至福の読書・魅惑の世界旅行

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トロイ・ミケーネの遺跡 「シュリーマン伝」ルートヴィッヒ

 ・…たくましい天性は、こんな災難さえも、やがて福に転じてしまったのだった。…こんな不運に見まわれたものの、それは結局、運命によって仕組まれたぼくの幸福と利益のおぜん立てのようだった。

・…神の摂理でまったく不思議なふうに助かったことが何度もある。ただただ偶然のおかげで、確実と思われた破滅から救われたことも一再ではない。 「古代への情熱」より

・だが彼は、月給の半分を勉強のために使っていたのだ。彼はスパルタ式生活をやっていた。そしてその節約した金を家へ送っていたのだ。彼をひどいめにあわせただけのあの父、母を早く死なせ、彼の初恋をぶちこわし、アメリカ行きの希望をふみにじったあの父が、息子にはいまもってふしぎな力を及ぼしていて、息子はこれからさき30年ものあいだ、たえずいがみあい、いきりたった手紙をやりとりしながらも、しだいに多額の金を送りとどけるのである。父に、また兄弟姉妹に。

・秘書も使わないで書類をたえず収集整理すること、おびただしい文通の返事を書くことも、彼には義務であり、つとめだった。手紙を書くときは、一世紀前の商人の流儀で、いつも背の高い机に向かって立ちながら書いた。最後の21年間、手紙はギリシャ語、フランス語、英語、ドイツ語、イタリア語で書かれた。客と話をするときは、例外なく相手の国のことばを使った。計算や勘定は生涯オランダ語でやっていた。…3桁の掛け算は暗算で即座にできた。

シュリーマンの活動で、一番強い影響を残した点は、彼がとつぜん、考古学という学問に動きをもたらしたことであろう。手術によってからだに活がはいって治療に向かうように…。

・ナポレオンがプルタルクを信じなかったら、あのような大きな目的をたてることさえしなかっただろうし、シュリーマンホメロスを信じなかったらトロイアを捜すこともなかったであろう。

シュリーマンが登場したとき、ホメロスが現実を描いているという、あの信仰を笑いものにしないような文献学者は、ドイツにはほとんどひとりもいなかったし、…遺跡を切断したり、部分的には破壊したりした、その野蛮さを非難してやまなかった。

シュリーマンが死ぬことなく、またこの事実に直面して頭を冷やすことがなかったとしたら、この戦いはさらに続いていたことであろう。

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 ホメロスの歌ったトロイは、かつて19世紀の学者や歴史家、考古学者たちの多くが神話と見なしていた。しかしシュリーマンは、トロイが古代ギリシャ叙事詩イリアス」の 中だけでなく 実在したものと信じ、その発掘を夢みる。商人として成功した後は、それで築き上げた財産をトロイ 更にはミケーネの発掘へとと投入、結果 発掘に成功する。多くの歴史家や考古学者を出し抜いて遺跡オタクのごとき一商人が、半ば伝説と化した遺跡を発掘したのだ。子供の頃の夢を実現させたと同時に、それは世紀の大発見でもあった。

 商人のシュリーマンとコメディ俳優のチャップリン、全く異なる職業・人生にも拘わらず、自伝を読むと2人の若い頃は奇妙によく似た印象だ。いずれも逆境を避けるのではなく 真正面から立ち向かう、来る波 大波を次々に乗り越えるサーファーのように。遂には成功者として世間から礼讃される立場に至るが、そこに至るまでの数々の艱難辛苦、波乱万丈のエピソードは 意外にも苦労というより 心踊るものだ。彼らの躍動する生命が、現代人が失ったであろう、しかし心の奥底で眠る大事な「何か」を揺さぶるのだ。

 …実はこの本は図書館で借りて読んだのだが、最初差し出された本を見るなりギョッとして思わずガン見した。なぜならボロボロさ加減が半端でなかったから。裏表紙をめくると 何と半世紀以上も昔、あろうことか自分が生れた年に出版された本だった。どうりで自分の身体もボロボロなはずだ。もう1冊の自伝「古代への情熱」は、新潮や岩波から文庫本で出版されているので入手しやすい。

 さて最近立て続けに本を出版されている執行草舟氏の本の中に、シュリーマンと考古学に関する興味深い記述がある。世間一般の認識とほぼ180度異なる見方には、深く考えさせられる点も多く、少々長い引用になるが紹介したい。

「現代は二つの大きな誤まった見方によって、シュリーマンという偉大な人物を捉え間違えています。一つは有名になったり富を築くことに人生の大きな価値があると見なす誤りです。そしてもう一つは、子供の頃の夢を大人になって実現させることは素晴らしいと考える誤りです。シュリーマンの偉大性は、子供の頃に抱いた大きな夢を断念して、貿易商として生きた点にあるのです。…シュリーマンは貿易商をしていた時は、一切の我がなかったのです。だからいい意味で科学的であり、信念があって、商人の本道に則っていたのです。ところが、長年の夢だっだトロイアへ行ってからは、人間的魅力がなくなってしまった。トロイア遺跡の発掘は、学問的にみても、文化的に見ても、すばらしいことです。しかし、たとえそれがどんなに崇高に見えるものであっても、好きなことであったならば、それは我なのです。その証左がシュリーマンの晩年とも言えるでしょう。我が必ずどこかで理屈をつけて、感情に流され、人間を本道から外させてしまうのです。…元々我のない人間は、使いものにはならないものです。しかし、我を押し通しても、自己の人生は破滅する。このどちらかに決めることの出来ない、物理学でいう不確定性理論のようなところが、生命の難しさであり面白さとも言えるのです」

  執行草舟著「生命の理念Ⅰ」

「…現代の歴史学と呼ばれるものは歴史ではなく、むしろ考古学です。考古学は人間でいえば動物学の範囲、肉体の範囲だけを見ているということです。つまり、物質的に目に見えるもの、確定されたものだけを並べていくものです。…考古学のように新発見があるものでないと、現代の名声には繋がりません。…神話が本来の歴史であり、考古学は現代民主主義の時代しか通用しない科学信仰から生まれた物質的な歴史学なのです。ホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』…というのは正式な歴史書です。…現代の学者は、それを単なる空想として閉じ込めてしまいました。ホメロス叙事詩や『古事記』は立派な歴史書なのです。現代の歴史学者のように、考古学的な証拠がなければ歴史とは見なさないという考え方の方が間違っています。考古学的証拠などある方が珍しいですし、そんな物的証拠によって証明されることは、神話の価値に比べてまったくどうでもいいことばかりです。

要するに、真の歴史は科学ではありませんし、科学でないどころか学問でもないのです、従って歴史学という呼び方も間違いです。歴史は神話であり血なのです。ですから、人間の方が歴史に合わせて生きるべきものなのです」

  執行草舟著「生命の理念Ⅱ」

成功哲学が染みついた現代人にとって、氏の考え方は全くをもって受け入れ難い。多くの人の反発も容易に想像がつく。しかし、世間の反論や否定、誤解というものを気にする素振は微塵も感じられない 氏の一刀両断の物言いが、妙に心地よく感ずるのはなぜか。凝り固まった常識に大鉈を振りおろし ミシミシと破壊しながら、各500ページを超すボリュームの本を読み終えた後には、一筋のさわやかな風が吹き抜ける。

<古代遺跡考 及び遺跡見学のポイント>

 一口に古代遺跡といっても多種多様、ピンキリである。ヨーロッパに限定すれば、その状態の良さやその数において、古代ローマ時代の遺跡が他の追随を許すことなくトップに君臨することは疑いようもない。シュリーマンが発見したトロイの遺跡と ミケーネの遺跡は それまでの認識を覆したという点においてインパクトと知名度はあるものの、実際に行って目にするのは 基礎や土台、あるいは門や城壁、お墓の一部で、現実が事前の期待を上回るとは言い難い状態だ。一般的な観光客にはその全体像がわかりにくく、十分な予備知識を仕入れて行くか、あるいはよっぽど想像力のある人でない限り、その全体像を把握するのは正直難しい。むろん修復の手を加えさえすればいいのだろうが、クレタ島クノッソス宮殿のように修復を加え過ぎた揚句、コンクリートばかりで興ざめする結果にもなりかねず、賛否両論、そのバランスが難しい。いずれにしろ両遺跡共、眺めの良い丘の上にあるので 遠くの景色を眺めながら古代に心を馳せるのも悪くはない。

 トロイの木馬で有名なトロイは現在のトルコの西の端に位置する。トルコの田舎だ。ミケーネもギリシャペロポネソス半島の農村地帯の丘の上にぽつんと佇む。古代遺跡には田園地帯が良く似合う。

 さて遺跡見学のポイントをいくつか。まず第一に、ポンペイの遺跡に代表されるような古代「都市」遺跡は、どこもかなり「歩く」ことが大前提としてある。見学を兼ねたウォーキング、中にはペルーのマチュピチュのように軽いハイキングと思った方がよい遺跡もある。山の斜面に沿って階段が続き、一年でも若いうちに訪れた方がよいと言われる所以だ。(同じ「山」でも遺跡ではないスイスのユングフラウカナディアンロッキー観光は拍子抜けするほどに歩かない)そしてそれはエジプトやメキシコのプラミッド遺跡も同様で、遺跡の規模にもよるが、1時間半~3時間程歩く。またマチュピチュのように途中WCのない遺跡もある。持参するバッグは リュックが至便、少なくとも斜めがけで両手の空くバックが無難、足元はスニーカー 少なくともウォーキングシューズ、起伏のあるマチュピチュのような遺跡は足首まであるトレッキングシューズだと更によい。むろんどこもバリアフリーではないし、屋外だから季節によっては雨具必携、またトルコのエフェソスやポンペイなどは大理石や石灰岩の道の照り返しが強いので、夏季は日傘が欲しくなる(但し混雑時は迷惑になるので注)個人的に折りたたみ傘ではなく、長傘をスーツケースに入れて持参することも多い。起伏のある遺跡には杖代わりに使えて重宝するし、本格的な雨が見込まれる場合も 長傘の方が何かと便利だ(但し遺跡ではなく 市内観光で美術館に行くような場合 長傘は持ち込めず、クロークの出し入れに時間を要する場合があるので逆に不便)