至福の読書・魅惑の世界旅行

読書の海・世界の空 コロナ影響下 失業中の添乗員による本・海外旅行案内

ギリシャ 「遠い太鼓」 村上春樹

 ・そう、ある日突然、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。…ある朝目が覚めて、ふと耳を澄ませると、何処か遠くから太鼓の音が聞こえてきた。ずっと遠くの場所から、ずっと遠くの時間から、その太鼓の音は響いてきた。とても微かに。そしてその音を聞いているうちに、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。それでいいではないか。遠い太鼓が聞こえたのだ。今となっては、それが僕を旅行に駆り立てた唯一のまっとうな理由であるように思える。

灯台の上をイルカのような形をした雲が通り過ぎていくのが見える。貨物船はじっとそこにうずくまって、世界中の時間と音を吸い込もうとしているみたいに見える。

・毎朝目覚めると、我々はまず最初に窓を開けて海を見た。寝室の窓からはうまい具合に海が一望のもとに見下ろせた。海が穏やかで、白い波が立っていないとわかると、港まで魚を買いに行った。

・そのうちにまわりのゾルバたちもだんだん我々の存在に馴染んでくる。まあ…がああ言うんだからしようがないという感じになる。こういう人間の心持ちの温かさというのはギリシャならではのものである。

ギリシャ人というのは実に挨拶の好きな国民である。日本人がお辞儀と曖昧な微笑を好むように、アメリカ人が握手と訴訟を好むように、フランス人がワインとハワード・ホークスの映画を好むように、ギリシャ人は挨拶が好きなのだ。…挨拶好きというよりは挨拶の達人と言っていいのではないかという気がする。

・日当たりの良い国、ギリシャ。                         そしてしょっちゅう何かが故障している国、ギリシャ

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

著者が1986~1989年の約3年間ヨーロッパに住んでいた時の滞在記・旅行記である。読み物として絶対的に面白い。著者の淡々としたどちらかと言うとク―ルで乾いた文体が、様々な旅のエピソードの面白みを増幅させて、ところどころ声を挙げて笑ってしまう箇所が複数ある。また。下手なガイドブックよりもギリシャやイタリアという国の特徴を的確に伝えているのは流石と言いたい。

ギリシャと言えば古い映画「その男ゾルバ」を思い出す。アテネの外港 土砂降りのピレウス港から始まる冒頭の場面が印象的な映画である。調子のいいクレタ人と知り合ったばかりに最後スッカラカンになってしまう英国人の物語。ハッピーエンドとは言い難い最後なのになぜか五月晴れのような清々しさ、余韻が残る名作だ。

そしてクレタ島というと昔泊ったクレタのリゾートホテルを思い出す。チェックイン当日の晩は故障で全くお湯が出なかった。よくある事ではないが、珍しくもない。

クレタというのは結局のところ良くも悪くも荒っぽくて、ザツなのだ」(遠い太鼓)

別の田舎のホテルで、お客様の客室のバスルームの床にスリッパがぷかぷかと浮かんでいるという驚愕の光景を目にした時は、さすがに言葉がでなかった(排水管が細く上下左右の部屋の使用が重なると床の排水溝から排水が逆流することがある。ヨーロッパのホテルは基本古い田舎のホテル程、こうしたハード面のトラブルに遭遇する可能性が高まる)

一方、ソフト面では好い意味で裏切られる事もある。そのクレタのホテルには、地元の素朴なおじさんおばさんが大勢働いていた。一流のサービスとはかけ離れた応対ながら、ホテルというよりむしろ家庭に迎え入れられたかのような肩の力の抜けたサービスは、イライラした私の気持ちを少しずつ溶かしていった。そして最終的にはリラックスできる居心地の良いホテルという印象しか残っていない。また泊りたいホテルという時に、なぜかあのクレタのホテルが思い出される。良質なホテルの条件は、人間と同じように見かけの豪華さや使い勝手だけではない。それにしても著者がギリシャパトラスで宿泊したホテルのエピソードは抱腹絶倒、スペインのホテルで似たような経験をした自分には著者の気持ちが痛いほどよくわかる。

     <ヨーロッパの僻地>

小説「スプートニクの恋人」では小学校教師である主人公が生徒にむかってギリシャのことを次のように語りかける。

南ヨーロッパ、地中海にある。島が多くて、オリーブがとれる。紀元前500年頃に古代文明が栄えた。アテネでは民主主義が生まれ、ソクラテスが毒を仰いて死んだ…とても美しいところだよ」

ギリシャという国を100字以内で説明せよと言われた時、これ以上簡潔で完璧な答えがあるだろうか。

二十数年前迄はまだオリンピック航空が南廻りで日本に就航していた。時代の流れと共にやがてKLMオランダ航空やルフトハンザドイツ航空にとって変わり、最近はエミレーツ航空等中近東経由が主流である。つまり日本からギリシャは思いのほか遠く、直行便が就航しているロンドンやパリとは違う。典型的地中海性気候で冬場は雨が多く、特に冬時間に切り替わる11月もしくは10月末頃から不定期にまとまった雨も降る。言うまでもなく訪れる時期の選択を誤ると真っ青なエーゲ海を見逃し、しょんぼり帰国の途につく可能性があるので、訪れる時期は慎重に検討する必要がある。オススメは4~5月か9~10月中旬、泳ぐなら5月末~9月、遺跡の観光目的の場合 真夏は暑過ぎてくじけそうになるかもしれない。

前述の小説の一説。

「昼下がりの広場には人影はほとんどない。一日のうちで最も暑い時刻だ。町の人々はみんな涼しい家の中に閉じこもり、多くは午睡を楽しんでいた。こんな時刻に外に出ている物好きな人間は外国人くらいなものだ」

その通り。

「夕方に一人でアクロポリスの丘にのぼった。そして平らな岩の上に横になり、夕暮れのそよ風に吹かれながら、照明を当てられて青い夕闇の中にほんのりと浮かびあがる白い神殿を眺めていた。美しく幻想的な風景だった」

またいつかライトアップされたアクロポリスの丘を眺めながら、エギナ島のピスタチオナッツをつまみに良く冷えたビールを飲みたいと思う。ギリシャアイルランドと並んでヨーロッパの愛すべき僻地だ。

 

 

日本「土を喰う日々 ~ わが精進十二ヶ月」水上勉

・何ものにも、執着していてはならぬ。…物によって心をかえ、人によってことばを改めるのは、道心ある者のすることではない。

・ただ、黙って、無心につくれば、よろしい。…食事は喰うものであって、理屈や知識の場ではない。

禅宗の僧たちはうまいことをいう。一所不在だと。真の高僧はどこにいても極楽を見出す。酷寒の山にくらしても、文明の都会にくらしても、どこだって己が住む場所だ。随所作主。どこでも主人になれるというのである。

・所詮歴史は憶う人の心以外にない。憶わねば、歴史は消えたままではないか。

・食がなぜかすすまぬという、なぜかを追跡してゆくと、たぶんにこの心理的な要素を見つけることが出来る。

・精進揚げとはつまり、衣を着せて一様にみせかけてはいるが、じつは野菜どもの交響曲ではないか。

・暮れなずむ林間のしじまを、鐘の音は糸になって耳にとどき、松葉の煙がそれをさらに嫋々と長く空にひいて、ともにまぶれ消えるようだった。私は風流というものは、こういうものか、と老師に教わった…

・…めしを喰い、その菜のものを調理するということは、自分のなりわい、つまり『道』をふかめるためだということがわかってくる。一日一日の食事を、注意をぬいて、おろそかにしていれば、それだけその日の『道』に懈怠が生じるだろう。

・…具体の材料と向きあって、物に語りかけてみて、一年経って、それが『精進』であったことに気づいて、いま、慄然とする。やってみてわかるということは、あるものだ。精進しないで『精進』がわかるはずもない。こんなことがわかったというのである。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

タイトルから思い出されるのは、カレル・チャペックの「園芸家12ヶ月」。しかしこちらは庭仕事ではなく、台所仕事、料理版12ヶ月である。畑の土をしかと踏み締め背筋がすっと伸びる感のある一冊、同時に風流でもある。今年2022年の秋にはジュリーこと沢田研二氏主演の映画も公開予定である。楽しみだ。

著者は9才の歳で京都の禅寺に入寺、少なくとも高校生の頃までは学業と並行して寺で様々な仕事を受け持ったらしい。その仕事のひとつが食事の用意、精進料理をつくることだったそうだ。その当時の経験がその後の著者の生活、とりわけ食生活に多大な影響を与えたということは、本を読めば一目瞭然である。

禅寺では賄い役の人を典座(てんぞと読む)と呼ぶ。開祖の道元が書いた「典座教訓」によると、たかが台所仕事というふうに料理を見ず、いかに料理をつくり、いかに心をつかうか、いかに工夫するか、といった行為が人間の最も尊い行為と説いているそうだ。

当時、食事の前に唱じていたという「五観の偈」という経、それを著者は次のように解釈している。

一、この食べ物を料理した人たちの苦労を思い、その食のいただけるありがたさを先ず感謝せねばならぬ。それに、この食物がいま、自分の口にいたるまで、いろいろな人の世話になり、手数もかかっているのだから、一粒の米も無駄にできぬ。

ニ、こんなありがたい食物を受ける資格があるだろうか、と常にこれをかえりみて、心を正さねばならぬ。

三、修行とは心の汚れをきよめることだ。仏のいう貪・瞋・癡の三毒をはらいのけることだろう。この三つの中で、いちばんわるい心は物をむさぼり喰うことだ。そのむさぼる心を克服するために、いま、この食事をいただくのである。

四、この軀を保持するために、よいクスリと思うて頂戴せよ。

五、仏と同じ悟りをひらく、そんな境地に達するためにも、この食物をいただくのである。

なんて謙虚なのだろう。現代人が失ってしまったものは数々あれど、謙虚さもそのひとつに違いない。そして最も悪いことは、むさぼり喰うことと喝破する。むさぼり「喰う」だけではなく「貪る」というもっと広義な視点でこの悪徳について語られた意見を紹介したい。

「悪の本当の根元は貪りの中だけにある。…人生とは、貪ることさえなければ、他人からいくら手助けしてもらってもよいのだ。どんなに人に助けてもらっても、どんなに人に迷惑をかけても、いかに人を泣かせても、いかに人の物をもらっても、この貪る心と行ないさえなければ、それで良い。人間は誰でも、他人に助けてもらって今日がある。人から与えられた愛情や友情がわからなければ、その者は貪る人間となる。…わかれば、人は貪ることはしない。そして、必ず恩を知る。…貪る状態さえ脱すれば、人間は必ず自立する。自立するとは、すなわち自己が、他者や社会の役に立つ人物になることを言う。他者の役に立つとは、自分から与えるものが何かあることを指す。何も物とは限らない。時間でも情愛でも、知識でも何でも良い。…貪りは、与えられ続けていることをわからぬ幼児性から起こる。…貪りは心の中でいくら考えても絶対にわからぬ。貪りから抜け出し、一人前の人間になるには、実践しかない。…現代は本当に大変な時代に差しかかっている。民主主義と科学思想の誤った理解、享楽主義、平等思想、これらの社会現象の中には、貪ることの自覚を阻害する要因ばかりしかない。まさに現代ほど、貪りに冒されやすい時代はいまだかつてなかったと言えよう」

  執行草舟著「生くる」

       <日本料理>

食生活だって三つ子の魂百まで、日本で生まれ育った人にとって日本食は人生を彩る欠かすことのできない要素のひとつだろう。一年の半分近くが海外という生活を長いこと過ごしてきたせいか、慢性的に和食欠乏症気味だった。年齢を重ねるにつれてその傾向は強まり、最近では現地で自由食があっても新たに美味しいレストランを発掘しようという気力は失せ、和食レストランに足を運ぶことが多くなっていた。大して美味しくもなく、しかも地元の食事より割高であるにも拘わらず、だ。

ところが今回コロナ騒ぎで仕事もなくなり、ずっと日本にいることになった。それの何が嬉しかったかと言うと、日本食をいつでも好きなだけ食べられる環境になったことだ。毎日家でご飯を食べるようになり、炊きたてご飯とおみそ汁の美味しさに改めて感動した。今更言うまでもないことだが、やっぱり日本食は美味しい。しかも日本は外食が圧倒的に安いときている。ワンコインでもそこそこ美味しくてお腹いっぱいになるなんて国は、少なくとも先進国では日本を除き皆無である。しかしその状況は多くの犠牲のうえに成り立っている、そう思うと喜んでばかりもいられない。

To be Continued.

世界一周 「八十日間世界一周」ヴェルヌ

・今回の旅でいちばん難しいのは中国と日本で、そいつが終わってしまったんですからね。あとはもうアメリカまで行けば、ヨーロッパみたいなものです。たいしたことはありません。

・鉄道は文明と進歩の象徴であり、網の目のように荒野に広がって、これから建設される町を結んでいく道具なのである。…汽笛を鳴らしていくだけで、アメリカの地に新しい町を次々と誕生させていくのだ。

・…この旅が愉快でしかたがなかった。…この陽気さはすぐにまわりの者に伝染し、しばらくするうちに誰もが上機嫌になった。…もう過去の失敗は悔やまなかった。不測の事態や危険も心配しない。ただ、目的の達成だけを考えた。

・人はたとえ、まったく意味がなくても、世界一周をするのではないだろうか?

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

舞台は1872年ビクトリア朝時代のロンドン、英国紳士のフォッグ氏は彼自身が八十日間で世界一周できるか否かをめぐり、友人たちを相手に大金を賭ける。賭け金は彼の財産のちょうど半分、世界一周の旅費に残りの半分も使うとすると、彼は例え賭けに勝っても財産が増えることはなく、ましてや負けた場合は一文無しになってしまう…にも拘わらず彼は粛々とを準備を整え瞬く間に旅をスタートさせる。何しろ今から150年も昔のこと、飛行機を乗り継いで…という訳にはいかない時代の話しである。

まずはロンドンのチャリング・クロス駅から列車で南に向い、ドーバー海峡対岸のフランス・カレーへ船で渡り、そこから再び列車でパリを経由しイタリア・アドリア海側の港町ブリンディシまで移動、そしてブリンディシとインド・ボンベイを結ぶ定期船に乗船、スエズ運河を抜け洋行遥かインドを目指す。ボンベイに到着後は東のカルカッタまで列車で行くはずが、途中インドならではの理由で象で移動するハプニングが勃発、マラッカ海峡を抜けシンガポール経由で香港に向かう船に乗船できたのは奇跡的だった。更に香港からは横浜経由でサンフランシスコに向かう船に乗船のはずが、またまたトラブルに巻き込まれて乗り遅れてしまう。そこで彼は小さな船をチャーターし乗船予定であった船の経由地・上海を目指す。フォッグ氏の機転によってかろうじてアメリカ行きの船に乗船できた一行は長江を下り東シナ海に出て長崎、そして横浜を経由して無事サンフランシスコに入港、その後は鉄道で米大陸横断しニューヨークへ。そして最後の船旅で大西洋を横断、英国・リバプールに上陸後、鉄道で向かう先は出発地であると同時にゴールでもあるロンドン。はたしてフォッグ氏は80日以内にロンドンに戻ることができたのか。

なんとも爽快・愉快な物語である。様々なハプニングをものともせず、ただひたすら目的地目指して前進あるのみの旅、現代の観光旅行にはない旅の醍醐味に心躍らされる。また、どこかドン・キホーテサンチョ・パンサの関係を彷彿させる主人公フォッグ氏と召使いパスパルトゥーの関係が微笑ましくもあり羨ましくもある。

「フォッグ氏が名誉を大切にするイギリス人だとわかって共感を覚えたのだ。…この男は名誉を守るためだったら、本気で決闘する」

名誉のためなら臆することなく決闘を即決してしまう英国のジェントルマンというのは一体どのような人達だったのか。

「19世紀は、まだすべてがおかしくなる前の、ヨーロッパが一番すばらしかった時代だったのです。もっともすばらしかった時代というのは、すべての人間が『コンプレックスを持っていた』ということです。皆が自分自身の中に歯止めの心を持っているということなのです。…そういう社会で一番すばらしかったのが、あのヴィクトリア朝と呼ばれた英国なのです。一番社会が爛熟していたときの英国なのです。…英国人は、英国キリスト教ジェントルマンというものを築き上げた。…命を張って生きる英国のジェントルマンです。このジェントルマンを生み出した思想が、キリスト教と騎士道の精神なのです。…清教徒が生きている時代にはカトリックの人も、清教徒的だったということなのです。そして、その人たちが一番重要な思想として挙げたことが『心の自由』であり、その思想が結実したものが19世紀の英国ジェントルマンなのです。だから19世紀の偉大なイギリスというのは、偶然生まれたのではない。この清教徒の思想が生み出したのですが、この人たちが一番重要視していたのは、…心の自由のために命をも投げ捨てるという民主主義的思想なのです。…八十日間で世界一周すると皆に約束して全財産を賭け、命がけでやって達成するのですが、要するに自分が言った約束に、命と全財産を賭けるというのが英国ジェントルマンなのです。今の日本人にそれができる人がいるかを問いたい。…英国が世界を制覇できたのはどうしてかというと、この「約束は死んでも守る」というのを、国家ぐるみでやっていた国だったからです」

  執行草舟著「現代の考察」

こうした英国ジェントルマンが19世紀以降もずっと健在であったなら、英国はきっと今でも世界を制覇し続けたであろう。

 

   <空の旅>

島国である日本から外国旅行に行くという時に、車や列車で行くという選択肢がほぼないことは言うまでもない。その点、陸の国境を持つ国の人は車での海外旅行が容易である。ヨーロッパの人々は夏のバカンスシーズンになると自家用車に沢山の荷物を積み、今ではほぼノンストップで通過できる国境を超えていともやすやすと海外旅行を楽しんでいる。もちろん鉄道や飛行機を利用する人々もおり、選択肢は豊富だ。

一方の日本はその手段はほぼ飛行機か船に限定される。近年はクルーズ船の旅も人気だが、まだまだ一般的ではない。日本から限られた日数で行ける船旅は、自ずと目的地が限定されてしまうのが理由のひとつである。一方船旅で世界一周ともなれば、潤沢な予算と時間を必要とするので、これまた一般的ではない。従って日本人にとって海外旅行、イコール飛行機というのが普通だろう。空の旅…機内食を食べ、映画を観て少し眠り、また機内食を食べる…のも悪くはないものだ。

コロナ騒ぎでほぼ鎖国状態になってからかれこれ2年が過ぎようとしている今、閉塞感もピークに達している感がある。世界一周なんて夢のまた夢、海外旅行の本格的な再開までまだ暫くは本の中で空想の旅をして憂さ晴らしに甘んじるしかない。しかし明けない夜明けはない…もう少しの辛抱だ。

 

 

 

イスタンブール「オリエント急行の殺人」アガサ・クリスティ

・現代でこそオリエント急行の旅は優雅なものですが、1930年代にロンドンからイスタンブール、さらにその先に列車で向かうことは現在とは比べものにならない危険を伴う冒険でありました。フランスから、イタリア、トリエステを経由して、バルカン諸国、ユーゴスラビアイスタンブールまでのオリエント急行は、交通手段であるだけでなく、異文化との出会いの場でもあったのです。

…当時の旅行を想像してみてください。それは、みなさんが日頃しているような、…隣り合わせた人と口も利かなかったり、本に没頭して周囲と関わりを持たないような旅行ではありません。当時の旅行は、道連れになった人と友人になったり、停車した駅でお土産を売っている地元の人と交流したりする社会的な一大イベントでした。…旅は人生そのものであり、冒険だったのです。(アガサ・クリスティの孫による まえがきより)

・ウサギをつかまえたいときは、穴にイタチを入れるんです。そうすれば、なかのウサギが逃げだしてくる。

・嘘には嘘の利点がありましてね。嘘をついた者に真実を突きつけてやれば、たいてい、びっくり仰天して、嘘をついたことを認めるものです。ただし、効果的にやるためには、嘘かどうかをちゃんと見きわめなくては。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

著者は自身の自伝の中で「列車はつねにわたしの大好きなものの一つであった」と語っている。この「オリエント急行の殺人」は彼女の代表作の一つに数えられる名作中の名作で、1974年と2017年の2度にわたり「オリエント急行殺人事件」として映画化もされた。

イスタンブールを出発したオリエント急行は、途中ユーゴスラビアの山間部で大雪の為に足止めを食らってしまう。やがて車内で殺人事件が勃発、偶然 列車に乗り合わせたエルキュール・ポアロが事件解決をはかるという筋書き自体はよくあるものだ。しかし予想を覆すとかではなく、そもそも予測できない結末に舌を巻く、傑作とはかくあるべし。

「それにしても鉄道の旅というのは長くて、退屈なものですな」「さよう」「だが、時間は必ず過ぎてゆく」 ヴェルヌ著「八十日間世界一周

列車の旅で時間を持て余した時は本のページをめくってみるがよい。車窓の景色のごとく時間が過ぎ去ったことに気付くだろう。車中で読むべき本として、果たしてこれ以上相応しい本があるのだろうか。

   <飛んでイスタンブール

イスタンブールにはまだ一度も行ったことがないのでね。素通りしてしまうのは惜しい。…ガラタ橋に到着すると、タクシーでまっすぐトカトリアン ホテルへ向かった。…こうして、ヨーロッパ大陸を横断する三日間のオリエント急行の旅が始まったのだった」

この作品はその大半がオリエント急行車内で始まりそして終わる為、イスタンブールは物語のはじまりにさっと通り過ぎるだけである。しかしこれから始まるであろう事件に対する期待と高揚感、伏線を探る気持ちが相まって、思いのほか強い印象を残す。イスタンブールを観光で訪れ、アガサ・クリスティが宿泊し執筆したと言われているペラパレスホテルの前を通過するときまって現地ガイドが、この著作と映画を話題に取り上げる。本や映画の影響力を思い知る瞬間だ。

前述のようにイスタンブールを素通りするはあまりにも勿体ない。そもそもイスタンブールのみならずトルコという国が見どころ満載の観光国だ。観光国であると同時に有数の農業国でもあり食料自給率は100%を超すという実に羨ましい国だ。小麦も輸出するほどの生産量を誇り、個人的にパンはトルコとドイツが最も美味しいと思っている。特に香ばしいゴマパンが好きだ。トルコでは毎朝ゴマパンとオリーブとトマトときゅうり、そして卵料理でもあれば十分。実際のところ トルコの朝食はヨーロッパと違い品数豊富なビュッフェなのだが。因みにゴマパンにはトルココーヒーではなくチャイが合う。

日本からは往復の飛行機を含め最低8日は必要、しかもこの8日という日数は効率のよいパッケージツアーに参加した場合なので、個人旅行であれば10日以上でないと主な見どころを網羅するのは難しいと思われる。いわゆる新幹線のような高速鉄道はなく、バスで観光地から観光地へ移動するのが一般的でバスの移動時間は必然的にかなり長い。従って全行程バスというのはかなりの強行軍となり、カッパドキア地方とイスタンブール間は国内線の飛行機利用するのが無難である。首都アンカライスタンブール間で寝台列車を利用したこともあるが、揺れたり停車したりで熟睡できるとは言い難い(しかしそれはトルコに限ったことではなく、例えばブルートレインとかの高級寝台列車も同様、日本も含めて例外なくおよそ全ての寝台車に言えることだ。確かに旅情たっぷりではあるのだけれども)

旅のポイント、お金について。現地通貨のトルコリラは不安要素が大きく、現在は成田・羽田共取扱中止と思われる。そもそも現地で両替すべき通貨である(一般的にマイナーな通貨は現地で、米ドルやユーロ等メジャーな通貨は日本で両替するのが好ましい)因みにイスタンブール空港の国際線ターミナル内店舗の多くは、ユーロで価格表示がされている。外貨使用可能なところも多い為 以前の旅行で手元に残っている米ドル、ユーロ等があれば持参すると便利、日本円については小額紙幣の千円札を多めに持参すると良い。

カッパドキア地方は高地で標高1000m前後、冬は雪も降る、防寒具必携。地中海性気候のイズミ―ルやイスタンブール辺りは冬場に雨が多い。夏は夏でトルコ全域ほぼどこに行っても暑い。特に遺跡の見学は日陰も少なく体力を消耗しがち、日傘や帽子の持参が好ましい。

飛んでイスタンブールイスタンブールハブ空港とするのがフラッグキャリアトルコ航空だが、健闘しており 印象は悪くない。まず機内食が大方の予想を上回る内容だ。機内エンターテイメントも充実しているし、エコノミークラスに搭乗してもアメニティにスリッパが含まれる稀有な航空会社である。新イスタンブール空港は巨大過ぎて草臥れるけれども、トルコ航空のラウンジはすこぶる良い(ビジネスクラスを利用する等しないと使用できないが)JALのさくらラウンジもANAラウンジも正直負けている、頑張れニッポン。

 

 

 

 

スイスアルプス「アルプスの少女ハイジ」ヨハンナ・シュピリ

現し世の 姿うすらぎ

暗闇に 閉ざされゆけば

魂は いよいよ明るく

さまよいし 旅路の果てに

故郷を 見いずるならん

・やがて五月になりました。新鮮な春の流れが山の上から谷間へと注いでいました。暖い日光は山の上に輝き、あたり一面は緑色になって、残りの雪もすっかり消え去り、日ざしに誘われた花は草の上に頭をもちあげていました。山の上のほうでは、若々しい春風が樅の木の枝をゆり動かし、もっと高いところには、以前のように大きな鳥が輪を描いて青空を飛びまわっていました。

…あたりがだんだん緑色になっていって、やがて六月にとなりました。太陽はいっそう暑く日も長くなり、山には一面に花が咲き乱れて、いたるところにいい香りが漂っていました。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

日本ではTVアニメであまりにも有名な「アルプスの少女ハイジ」その原作小説である。作者はチューリッヒ近郊の農村出身の女流作家、故郷の豊かな自然をこよなく愛し、また篤い信仰心の人物だったであろうことが小説全体から読みとれる。ドン・キホーテ同様、登場人物にはちょっと性格の悪い人物やひねくれた人物はいても 悪人はほぼいない。そしてハイジのまわりの人物はなぜか皆 次々に幸福になっていくというプラスの連鎖の物語、五月晴れのどこまでも澄み切った青空のような物語。不合理とストレスだらけの日常の中でクタクタに疲れ切った現代人に一種の清涼飲料水のようなすがすがしさを補給してくれる。「フランダースの犬」同様、所詮は子供向けという先入観を取っ払って読んでみると意外にも感動して泣けてくる。

かつてこれら日本のアニメが数多く海外に輸出されていた時代があった。その当時は各国のホテルのTVを朝つけると、かなり高い確率で日本のアニメを目にしたものだ。むろんそのままでは現地人に理解できない為 各国の声優によって吹き替えて放映されていた。『巨人の星』のようなスポ根ものはドイツ語がしっくりくるし『ハクション大魔王』のようなコメディタッチのものはイタリア語だと違和感なく、不思議なことにイタリア語で星飛雄馬のお父さんがちゃぶ台を蹴飛ばしても全く怖くはなかったりする。そしてそれらを見て育った世代はアニメから日本もしくは日本語に興味をもった人が少なくなく、思いのほか日本語を話す人の割合が多い世代でもある。

さてこの作品の舞台となったのはマイエンフェルトという村、及びその背後に続く山あいであり、スイス東部に実在する。現在マイエンフェルトの公園にハイジの銅像も設置されている。日本人はハイジと聞くと即、あのアニメのプクプクとあどけない姿を想像してしまうが、アーティストが製作したのは アニメではなく人間の少女像だ。従ってアニメのイメージとはかけ離れている為 肩すかしというか がっかりしてしまう日本人が大半だ(アニメの印象が余りにも強すぎる為 ある意味仕方がないことであるが、 ベルギーのアントワープ郊外ホーボーケンに設置されたネロとパトラッシュの銅像でも全く同様のことが言える)小さな村を通り過ぎて山あいに進み、大型車の通れない細道を15-20分ほど歩くと「ハイジの家」に着く…と言ってもそもそもフィクションであるから、それらしい山小屋を移築して「ハイジの家」と名付けたに過ぎない。しかしそれはそれでのどかな散歩が楽しめて悪くはない。せっかくのスイス、三大名峰やハイキングを目的とする人には少々邪道かもしれないけれども。

<ハイキング ハイジの白パン スイス料理>

スイスのツアーはどこかで1回ハイキングを組み込んだ企画が一般的で、その多くは万人向けの初級コースだ。観光国スイスのハイキング道はすばらしい。その昔 連日ハイキングという体育会系のツアーでスイスとフランスを連日歩き、その道の違いを実感させられた。

高山植物目的なら7月が最も良い。6月下旬だと若干早く、6月上旬ともなれば残雪でハイキング自体まだまだ不可能なコースが多い(むろん歩くコースの標高により大きく異なる)逆にお盆の頃になると花が枯れたり 放牧の牛が花を食べてしまう(と山岳ガイド氏から聞いた)ので見劣りがする。山の天気は難しい。晴れればポロシャツでもOK、悪天候であれば一転 防寒具必携だ。

ところで ハイジの白パンについて。

…ハイジは自分の皿のわきにすてきな白いパンがあるのを見ると、喜びに目を輝かせました。

…おばあさんに白パンをあげたらどんなに喜ぶだろうと思って、またバスケッツトを開けて見ました。

「…それからね、おばあさんはもう固いパンを食べなくてもいいのよ。ほら」

ハイジはバスケットから白パンを一つ一つ取り出して、おばあさんの膝の上に12個パンの山を築きました。

「ハイジだね。また来てくれたんだね」

…そして、白パンはとてもおいしくて、おかげでだいぶ元気が出たようだなどと言いました。

「ばんざい。おばあさんは固い黒いパンなんか食べなくていいんだわ」

ハイジは嬉しくなって叫びました。

ここまで「白パン白パン」と連呼されると 誰もが どんなに美味しいパンなのだろうと興味津々になってしまう「アンデルセン」など幾つかのパン屋には「ハイジの白パン」という名のパンも売られているが、実際のところ 現在 普通にスイスはじめヨーロッパ各国で でまわっている精製小麦のパンのことだろう。この本が出版された1881年当時はまだ 現在のように精製小麦を使用した白いパンは一般的でなく、とりわけスイスやドイツ、北欧のような寒冷地ではライ麦を使用した黒パンが主流であった。この本を読んでもわかるように、白パンは一般庶民の食べるパンではなく、貴族やお金持ちだけが口にすることのできたパンだ。日本でも一昔前は庶民は麦飯を食べるのが普通で、白米が「銀シャリ」と呼ばれ特別視されていたのと同じように。しかし 時代は流れ ハイジの時代から150年近く経った今、麦や米の価値観は180度変わった。欧米の意識高い系(?)の人の多くが、全粒粉やライ麦パンを選択し、白い精製小麦を嫌煙する傾向が顕著だし、お米だって玄米や胚芽米、もしくは雑穀を混ぜるなど健康志向著しい。

いずれにしろスイスという国は美食の国とは言い難い。それはパンひとつとっても同じことが言える、と思う(個人的にパンはドイツとトルコが最も美味しいと思う)

有名なスイス料理は、複雑な調理を必要としない山小屋料理的なものばかりだ。チーズフォンデュはいわゆる鍋料理だし、ラクレットはチーズを溶かしてジャガ芋とピクルスの用意だけすれば 即食べることができる。ハイジやピーターに良く似て料理も素朴なのだ。

ハイキングの後のランチなら スープランチも悪くない。寒冷地のスープは定番メニューのひとつで、マッシュルームスープ、トマトスープ、オニオンスープ、野菜スープ等種類も豊富な上、比較的当たり外れの少ないスイスでは無難なメニューである。但し 日本人には塩辛い場合が少なくないのが難点、それがクリアできれば少なくとも茹で過ぎパスタより美味しく パンも付くので、他にミックスサラダでも注文すればランチには十分、バランスもよく何よりヘルシーでオススメ。かつてスイスツアーで最初に食べたトマトスープが美味しくて、その後もずっとトマトスープを注文していた方がいたことを思い出す。スープとサラダだけじゃ物足りないという方には、別腹デザートにバニラアイスのホットチョコレートソースがあれば申し分ないだろう。

「驚異的に美しい一行ではじまるんだ。…『なぜ、つねにトマトスープでなければいけないのか?』ここには深淵な真実がある。そう思わないか?トマトスープは恐ろしいくらい永遠だ」

  マンスフィールド著「幸福・Bliss」

 

 

 

パリ「オペラ座の怪人」ガストン・ルルー

・…読者諸氏には、こう申し上げておこう。いつかオペラ座を訪れたなら、つまらないガイドなどつけずにゆっくり見てまわったほうがいいと。五番ボックス席に入って、前桟敷との境にある太い円柱を叩いてみたまえ。ステッキを使っても、拳でもいい。すると頭の高さくらいまで、円柱は虚ろに響くはずだ!さすればそこに怪人の声が潜んでいたからといって、なんの不思議もないだろう。

・そこでわたしは申し上げたい。オペラ座の怪人の遺骨を収めるにふさわしい場所は、国立音楽アカデミーの資料室をおいてほかにはないと。それは特別な骨なのだから。

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正直「オペラ座の怪人」は原作本より、ミュージカル「オペラ座の怪人」の方が断然 面白い。実際 ミュージカルの方が広く世間に知られていることが、その証左であろう。1986年にロンドンで初演開始以来 2010年には1万回を超え(現在公演終了)ブロードウェイでも同様に2012年に1万回の公演を超え 現在でもロングランヒットを続けている。劇団四季のHPによると、これまでに世界40カ国180都市で公演が行われ、累計1億4500万人の観客を動員しているそうだ。仕事柄 ロンドンとニューヨークでは色々なミュージカルを観た。シカゴ・マンマ ミーア・キャッツ・ライオンキング・レ ミゼラブル・ウィキッド etc… オペラ座の怪人は別格だ、突出して良い。ドラマチックなストーリーを、良い楽曲と素晴らしい舞台セットが支えている。2度3度観ても楽しめる希少なミュージカルだ。…劇団四季ではなくブロードウェイで観る場合はセリフが英語の為、原作を読んでおくとより楽しめることうけあいだ。

    <パリの夜のお楽しみ>

前述のとおりミュージカルのメッカはロンドンとニューヨークだ。ではパリでミュージカルにかわる大人が楽しめる夜のエンターテイメントは?というと、それはキャバレーだ。リドとムーランルージュがキャバレー劇場の双璧である。歌と踊りはもちろんのことサーカス、手品etc… 内容的に言葉の壁がないという点においてミュージカルより万人向けと言えるだろう。共に素晴らしく甲乙つけがたいが、ムーランルージュはフレンチカンカン発祥の劇場と言われ、リドは多少アメリカンナイズされた内容で派手な印象のせいか、リドの方が良かったという感想が多いように思う。治安・立地面ではリドはシャンゼリゼムーランルージュは歓楽街にあり、治安的にはリドの方が良いのだが、終了時間が遅い為 宿泊ホテルに近い劇場の方が便利である。いずれも夜9時頃から幕間のない1時間30-40分のショーで終了は23時前後となる。食事付きかドリンク付きが選べ、食事付きが前方、ドリンク付きが後方席となる。尚 食事をしながらショーを観るのではなく、1時間位前から食事をスタートし、終わる頃にショーが始まる。服装はスマートカジュアルが好ましいが、パリに限らず近年世界各国から多種多様な人種が訪れるようになって以来、こうしたドレスコードも形骸化しつつある。

こうしたエンターテイメントに余り興味がないという方にはセーヌ川クルーズがオススメだ。バトー・パリジャンとバトー・ムッシュ、2つのの船会社がその双璧だ。バトー・パリジャンはエッフェル塔のふもと、バトー・ムッシュはアルマ橋のふもとから運行しており 内容は大差ない為 これも宿泊ホテルに近い方が便利と思われる。遊覧のみは予約不要、ディナークルーズ等食事付きは予約必須。尚 パリは予想以上に高緯度にあるので、夏至前後の日没は21時頃、暗くなるのは22時頃だ。従って日本の感覚で19時頃に乗船してもイルミネーションやシャンパン or ダイアモンド フラッシュと呼ばれるエッフェル塔の点滅は見ることができないので念の為(ディナークルーズであれば終わる頃には暗くなるので可能)。

とにかく 夜キャバレー(もしくはディナークルーズ)に出かける日の日中は、余り欲張らないスケジュールで行動することをオススメする。肝心のショーの途中で居眠りしている東洋人は決して珍しくはないのだ(時差を考えると眠くなるのは致し方ない面もある)こんな日は実はオペラ座の内部見学はもってこいなのだ。ルーブル美術館のように人混みで不要に疲れる心配もないし、こじんまりしているから歩き疲れる心配もない。もちろん時間もかからない。そしてシャガールの天井画はじめ絢爛豪華な内装は一見の価値がある。因みに内部見学入口はオペラ座正面ではなく、正面向かって左手後方なので念の為。

見学後はオペラ座のすぐ裏にあるギャラリー・ラ ファイエットとその先のプランタンデパートを覗くのもよい。そして各デパートの屋上に上れば、思いのほか眺めも悪くない。エッフェル塔の行列に並ぶ時間の余裕がない方は、デパートの屋上へどうぞ、他と違って無料だし。

「華の都パリ」とはよく言ったものだと思う。パリの見どころやオススメスポットはまだまだこんなものではない、書き出したらきりがない。。。