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中近東「我が名は、ジュリー」沢田研二

 …やはり僕はいまの仕事を大事にしたい。いまの仕事を続けながら、同時に普通の36歳の男として恥ずかしくない、一人で立っている…マトモな社会人でありたいという、そういう気持ちが強いですね。

 …たしかに続けていくっていうのは大変なことだし、しかもただ続けていく、単にキャリアを重ねていくだけじゃなしに、もっと先に進んでいきたいとか大きな夢に向かっていきたいとなると、楽しみでもあり不安でもあり…。まあ、えらい仕事を選んでしまったなあという感じはありますね(笑)

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 エッセイスト・玉村豊男氏によるインタビュー本。出生から京都での少年時代を経てデビューに至る迄、更にタイガース時代から36才のインタビュー当時迄、沢田研二本人の口から詳細に語られる。当時の派手なパフォーマンスや衣装・化粧から受けるイメージや先入観を見事に覆す、実直な青年像が浮かび上がる。

「…ありのままの沢田研二はごく平凡である。…発言は概ね控え目で目立ちたがりとは反対の性格を示している」詩人の故鮎川信夫氏が自身のコラムでこの本をとりあげた時の言葉である。

 

「…僕は歌手として、できるだけ長く歌っていたいと思っています。その為には何をしたらいいのか、何を忘れてはいけないのか、それを毎日の生活の中で考え続けたいと思っています」かつてNHKのビッグショーで彼が語った短い言葉の中に、その気まじめな性格が滲み出ている。そしてそれが単に口先だけのでまかせなんかじゃなかったことは、古希をとうに過ぎた今も現役で活躍しているのを見れば明らかだろう。

 

客が入らなくても、ファン同士がケンカをしても、沢田はいつも一生懸命歌っていた。『歌が命だ』沢田研二は、はっきりそう言った。ぼくのように決して自ら主張せず、誰かが創作した歌を与えられ、それを誠実に歌う。プロデューサーがつくりあげたイメージを存分に表現してみせる。歌の貴公子です。

  萩原健一著「ショーケン

ジュリーのすごいところは、プロデューサーの意向をパーフェクトに実行し、開花させる誠実さにある。与えられた指示をものの見事にやる遂げる。つまり彼の才能は、自らを生かすセンスを持つプロデューサーと出会ったときにこそ最高に輝くのだ。

  萩原健一著「ショーケン最終章」

 

 13年もの間 彼のプロデューサーであった故加瀬邦彦氏は新聞の連載記事で次のような言葉を残している。「メンバーの中でジュリーは一番目立たなかった。おとなしくて一言も口をきかない。印象に残りませんでしたね。でも…舞台に立つ姿を見て驚きました。不思議なオーラがあった。華があった。それもただの華ではなく少し毒気のある華。…怖さというか鋭さというか、…何か訴えるものがある。…僕はジュリーの魅力にどんどん引き付けられていった」「本当にいろんな分野の人たちがジュリーの魅力に引きつけられてましたね。ジュリーは最初は『えっ~』ていう顔するけれど、こちらが思った以上のことをやってくれる。チャレンジ精神があるんです」

 

 全盛期のジュリーは女性のみならず同性をも虜にする破壊力が備わった正真正銘のスーパースターであった。そして故内田裕也氏もその一人だ。「男前で、妖しい魅力があってね。芸能史の1ページを飾る男だ。義理堅いしね。…ケンカも強いよ。新宿のゴールデン街なんかに行っても、非礼に対しては相手がヤクザでも行くもんね。エキセントリックで謎めいている。そこがまた魅力だ」

 その後 SMAP全盛期の2000年頃、ある芸能記者が雑誌の記事で次のように述べていたらしい。「木村拓哉のカリスマ性、稲垣吾郎の色気、草なぎ剛の庶民性、香取慎吾の親しみやすさ、中居正広の器用さを全て足すと沢田研二になる」なるほど、しかし歌唱力はどうだ、彼らが束になってかかったところで、ジュリーを超えられただろうか。歌唱力は言うまでもなく秀逸な表現力、そして何より類い稀なルックスときているから、化粧や奇抜な衣装とパフォーマンスばかりが取りざたされたのは、ある程度仕方がないことかもしれない。その結果 有名作詞作曲家が手がけた派手なヒット曲の陰で、彼自身の手による楽曲は まるで素の彼自身のように寡黙だ。シンガーソングライターでもあるジュリーの作曲のセンスは、本当はもっと評価されてもいい、と思う。容姿に恵まれたが故にその能力を低く扱われたというか、見て見ぬふりされたような不合理さすら感ずる。

 

 一方、彼自身はそんなことを気にするそぶりすら見せず、2001年の新聞のインタビューで次のように語っている。「前を向いていきたいタチなんです。でも、同年代の人たちは、振り返ることしかしない」

 それから20年余り、古希をとうに過ぎて尚、変わらず全力で歌い続けるジュリーの姿が舞台にある。タイガース時代から数えて半世紀を越えた。

「50年たってもステージで歌っているのはカッコいい。…自分に歌があるうちは年齢にかかわらず青春時代だと思いますね」

「相撲じゃあるまいし、音楽は引退するものじゃない」

「まじめにいうと死ぬときが引退だと思っている。…これから先ぶざまになっても走り続けます。気力がないとかで辞めることは、ないでしょうな。…その後、死んだらきれいさっぱり、みんな忘れてくれたらいいですね」

かつてインタビューで彼自身が語ったように、今尚 歌い続けるジュリーはカッコいい。

『振り返ることは好きじゃないから、

 ただ明日のことを思って生きよう

 みんなにしてあげられることは

 一つも見つからないけれど歌なら歌える

 …歌いたい、声がかれるまでも

 …死にたい、いつか舞台で、

 死にたい、歌を枕にして』

彼自身の作詞作曲による「叫び」という楽曲の歌詞の一部で、ギター1本抱えて歌う当時の彼の映像が残っていた。20代のジュリーの姿は歌うことが楽しくて嬉しくて仕方がないようにイキイキと、そしてまた歌の妖精に取り囲まれたかのようにキラキラと輝いていた。稚拙ながらもストレートな歌詞には一人の若者の覚悟が滲み、聴く者にダイレクトに訴えかけてくる。渾身かつ魂心の一曲、魂の歌声が胸を打つ、心に響く。

 

「俺が沢田さんをえらいと思うのは…年に一枚新しいアルバムを出しては、それに合わせたツアーもかならずやってきていることなんだ。…同じペースを守り続けてきたということでは、沢田さんをしのぐやつはいないと思う。…沢田研二のコンサートに足を運ぶのがやめられないんだ」

  村上ポンタ秀一「自暴自伝」

   

   <邪視とファティマの手>

 新聞の連載記事で読んだ次のようなジュリーの言葉が強く印象に残っている。「吉田拓郎さんは『褒められる憂鬱』と言う。それは僕も感じる。褒められると生気を吸い取られていく気がするんです」

 別のインタビューでも次のように答えている。「確かにぼくは、ほめられると喜ばないところがあるからね。ぜったい本心ではないと思ったりすることがあってね。その裏には何があるのかなとか、わりとそういうところがあるね」

 この記事を読んだ時に思い出したのはイスラム圏でよく見かける「ファティマの手」であった。ファティマというのはイスラム預言者の娘の名前で、キリスト教聖母マリアのような存在と言えばわかりやすいだろう。一般的にファティマと言うとキリスト教の聖地・巡礼地であるポルトガルの田舎町ファティマをイメージする人が多いかもしれない。地元の子供の元に聖母マリアが出現したという奇跡でよく知られているが、ここで言うファティマとは無関係である。ファティマの手はアラビア語では五(本指)という意味のハムサと呼ばれ、文字通り五本指の掌を広げた真ん中に片目のモチーフのイスラム圏の護符のようなものだ。中近東には昔から民間信仰としての邪視信仰が存在する。自分が持っていないものを相手が持っておりそれを褒め称えた場合、自分が意識するしないに拘わらず羨望・妬み・嫉妬等の負の感情が相手に害をもたらすという考え方である。ファティマの手はその羨望の邪視を跳ね返す役目を負い、モロッコやチユ二ジア辺りに行くと家の玄関ドアに設置されているのをよく目にする。またトルコではナザール・ボンジュウという青い目玉モチーフのキーホルダーが土産屋の店頭に多数売られているのをよく見かけるが、これも邪視を跳ね返す為のお守りだ。

 前置きが長くなったが、若い頃のジュリーはその容貌を褒められ尽くした感がある。美しい、キレイ、カッコいい、色っぽい、妖艶etc… 当時のジュリーはこの邪視信仰を知らずとも、その称賛の奥底に潜む羨望・妬み・嫉妬の渦を敏感に感じとっていたのかもしれないとふと思う。仕事の場を離れても尚 四六時中、好奇の目にさらされる超有名人の立場というものを知る由もないが、想像以上にきついものと察するに余りある。…人生の晩年にさしかかった今でも別な意味でその容姿についてとやかく言われ続けることを気の毒に思う。だがそれは見方を変えれば、それだけ若い頃のジュリーが凄かった証左とも言える。この場に及んではもう宿命として受け入れざるを得ないだろうが、まるで過去の自分に刃向かうというか、復讐するかのようなその変化の中に、その複雑な心中を思わずにはいられない。

 彼はこの本が発売された4年後 40才の年齢でTVのドキュメンタリー番組のレポーターとしてイラク、エジプト、ヨルダン、イスラエル、トルコ 8千㌔に及ぶ旅をしており、その道中恐らくどこかでファティマの手やナザール・ボンジュウを目にしたことであろう。

「日本にいたら、何か自分でミスしても命を落とすような恐怖感はない。ところが、熱砂の極限地では、一挙手一投足が自分の身にふりかかってくるという緊張感がある。緊張感がふっと緩む解放感を味わえるときもある。その連続が極めて非日常的だ。日本での常識や衛生観念がまったく通用しない世界。…確かに強烈なパンチを食らった旅だった」

 ジュリーの感想に概ね同意する。そもそも日本の常識が通用しないという時点で大いに非日常的だ。遠い異国気分に浸りたい人には大いにお勧めできる土地と言えるが、とにもかくにもメンタリティは我々日本人と全然違う、戸惑う事も多々あるのでそのつもりでお出かけ下さい。