至福の読書・魅惑の世界旅行

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フランス 「ナポレオン自伝」アンドレ・マルロー編

・…運命には従わねば、とりわけ国家の要請には従わなければなりません。兵士は、軍旗よりほかのものに執着してはならないのです。

・私には勉強する以外に手はありません。…十時に就寝、四時には起きます。食事も一日に一度だけ、でもこの節食は健康にはとてもいいんです。

・上に立つ人間というのは、気の毒な人間である。すべて近くから見れば、民衆というはその好意を期待していくら配慮してやっても、そんな骨折りにはすこしも値しないものと、認めなければならない。めいめいが自分の利益を追い求め、おどろおどろしい力を得たがっている。…これらすべてが、大きな夢というものを破壊してしまっているのだ。

・…諸君らが必ず守ると誓うべき条件がある。それは諸君らが今後解放する人民たちを、尊重すること、恐ろしい略奪行為への衝動を抑えること、である。略奪を行う兵は容赦なく銃殺に処せられるであろう。

・銃剣なしの兵士を眼にするくらいなら、ズボンをはかぬ兵士をみるほうがましだ。

軍学とは、まずあらゆる可能性を十分に計算し、ついで正確に、ほとんど数学的に、偶然を考慮に入れることにある。偶然はしたがって、凡庸な精神の持主にとってはつねに謎としとどまるのである。

・兵力の劣る軍を率いての戦争術は、攻撃地点あるいは攻撃されている地点に、つねに敵よりも大きな戦力を投入することにある。しかしこの術は、書物によってもまた慣れによっても会得されるものではない。戦争の才能を急速につくりあげるのは、行動上の機転である。

・(命令)外科医、意気地なしで、伝染病に冒されたと推定される病人と接触した負傷者を救うのを拒んだこの者は、フランス市民たるの資格に値しない。女装のうえ、ろばに乗せアレクサンドリア市中引回しのこと。背中には、つぎのように書いた張り紙をつける「フランス市民に値せず、この者は死ぬことを恐れている」 しかるのち、投獄、そして最初の船でフランスに送還されるべし。

・…無秩序に身をゆだねたり軍記を乱すよりは、頭を砂に突っ込んで名誉とともに死んだほうがよかったのだ。

・何事が突発しようとも、軍人が服従を怠るようなことがけっしてあってはならぬ。戦争における才能とは、作戦を困難にしかねぬ障害を取り除くことにあるのであって、作戦そのものを失敗させることにはない。

・ひとつのことを中断しようと思うとき、私はその引出しを閉め、ほかのを開ける。二つはけっして混ざらない。それぞれが妨げとなることもないし、私を疲れさせることもない。眠りたくなれば、引出しはすべて閉める。そしてもう、私は眠ってる。

・戦力は、力学における運動量のように、速度によって増量される総体によって量られる。一つの戦闘の運命は、一瞬の結果であり、一つの思念の結果である。…将軍は頭である、一軍のすべてである。ガリアを征服したのはローマの軍隊ではなく、カエサルである。ローマの市門で共和国軍をふるえあがらせていたのはカルタゴの軍隊ではなく、ハンニバルである。インダス川畔まで赴いたのはマケドニアの軍隊ではなく、アレクサンドロスである。…プロイセンを七年間防衛したのはプロイセンの軍隊ではなく、フリードリヒ大王である。…死は何ものでもない。しかし敗者として、名誉もなく生きること、それは毎日を死んだままに過ごすことである。軍人、私はそれ以外の何者でもない、…それは私の人生であり、習慣である。

・強固でなければならない。強固な心をもっていなければならない。さもなければ、戦争にも政治にもかかわってはいけない。

・祖国の利益に貢献しうるすべての人間が、私の幸福に本質的に結びつている。

・…力の結集、敏活さ、そして名誉とともに死すという揺るがぬ決意。あらゆる作戦でつねに私に好運をもたらしてくれたのは、戦術におけるこれら三つの大きな原理である。死は何ものでもない。しかし敗れて名誉もなしに生きること、それは毎日を死ぬことである。

・祖国への愛は文明人の第一の美徳である。

・…時間はあるかぎりはつかわなければ。永遠につづくものでもないのだから。

・…仕事こそ私の本領とするところだ。私は仕事をするように生まれついているのだ。私は自分の足の限界は知っていた、眼の限界も知っていた。しかし仕事となるとその限界はまるで知らなかった。

・電気、化学的電気、磁気とは何か?自然の大いなる秘密の、そこが難しいところだ。化学的電気は静かに働く。…人間はこれらの流体と大気の生成物である、脳がこれらの流体を汲み上げ、生命を与える、魂はこれらの流体から成っている、死後は、それらの流体は天上の電気の中へと戻ってゆく、そこから、それらの流体は他の多くの脳によって汲み上げられるのだ、と。

・後世の人々が私の真価を認めてくれるだろう。真実は顕れるだろう、そして私のなした善は私の過ちとともに判定されるだろう。もし私が万事に成功したのだったら、私はあらゆる時代を通じてのもっとも偉大な人間という名声とともに死ぬだろう。成功したのでないとしても、私は並はずれた人間と思われることだろう。私は50もの会戦を経験し、そのほとんどすべてに勝利した。

・私はワーテルローで死ぬべきであった。あるいはおそらくそれ以前に、と思う。モスクワで死んだなら、私の名声はかつて知られたもっとも偉大な征服者のそれとなったろう。しかし運命の女神の微笑みは終っていた。不運、それはある人間が死をもとめて、それに出会えないということなのだ。私の周りではみんなつぎつぎと斃れていった。だが私は砲弾に出会えることがなかった。

・…彼が攻撃行動をとるのをみた敵は、彼のほうが強力とみて、撤退した。戦争では、すべてはこのようになる。数よりも精神力が勝利を決定する。

・戦争とは奇妙な術だ。…私は60もの戦いを交えた、それがどうだ、私は最初の戦いで知った以外のものは何ひとつ学ばなかった!将軍の不可欠な資質は、確固不動の心である、そしてそれは、神の贈物なのだ。

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 「自伝」というタイトルながら、いわゆる一般的な自伝とは違う。原題は「ナポレオン自身によるナポレオンの生涯」ナポレオンが残した膨大な数の布告、訓示、演説、報告、軍事広報、そして妻であるジョセフィーヌ宛ての手紙や覚書等を作家アンドレ・マルローが年代順に抜粋、とりまとめ 一冊にしたものである。それは17歳という若さで始まり、流刑地セント・ヘレナ島で51才で亡くなるまでの34年間の記録である。

 大いなる違和感はその稀に見る早熟さである。これはナポレオンに限ったことではなく、日本の特攻隊員の残した遺書等を読んでも同様の印象を受ける。現代人と比較して一様に大人びた文面、その精神的な成熟ぶりに驚きを禁じえない。そしてそれは裏返せば現代人がいつまでたっても本当の意味で大人に成り切れていないという証左なのだろう。(幼稚で傍若無人な大人が増えている、自分も残念ながらその一員なのだが…)

 読み進むにつれ 軍人らしい余計な装飾を省いた簡潔な言葉の中にナポレオンの人となりが凝縮、浮き彫りになってゆく。非凡なる軍人、そして母国に忠誠を誓う愛国心溢れるフランス人だったことは、この自伝が証明している。更に妻ジョセフィーヌ宛ての手紙には、軍人という公の場から離れた一人の男性の姿も見え隠れする。

 2019年にナポレオン生誕250年、そして2021年に没後200年を迎えた。生前ナポレオン自らが語ったように、彼の残した業績は後世の人々により その真価を下されている。実際のところ その功罪については様々な意見が交錯している。例え幾つかの過ちを犯していたところで、ナポレオンが未来永劫フランスを代表する英雄であることは間違いないだろう。ナポレオンがもしもこの時代に生きていたとして、目に見えない未知のウイルスによって母国フランスのみならず世界中が右往左往しているこの状況に、彼なら果たしてどう対処するであろう、とふと思う。

 「指揮官がこのぎりぎりの線において、それを好機と見るか、危機と見るかによって勝敗が分かれる。…いかなる危機も必ず好機の裏返しとなる。またいかなる好機もその裏返しとしての危機の状態を含んでいる。物事は、必ず作用と反作用の状態に始まり、ぎりぎりのところで好機と危機の錯綜状態を呈するから、ここに人間の気力の重要性が出てくるのだ」

  執行草舟著「生くる」

「人間の迫力も、生命エネルギーの強さから出るものです。ナポレオンや織田信長などの歴史上の英雄の伝記を読むと、そういうことがわかります。戦いの時に自先陣を切って敵に突っ込んでいっても、矢が当たったり斬られることもありません。これも生命エネルギーが強いために当たらないのです」

  執行草舟著「生命の理念Ⅰ」

     <ナポレオンの遺物>

 ルーブルヴェルサイユ宮殿に展示されている巨大な戴冠式の絵、戦勝記念のあまりにも有名なパリの凱旋門、カルーぜルの凱旋門しかり、亡骸が安置されるアンバリッド、ナポレオンパイと呼ばれるイチゴのミルフィーユ、高級ブランデーの代名詞コニャックの等級のひとつにもなぜかナポレオン、ナポレオンの軍服モチーフのナポレオンジャケット、ナポレオンという名のホテルに、ボナパルト通りetc… スペインを訪れてコロンブス(彼はスペイン人でないにも拘わらず)抜きに滞在するのが難しいのと同じように、フランスを訪れてナポレオン抜きに過ごすのもまた容易ではない。それほどまでにナポレオンの残影は今もフランスのあちこちに点在する。出身地コルシカ島にいたっては島唯一と言っても過言ではない観光スポットが、ナポレオンの生家だろう。

 しかしこのような状況は世界各地で同様に見られることだ。英国ストラットフォード・アポン・エイボンに残るシェークスピアの生家しかり、オーストリアザルツブルグモーツァルトの生家しかり、だ。たった一人の英雄、芸術家、政治家等 著名人ゆかりの地というただそれだけで、その地元が授かる恩恵は計り知れない。同時に、一人の人間が成し遂げた偉業は こうして後世の時代へと語りつがれてゆくのだろう。

 フランスでナポレオンと並ぶ英雄としてもう一人ジャンヌ・ダルクがあげられる。パリ市内にもフランス有数の観光地モン・サン・ミッシェルにも彼女の像が建立されているし、ゆかりの地ルーアンには彼女の立派な聖堂も建造されている。

 いずれにしろ こうした歴史上の著名な人物や建造物を巡る旅は、ヨーロッパの真骨頂とも言うべきものだ。何しろ枚挙にいとまがないし 奥が深い、それだからこそ ヨーロッパは何度行っても飽きるということがない。歴史の浅い米国と決定的に異なる点は そこだ。実際ヨーロッパの人々は米国について「歴史がない」の一言で切り捨てることも少なくない。たかがヨーロッパ、されどヨーロッパなのだ。