至福の読書・魅惑の世界旅行

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ボストン「緋文字」ホーソン

 「暗い色の紋地に、赤い文字A」

・…利己心がはたらく時は別として、人間性というものは憎むよりは愛する方を選ぶものだ。憎しみは、もとの敵意をたえず新たにかき立ててその変化を妨げなければ、除々にそっと愛情へと変りさえするものだ。

…憎しみと愛とは本当は同じものではあるかないか、興味深く観察し研究すべき問題である。

・私のように堕落した魂が、他の魂の罪のあがないに何にができましょう。ー汚れた魂に人の魂を清めることができましょう?

・私の魂は迷ってはいるが、それでも他の人たちのためになることをしたい!私は不実な番人で、わびしい見張りの仕事が終わるとき必ずもらえるのは死と不名誉なのだが、今の持ち場を捨てようとは思わない!

・…厳しく悲しい真理を言っておくなら、罪のために一度人間の魂の中についた裂け目は人間である限りは決して元通りにはならないのだ。

・彼は自分の死に方を比喩として、無限に清浄な神の眼から見れば我々は一様に罪人なのだという強く悲しい教えを自分を讃える人たちの心に銘記させようとしたのだ。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 かつての米国には、どこまでもストイックで厳しい時代が存在した、その証左となる小説。17世紀のボストンを舞台にえがかれているのは当時の問答無用の社会である。我々現代人がいつの間にか失ったもの、つまり深い罪の意識とか恥の概念というものをこれでもかと突きつけられて、なんだか息苦しくなってくる。そしてその息苦しさこそが、その後 米国社会が変貌していった一因かもしれない。

 

「…清教徒というのは最初信じられないほどの厳格な生活をしていました。…一回異性に対する過ちを犯した女性が一生涯、卑猥な女性として赤い印を付けられ続けるという話で、昔の社会はそうだったのです。男女の間違いを一度でも犯したら、もう一生涯立ち上がれない社会が、昔の清教徒の社会だったのです。それが緋文字という赤い印なのですが、その頃の非情な現実を表しているという話です。

…『緋文字』の時代のあのアメリカ人が、理想的な民主主義の憲法と理想的な民主主義の国家を一時期作ったわけです。しかし、その陰には犠牲になった人々もたくさんいた。それから段々と、やはりあれは酷いではないかということで、甘い社会になってきて今のアメリカに至ったわけです。そして道徳はないも等しくなりました」

  執行草舟著「現代の考察」

 

「…現代人が幼稚化しているのは、恥を忘れたからにほかなりません。…豊かな時代になると、多くの人が恥知らずになるのは、死を忘れるか、その悲哀を直視しなくなるからです。恥を重んずる社会と言えば、日本であれば江戸時代や明治時代、アメリカならばプロテスタンティズムが力を持っていた時代です。いずれも社会の表層は暗いでしょう。少なくとも、暗さを受容している。森鴎外の『阿部一族』やナタニエル・ホーソンの『緋文字』を読めば、生命つまり生きることの暗さがひしひしと感じられるはずです」

  執行草舟著「根源へ」

 

『掟のないところには、罪もまたない』(ロシアの革命家・小説家ロープシン)

 掟のない社会においては、人間は罪を感ずることか出来ないのだ。その恐ろしさを、ロープシンの文学は表わす。…罪を感ずることが、社会を成立せしめている。罪とは、文明そのものなのだ。…ロープシンの生きた悲しむべき社会を、いま日本に生きる私も生きているのだ。日本の現状は、掟のない社会に向かって突き進んでいる。その社会では、人々は罪を感ずる心を失っていくだろう。罪は掟の属性なのだ。そして、革命前のロシアのように人間の生を失っていくに違いない。人間とは、罪を背負って生きる存在なのだ。それを乗り越えるために、人間は生きて来た。その罪を感じないならば、我々の人生が立つわけがない。

 執行草舟著「人生のロゴス」

 

 昔 テレビで「ネクラ」という言葉が流行り「軽いノリの明るさ」が良しとされていったその時代の移り変わりを、まだ当時子供だった自分にははっきりと認識できなかった。ただ微妙な違和感と居心地の悪さを感じていたことはよく覚えている。今その答えがわかった。

 

 <チャーミングシティ・ボストン>

「夏には並木がこの遊歩道の路面に、くっきりとした涼しい影を落とす。ボストンの夏は誰がなんと言おうとすばらしい季節だ。…ハロウィーンが終わると、このあたりの冬は有能な収税史のように無口に、そして確実にやってくる。川面を吹き抜ける風は砥ぎあげたばかりの鉈のように冷たく、鋭くなってくる。

 ボストンはチャーミングな都市だ。規模は大きすぎもしないし、小さすぎもしない。歴史のある街だが、決して古くさいわけではない。過去と現在がうまく棲み分けられている。ニューヨークほどの活力や、文化の多様性や、エンターテインメントの豊富な選択肢はないし、サンフランシスコのようなスペクタキュラーな眺望も持たないが、そこにはボストンでしか見受けられない独自のたたずまいがあり、独自の文化がある。…ボストンでは、太陽の光り具合も他の場所とはどこか違うし、時間も特別な流れ方をしている。そこでは光はいくぶん偏りをもって光り、時間はいくぶん変則的に流れる…ように思える。

…言うまでもないことだけれど、あなたがボストンに来るなら、新鮮な魚介料理を食べに行くことは、チェックリストのかなり上段に置かれるべき項目になる」

 村上春樹著「紀行文集・ラオスにいったい何があるというんですか?」より「チャールズ川畔の小径」

 村上氏にとってボストンの土地が住みやすく快適な街だったということが窺い知れる。そしてそれは彼だけではなく多くの日本人にも同じことが言える。実際のところ 東海岸の旅行ではニューヨークでもワシントンでもなくボストンが一番良かったという声が最多であるし、実際 自分もそう思う。ベルギーを訪れた日本人がブリュッセルよりもブルージュを好むのと同じように、要するに日本人好みの街なのだ。北米では稀有な存在の歴史的地区が存在し、風情ある落ち着いた街並み、米国の中では最もヨーロッパ的な街で、治安も良好。そもそも米国の東海岸と西海岸では同じ国とは思えないほどにそのギャップは大きい。ロサンジェルスやラスベガスのように人間のサイズを無視した空間のお化けのような街は、カジノやテーマパーク目的の娯楽にはよくても決して寛げはしない。

 そしてもう一つのボストンの魅力は村上氏も記しているとおり「食」にある。新鮮なシーフード、とりわけロブスターが有名で、クラムチャウダーも美味。「食」の点でも日本人好みと言える。スイーツは別腹という人なら 甘い甘いボストンクリームパイもおすすめ。

 更にチャールズ川の向こうケンブリッジに足を延ばせば、アイビーリーグの一つでアメリカ最古1636年創立の由緒あるハーバード大学があり、キャンパスは観光客でも出入り自由。緑豊かな敷地を散策した後は、ありとあらゆる大学グッズをとりそろえたCOOPでのショッピングも楽しめる。お土産文化が未だ廃れていない日本人にとって、大変有難いスポットだ。

 つまり、そう、現代ボストンに緋文字の時代の面影は ほぼない。せめて往復の機内には「緋文字」の本を携えて乗り込んでみては?…さぞかし良く眠れることでしょう。