり、悪びれることもなく堂々と当然のように要求してくるので、正直違和感を覚える日本人も決して少なくはない。とにかくちょっとしたサービスや親切にはほぼもれなくついてくる、例えば遺跡の係員に出口まで案内してもらったとか、写真を撮ってもらったか、その程度のことでも。しかし困ったことにエジプトでは小額紙幣や小銭の流通が慢性的に不足気味なのだ。お土産の習慣のある日本人にとっては現金を渡すより抵抗が少なく、また "日本の“ 高品質なボールペンは喜ばれる。あるいはスークの値段交渉の場で威力を発揮するかもしれない、たかだかボールペン1本と思うなかれ、意外と重宝する。2019年にエジプトを訪れた際も未だ地方での “日本のボールペン"人気は健在であった。

「…季節はあまにもすすんでしまった。私がもくろんだ目的は達せられている。エジプトが私をよんでいる」

アンドレ・マルロー編「ナポレオン自伝」