至福の読書・魅惑の世界旅行

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アラスカ「アラスカ物語」新田次郎 

エスキモーたちがこのアラスカに住むようになって、何千年になるのか何万年になるのか彼は知らなかったが、その気も遠くなるような長い年月の間に彼等は、暗夜の航法を体験として取得し、彼等の血の中に伝えたのだと思った。それは渡り鳥が、天体の動きと、腹時計によって何千マイルも航行するのとよく似ていた。

・(犬橇について)犬と人のチームワークはエスキモーに関する限り芸術的でさえある。

エスキモーはほとんど野菜を食べなかったが、壊血病になるものはなかった。…生肉を食べるか、食べないかの差であった。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 探検家・植村直巳氏は今もマッキンリーの山の懐に抱かれ眠っているであろう。写真家の星野道夫氏はキャンプのテントを熊に襲われ急死した。しかし、彼らよりもっと前にアメリカの辺境の地・アラスカを訪れ数奇な運命を歩んだ明治の日本人男性がいた。フランク安田の記録である。

「…危機に追い込まれた海岸エスキモーを引き連れて、ブルックス山脈を越え、アラスカ中原の、しかもインディアン地区に移住を試みて成功したフランク安田のことがごく少数の新聞に報道された。それはささやかな記事出会ったが、良識のあるアメリカ人はこれを驚異の眼で迎えた。20世紀初頭の奇蹟であると評し、フランク安田をジャパニーズ・モーゼと称えた人もいた」

 無名の日本人が当地にもたらした恩恵ははかりしれない。強靭な意志と行動力で、多くのエスキモーだけではなく、米国沿岸警備船の乗組員たちの命をも救った。明治という時代の申し子というべき実直な一人の日本人の生きざまは、夜空にうごめくオーロラのごとく異彩を放っている。

また同時に、文中 詳細に記されたエスキモーの文化風習も興味深い。

「文明は人間の生産力を百倍にしたのは確かだが、管理がまずいために、『文明人』は動物以下の生活をしているのだ。一万年前の石器時代と同じ生活を今日もしているイヌイット族(エスキモー)と比べて、衣食住のすべての面で劣っているのだ」

ジャック・ロンドンは20世紀初頭のロンドン貧民街に潜入、執筆したルポルタージュどん底の人びと』で、未開の人々の一例としてイヌイットを比較対象にとりあげ、イーストロンドンの劣悪な環境でその日暮らしにあえぐ人々よりも イヌイットの方が恵まれていると弾劾した。イヌイットは既に一万年前にその土地に適した変える必要のない文化を形づくり、近代まで継承し続けた。しかしながら残念なことに 現代はそれを継承・維持するのが困難な時代である。フランク安田の時代に既にその兆候がみてとれる。彼らの伝統的乗り物である犬橇は、故障したり燃料がなくなればガラクタになりさがるスノーモービルに、伝統的な住居であるイグルーも暖房の効いた現代家屋にとって代わられて久しい。

*エスキモーとはインディアンの言葉で”生肉を食べる人”の意、現在はエスキモーの言葉で”人間”の意であるイヌイットと呼ばれる。

 体当たりの潜入取材のルポルタージュ本田勝一著「カナダ・エスキモー」も、文句なしに面白い、オススメの一冊だ。

  <ノーザンライツ・オーロラ>

「アラスカはアメリカ合衆国に残された最後のフロンティアだったのだ」

  星野道夫著「ノーザンライツ

「アラスカはいつも、発見され、そして忘れられる」とは、アラスカで語られる諺みたいなものだ。1890年代のゴールドラッシュ以後 暫く忘れ去られていた土地は、油田開発で 再発見され、その後 米国人が夏の休暇を過ごすリゾートとして、更に近年 日本人観光客によってオーロラ見学の地として発見されたと言っていいかもしれない。新型コロナウイルスで海外旅行が寸断するまで、米国人のバカンス客と入れ替わるように、秋になると日本の航空会社がアンカレッジやフェアバンクスにチャーター便を飛ばし、日本人観光客が大挙してアラスカの地に降り立った。9月のアラスカは日照時間が除々に短くなり、オーロラ見学と同時に氷河クル―ズや国立公園など夏の観光もかろうじてできるぎりぎりの時期である。(アメリカ人にとってアラスカは、あくまでも夏の山のリゾートだ。従って冬場 都市部のホテル除き その多くは休業する、熊が冬眠するのと同じように。だから最初 日本人がオーロラを見る為シーズンオフにわざわざ飛行機に乗ってやってくると言っても 皆 冗談だと信じて疑わなかったらしい)フェアバンクス郊外にはチェナホットスプリングスという温泉もあって、オーロラ見学で冷えきった身体を温泉に入って温めるという、日本人観光客の欲求を刺激する絶妙な組み合わせが楽しめる。今はフランク安田が苦労して開拓したビーバー村ですら、状況さえ許せばチェナホットスプリングスからセスナで行けてしまう時代だ。

「九月も半ばを過ぎると、フェアバンクスには晩秋の気配が漂ってくる」

「アラスカは厳寒期に入っていた。フェアバンクスはマイナス40度の日々が続いている。アラスカでも一番気温が下がるこの町の冬がぼくは好きだった」

「フェアバンクスの雪は、空から地上へと、梯子を伝うようにいつもまっすぐに降りてくる。雪の世界の美しさは、地上のあらゆるものを白いベールで包みこむ不思議さかもしれない」

  星野道夫著「ノーザンライツ

9月、葉が黄色一色に染まった樹々が続く、フェアバンクスからチェナホットスプリングスに至る道は夢のように美しかった。この時期の寒さは まだまだ序の口、想定内だ。厳寒期ともなるとアンカレッジと違い内陸のフェアバンクスではマイナス30~40度は普通なのだ。

 さて、このオーロラはアラスカ以外でもカナダ・北欧及びアイスランド、ロシア等、オーロラベルトと呼ばれるドーナツ状の北極圏周辺で見える可能性が高い。自然相手ゆえ わざわざ遠くまででかけたところで必ず見れるとは限らない。例えば”マッキンリーの山”であれば 好天でさえあれば見ることが可能だが、オーロラの場合は例え晴れても オーロラという自然現象が発生しなければ見られない、つまりハードルは2段階、当然確率も下がる。行きさえすれば見ることができると安易に希望的観測で訪れる観光客が正直 大変多く、 がっくり肩を落として帰国の途につく人も決して少なくない。それが現実だ。

 それではどこが確率的に最も適しているか? という話だが、まずは晴天率が高いこと、つまり雲が発生しにくい土地、その為には周囲に山がないのが良い。そうした点でカナダのイエローナイフ辺りが適していると言われることが多いが、経験上それは 誤りではない思われる。しかしノルウェーのトロムソも海風のせいか雲がどんどん流れることにより、 空模様が刻々と変わっていくことが多く、高確率であった。北欧はオーロラだけではなく 一般の観光と組み合わされていることが多い為 万が一オーロラが見えなくとも行った価値がゼロということはないが、他の場所ではハスキーサファリとか冬のアクティビティにでも参加しない限り 観るべきものもほぼないので、肝心のオーロラが見られないと本当に落胆してしまうこともある。アイスランドは島、つまり周囲を海に囲まれている為 アラスカやカナダほど気温は下がらないという点で、寒さが苦手という人には好都合と言える。但し北米方面は厳寒とはいえ 防寒具の貸し出しやオーロラ小屋が設置されている等ある意味オーロラ体制が整っている。一方の北欧はそうした設備が整っておらず、要するに一長一短なのだ。

 次に、いつ頃が適しているか? という話だが、オーロラそのものは一年中24時間出現したり 消えたりしている訳で、ただ日中は明るくて見えないだけだ。従って暗い時間帯がければ長いほど、つまり厳寒期ほどオーロラチャンスは増す、ということが単純に言える。更にオーロラには周期的に当たり年があり、これは今の時代ネットで調べれられる。更に暗い夜空にとって月あかりの影響は想像以上で、新月と満月ではオーロラの見え方を大きく左右する。新月に合わせて日程を組めれば文句ない。

 さあ、ここまでくると 一体いつどこへオーロラを観に行ったらいいのか、皆目見当がつかなくなってしまったことだろう。「カリブーと風の行方は誰も知らない」という古いインディアンの言い伝えがあるそうだ。オーロラと風の行方は誰も知らない。縁があればきっと見れるし、なければ見れない…。