至福の読書・魅惑の世界旅行

読書の海・世界の空  海外添乗歴30年  元添乗員の読書&海外旅行案内

ネパール「王とサーカス」米澤穂信

・確かに信念を持つ者は美しい。信じた道に殉じる者の生き方は凄みを帯びる。…信念を持つこととそれが正しいことの間には関係がない。

・自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ。

・…彼の哲学が完成品である必要はないのです。…我々は完成を求めていると言いました。ですが、時代の変化や技術の進歩に応じて不断にアレンジが加えられ続けることこそが、既にして完成なのだとも言えはしないでしょうか。

・尊さは脆く、地獄は近い。

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 2001年にネパールで実際に起きた王室の殺害事件をミステリー小説の中に盛り込んだ長編フィクション。2001年6月1日ネパールの首都カトマンズの王宮で王・王妃をはじめとする王族が9名が銃弾に撃たれ死亡、犯人とされる王子も自殺を計りその後死亡、合せて10名が亡くなるというセンセーショナルなニュースは、当時日本をはじめ世界中を駆け巡った。その後難を逃れた王の実弟が後を継いで即位、しかし当初から弟のクーデターではないかという説が根強い。自殺と発表されている王子の死にも不自然な点が多々あると言われているが、真相は未だに藪の中、闇が深そうな、全くをもって不可解な事件であった。しかしながら20年を経た今となってはそれも過去の話、しかも事件から7年後の2008年にネパールは共和制に変わり、ネパール王朝はもはや存在しない。

 この事件が起きた時たまたま取材旅行でネパールを訪れていた駆け出しの女性記者が話しの主人公、架空の人物だ。正直なところ残り1/3位で話しが展開してからはページの進みが速くなるが、前半2/3は少々もたついた感が拭えない。しかし丹念な描写がカトマンズの雰囲気をよく伝えており、ネパール行きの機内で読むにはおすすめの一冊だ。

 また一人のジャーナリストとしてあるべき心の葛藤が吐露され、それは昨今の週刊誌の廃刊やら暴露記事やらとあいまって考えさせられる点も少なくない。

「いま我々は、目の前の自分の現実問題に向かうことは減り、マスメディアとインターネットが提供する情報によって思想を統制され、共通の幸福感を植えこまれ、仮想現実に生きることを選ぶようにされてしまった。…いまのグローバリズム経済を推し進める文明の中では、もう我々はやり直すことはできない。特にマスメディアの発達による網の目状の思想統制と情報の独占による支配が徹底しており、全世界どこにいても逃れることはできない。…現代文明はその力を、マスメディアの大衆心理操作によって維持発展させている。…何をやっても「コンプライアンス」だ「犯罪」だと言って、マスメディアが飛んできて、みなを突き上げる。…そのコンプライアンスを一番守ってないのがマスメディア自身ではないかということに尽きる。…自分ができていない人ほど他人を批判する。…『信ずべき真実がないとき、人は嘘を信ずるのである』そうラ―ラが叫び続けた。…我々は信ずるものを欲しているのだ。その隙間に、現代の国家とマスメディアが入り込んできた」

  執行草舟著「脱人間論」

 随分前にTVを処分した。しかしTVにとって代わったのがインターネットだ。つまりTVを処分したところで同時にパソコンやスマホも処分しない限り、残念ながら今の生活は変わらない。氏の言う通りマスメディアにがんじがらめで抜けられそうもない。

    <ネパールの3つの記憶>

「ネパールは、ほかに旅したどんなところとも違った。人にたとえるなら、マイペースが過ぎて風変わりの域に達している人、という感じである。もちろんこれは単なる私感で、そんなふうに思わない旅人だっていっぱいいるだろうけれど」

  角田光代金子光晴を旅する」より

 いかにも旅の印象は人それぞれだ。私にとってのネパールは、山のリゾートポカラやトレッキングの聖地ジョムソンのインパクトが強い分、相対的に首都であるカトマンズの印象は薄く、 ①スリル満点ジョムソン往復の小型飛行機 ②マルファ村のリンゴジュース ③ハイキング途中のWC の3つで完結していると言っても過言ではないかもしれない。

 ジョムソン空港は左右に山が迫る川の谷間に建設された小さな空港だ。海抜2700mほど、滑走路の長さは500m余り。ネパール第2の街ポカラを離陸すると間もなく山の谷間を飛行する。左右の山が驚くほど近い。『凄っ!映画みたい…まるでインディ・ジョーンズ…』窓の外の景色に度胆を抜かれた。むろんこれまで降り立った空港の中では、突出して離着陸の難易度が高いに違いない空港だった。実際、過去10年の間に少なくとも4回の飛行機事故が発生しているらしい。思えば、あの頃は恐いものなしだったし、そもそも危険な空港という認識すら皆無だった。参考までにヒマラヤ遊覧飛行は思ったよりも山が『遠く』、ジョムソン往復の機内からの景色の方が迫力という点においては勝っていた。

(少々話しがそれるが、一度米国の空港で機体が地上を離れる直前にパイロットが離陸を取り止めたことがあった。そして機内アナウンスでこう言い放った。「もう一度やらせてくれ」と。まあそんなこともあるさ…と大して気にとめていなかったが、その後同行したお客様の一人にこっそりこう告げられた。「あの時パイロットの判断が一秒でも遅れていたら離陸に失敗して墜落していたよ」と。今冷静に振り返ってみると、よくもまあ無事に帰国できたなと思う旅は両手に余る、旅はいつでも綱渡りだ)

 ジョムソンの村で泊ったホテルも空港に負けず劣らずなかなかのインパクトがあった。お湯が使えるのは夕方の2-3時間だけ、夜の客室は冷蔵庫どころか冷凍庫のように寒く、あるだけの毛布をかけてもまだ寒い、しかもその毛布がまた異常に重く身動きできない。朝食は設備故障で温かい料理も飲物も出なかった。まるで罰ゲームの様だった。(今はどんなだろう?)

 そのジョムソンから川沿いに半日ほど歩くとマルファという小さな集落に辿り着く。休憩がてらにそこの茶屋で飲んだリンゴジュースが別格だった。なかなかサービスされないことにしびれをきらして様子を見にいくと、昭和の時代に見かけたような貧弱な家庭用ジューサ―でジュースを作っていた。やっとでてきたリンゴジュースを口に含むと懐かしさが口いっぱいに広がった。それは幼い頃に風邪をひくと必ず母親が食べさせてくれたあのすりおろしリンゴと同じ味だった。音楽同様、食べ物も記憶とセットになっていることを思い知った瞬間だ。何を隠そう辺り一帯は日本のNGO活動の結果、当時既にリンゴの里として知られていた。またチベット旅行記で知られる河口慧海ゆかりの地、彼が泊った宿の一部が記念館になっている。

 更にもう一つ強烈なインパクトを残したもの、それはポカリ滞在中に行ったハイキング途中のWCだ。余りの壮絶な状況に思わず我慢してしまったという、これまた罰ゲームのようなWCであった(笑)   

 最後にネパール旅行で何より重要なこと、それは山が見えやすい乾季(日本の冬)に行くということ、雨季は雨雲で山が見えにくい。要するにネパールに限らず「自然」が主な目的となる旅行ではその土地のオンシーズンに出かけた方が後悔は少ない。例えばボリビアのウユニ塩湖はネパール以上に同じことが言える。一方都市部で美術館とか宮殿の見学が主たる目的ならば、オフシーズンの方がむしろ快適な場合もある。晩秋のロシアはどこも貸し切り状態で、夏の混雑ぶりに辟易していた身にとっては天国さながらであった。