至福の読書・魅惑の世界旅行

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レマン湖・スイス「チャップリン自伝」

・運命の女神たちが人間のそれを決定するとき、そこには憐憫もなければ公平感もない。

・…母はわたしよりも冷静だった。「イエスさまはね、おまえがまず生きて、この世の運命を全うすることをお望みなのだよ」と、説いて聞かせた。その夜、母は…生れてはじめて知る暖かい灯をわたしの胸にともしてくれた。その灯とは、文学や演劇にもっとも偉大で豊かな主題を与えつづけてきたもの、すなわち愛、憐れみ、そして人間の心だった。

・わたしはさようならをいうのが嫌いだった。身内や友人と別れる悲しみは、見送られることによって、いっそう増すばかりにきまっている。

・この熱狂的な歓迎を、わたしは心ゆくまで楽しもうと思うのだが、他方ではまた、これは世界じゅうがどうにかなってしまったのではないかという気が、どうしても頭にこびりついて離れなかった。たかがドタバタ喜劇くらいでこんな騒ぎになるというのは、なにかそもそも名声というものにイカモノ的要素があるということではないのか?わたしはたえず大衆の好意というものを求めつづけてきた。それが獲られたのだ‥だが、皮肉なことに、その瞬間にわたしは、孤独のただ中に淋しく置き去りにされていたのだった。

・ある種の科学者が言うように、われわれの存在がただ無意味な偶然にすぎないとは、わたしにはどうしても信じられない。生と死、あまりにもそれは退っ引きならぬ確たる事実であり、ただの偶然などであるはずがない。…三次元的精神の理解を超えた、厳たるある意志の存在することを証明しているのではあるまいか。

・年をとるにつれて、私は信ということにますます心を惹かれるようになった。現にわたしたちは、考える以上に信によって生きており、また自分でも知らないが、信によっていろんなことをやっているのだ。わたしはむしろ信こそは、あらゆる思想の前提だと信じている。信念なしに仮説や理論、化学や数学の発展はありえなかったはずだ。信とは精神の延長であり、不可能を否定する鍵だとさえ信じている。信の否定はおのれの否定、そして一切の創造力を生みだす精神の否定でしかない。私の信は一切未知のもの、理性で理解できないものを信ずることにある。私たちの理解を超えるものも、ほかの次元世界ではいとも簡単な事実であり、そして未知の領域にこそ幸福への無限の力がある、というのが私の信念である。

・わたしには、人生の設計もなければ哲学もない。‥賢者だろうと愚者だろうと、人間みんな苦しんで生きるよりほかないのだ。

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 喜劇王チャップリンに対するステレオタイプなイメージがいかにあてにならないかということを再認識させられる。…様々な分野の有名人著名人、我々は一体彼らの何を見て何を知っているのだろう。。。

 チャップリンの記憶力には驚嘆せざるを得ない。物心つくかつかないかという子供時代からの鮮明な記憶をたどって語られるその人生は、決して平坦ではない。それどころか、尋常ではない生い立ちとその家庭環境である。チャップリンは巨大な波を追い続け何度も失敗を重ねた挙句、やがて大波に乗ったサーファーのようである。いわゆるアメリカンドリームを体現した数少ない一握りの人物だが、彼の人生の魅力は喜劇王として名を馳せるまでのその過程の中に凝縮されているように思う。成功してから後は自伝というよりもむしろ政治家・実業家・芸術家・作家や詩人等 名だたる著名人との交友録を綴っただけの日記のようになってしまい、残念ながらその魅力が半減してしまったように思う。チャップリンに限らずいわゆる著名人の自伝や伝記を読んでつくづく思うことは、その魅力がその結果ではなくその過程にあるということだ。そこに至るまでの波乱万丈ともいえる人生においてイキイキと生命が躍動しているのは、例外なく本人が試行錯誤しながら一生懸命 体当たりで前へつき進んでいる時期と重なる。生きるということについて深く考えさせられる一冊だ。

 大波はやがて崩れて引く潮のように、彼は成功の代償として悪魔的なマスコミに翻弄され続ける。そして一度は永住を決意した米国を離れることを余儀なくされ、終の棲家をスイス・レマン湖沿いのヴェヴェイ郊外の村に見つける。そして晩年はそこで家族と共に静かで平穏な余生を過ごしたのだ。大半の人々は皆あれこれと言い訳を繕いながら結局は何もしない・できない、それでいて贅沢な余生を求めてやまない。その一方でやるべきことをただひたすら「やる」人間もいる、チャッピリンは紛れもjなく「やる」人物だった。

     <スイス最大の湖>

 チャップリンは自伝の最後を次のような言葉で締めくくっている。

「…わたしはときどき夕暮れのテラスに坐り、広々とした緑の芝生ごしに、はるかな湖や、湖の向うの悠然とした山々を眺めていることがある。そんなとき、わたしはなんにも考えていない。ただ前のこの壮大な静けさを、ひたすら、じっと楽しんでいるのである」

鏡のごとく周囲の風景を映し出す湖面のように、心静かに寛いだ様子のチャップリンが目に浮かぶ。その一方でレマン湖畔に佇むチャップリン銅像は、なぜかどことなく悲哀を帯びて 物悲しくも見える。

 実はレマン湖畔に佇む著名人は、チャップリンだけではない。クイーンのメンバーで近年の映画『ボヘミアン ラプソディ』で再び脚光を浴びたフレディ・マーキュリーもそうだ。エイズが原因で45才という若さでこの世を去った彼は、生前モントルーで度々レコーディングを行い、最後のレコーディングもモントルーのスタジオで行われた。片手を振り上げた彼は、チャップリン同様 レマン湖畔とその背後にそびえるアルプスの山々を眺めている。また女優のオードリー・へプバーンもレマン湖にほど近い田舎町で晩年を過ごし、お墓もその田舎町にある。

 近代建築の巨匠ル・コルビジェは、かつて両親の家を建てるに適した土地を探していた。先に家の設計を済ませ、その後その家に見合った土地を探した。幾つかの条件があり、まず太陽が南にあること、更に山並を背景に湖が南に広がっていること、湖とそこに映えるアルプスの山々も見渡せること、だった。彼はポケットに家の図面を入れて長い間 敷地を探し歩いたそうである。こうした条件をみたす土地はそうそうに見つかるものではなく、最終的にこれらの条件を満たした土地が、ヴェヴェイ近郊のレマン湖畔だった。レマン湖のスイス領側は南斜面の陽当り良好な土地だ。一方 北側対岸はフランス領ミネラルウォーターで有名なエヴィアンの町もあるが、北斜面で陽当りが良くない。スイス側から冬の空気が澄みきった日には、アルプスの最高峰モンブランの頂きだけが白くぽっかりと浮かんで見えることもある。とにかく眺めの良い土地だ。今でもレマン湖畔に残るその小さな家は、現在 彼の他の建築と共に世界遺産に登録、一般公開されている。そう、スイスアルプスだけがスイスではない。