至福の読書・魅惑の世界旅行

読書の海・世界の空  海外添乗歴30年  元添乗員の読書&海外旅行案内

カンボジア「王道」アンドレ・マルロー

・…かたちが変わるんだよ、思い出ってやつは…想像力ってのは実に不思議なもんだ!おれのうちにあって、おれとは縁がない…想像力…そいつがいつも穴埋めをする…

・記憶ってものはな、…一家の神聖な地下の埋葬所みたいなもんだよ…生きている者よりももっとたくさんの死んだ連中と暮らしているのさ…

・…他人が捜さないところに自分の武器を捜さなければならない。自分の孤立を自覚する者がまず自分に要求しなければならないのは勇気である。…人生に究極の目的などは与えられていないということが、行動のひとつの条件になっていた。このように未知なものをいらいらとあらかじめ考えることを、偶然に身をまかせることと混同するなどとはばかげている。自分自身の姿を、沈滞した世界のものとはさせておかずに、そこから奪い返すことだ…

・かれは自分自身にはほどんど執着していなかった。たとえ勝ち目はなくても、自分のたたかいをこうして…見つけたといってよい。ところが、自分の存在の空ろさを癌のように生きながら受けいれ、死の生暖かさを手に感じて生きなければならない…自分の分以上のものを所有し、日ごと眼にしている人々の埃のような生活から逃れることが必要だった…

 

 

 

・青春とは、いつかは改宗しなくちゃならない宗教のようなもんだ…

・人生は材料で、それをどうあつかうかを知ることが問題なんだーー

・「強烈に死を意識して死にたいんですね、その…病気になったりしないで?」

「…死を前に味わう、生の不条理から来る興奮はきみにはわかるまいな…おれは死を見届けようようとして生を過ごしてるんだよ。…敗北の人生にも何か…満足すべき何かがあるよ…おれが自分の死を考えるのは死ぬためじゃなくて、生きるためだからね」

その張りのある声はまさしくひとつの情熱を示していた。闇の深みと同じようにはるかに遠い深みから流れ着いたもののような、希望のない、胸を突き刺すような歓喜がそれである。

・たとえ遠くても死ぬってことがわかると、ためらいなしに自分が何を望んでるかってことが突然わかるんだよ…

・りっぱに死ぬって方が、…りっぱに生きるってことよりおれにがずっと重要かもしれんな…

・しかし、苦しみがまだかれの友を死から守っていた。苦しんでいるかぎり、かれは生きていたからだ。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 かつてインドシナの地にアンコールワットやアンコールトムを築き栄華を誇ったクメール王朝。そしてその地へと続く道「王道」。この「王道」という本のタイトルから思い浮かべるイメージとは裏腹に、ひとりの人間の死にゆく過程が丹念に綴られる。著者自身の体験に基づいた小説である。舞台はかつてクメール王国が存在した現在のカンボジア熱帯雨林に埋もれた かつての王国の遺跡を求めて二人のヨーロッパ人が異国の地を旅する物語。

 強く共感を覚えるのは、自分が死にゆくその時にその過程を意識しながら逝きたいという思いだ。それは眠ったままとか、眠るようにとかではなく、また事故死とか昏睡状態とかでもない。嗚呼 自分は死ぬのだと、意識しながら息絶える。それは長い人生の中でたった一度しか味わうことができない、最初で最後の瞬間を。

   <アンコール・ワット

 カンボジア最大の観光地であり世界遺産、アンコールは王都、ワットか寺院の意。アンコール朝の時代のヒンズー教寺院の遺跡が熱帯ジャングルの中に点在、世界的にもかなり見ごたえのある遺跡群である。観光の起点シェムリアップの町にはホテルが立ち並び、観光の合間には地元の市場を見学したり、タイ式マッサージ等も楽しめる。

 言うまでもなく遺跡は素晴らしいが、とにかく蒸し暑い土地柄である。ホテルに戻る度に着替えたくなるので、1日1枚の着替えでは足りず、少なくとも滞在日数×2枚は用意したい。遺跡は階段や起伏も多く日本人女性の大好きな日傘は微妙、つばの大きな帽子に小ぶりなバックパックという両手のあくスタイルが好ましい。

 ところでカンボジアで入手した胡椒の美味しさに感激した。いつもスーパーで買っている胡椒とは香りが全然違う。ピリッとした辛みとふわっとした芳香が食欲を増進させる料理の要、たかが胡椒されど胡椒なのだ。中世の時代のヨーロッパでは金銀ほどの価値を持っていた胡椒の原産地はインドだが、現在カンボジアのカンポット州は世界有数の胡椒の産地として知られている。軽く嵩張らずお土産にもってこい、オススメです!

 

ロッキー山脈・北米「レヴェナント蘇えりし者」マイケル・パンク

・人の成すことには潮時というものがある。うまく潮時に乗りさえすれば、運が開ける…

・…じっとしていては幸運などやって来ない。翌朝になったら、また前に向かって這いはじめよう。もし幸運が向こうからやって来ないなら、自分で幸運を作り出すために全力を尽くすのだ。

・これは報いなのだ。自分に抵抗する資格はないと思った。

・…いま少年の顔を目にすると、用意していた演説の細かい内容が思い出せなくなっていた。意外なことに、哀れみと尊敬の入り交じった不思議な感情がわき上がった。

・「いまのあなたにはわかっているはずです。ものごとがつねに納得のいくように運ぶとはかぎらないんですよ」

・「耳の聞こえない者とは、耳を傾けようとしない者のことだ。あなたは何のために辺境まで来たのですか?…けちな泥棒を追いかけるためですか?一時的な復讐で満足を得るためですか?あなたにはもっと別の目的があったのではないかと思いますが」

・星や空に驚嘆し、自分の小さな世界とはくらべものにならないその広大さに元気づけられた。やがて…それまで眠れなかったことが嘘のようにすぐに眠りについた。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 レオナルド・ディカプリオ主演「レヴェナント・蘇えりし者」の原作で実話を元にしたフィクション。レオナルド・ディカプリオはこの作品によって念願のアカデミー賞主演男優賞を受賞した。

 1820年代の米国、主人公のグラスは森でグリズリーベアに襲われて瀕死の重傷を負う。彼は同僚達に置き去りにされ、更に彼の世話をする為に残された2人の仲間からも見捨てられる。しかし奇跡的に生き延びたグラスは、報復の旅へと突き進むのだった。

 熊に襲われ死線を彷徨ったグラスにその後も苛酷な大自然との壮絶なサバイバル、白人対インディアンの相克、次々と試練が襲いかかる。しかし白人側にもインディアン側にも複数の死者が出る中、グラスは都度生き抜いてゆく。その生死を分けたものは一体何だったのか?単なる偶然?運が良かっただけ?…事故を起こした飛行機に乗り遅れて間一髪助かった人、あるいはその逆に亡くなった人。あらゆるケースに当てはまる人の生死を分かつもの、それはひとえに生命力の違いではないか。生命力に満ち溢れていればインディアンの放った矢はすんでのところで外れ、あるいは致命傷には至らない、逆に生命力が不足すれば矢が命中して命を落とす。そしてすべからく人の生命力はやがては尽きる。最後身体から完全に生命力が抜け出た状態、それが人の死だとするなら、その生命力を完全燃焼させること、それこそが我々がこの世に生れた唯一の目的かもしれない。

「我々は、生命エネルギーによって生かされている。…ただ一度の人生を生ききるには、当然、危険もあり、苦悩と失敗もある。…生きることの真の意味が闘争にあり、その終着に死がある限り、生命エネルギーは本質的に暗い。または悲しいと言ってもよい。…暗さの是認は、病気、けがなどをむやにやたらと嫌がらないことにも繋がる。病気によって逆に生きる力が強まることは多い。けがによっても生命エネルギーの凝縮の仕方がわかることがある。自分の生命の有難さが思い知らされるからに他ならない。…事実、生きがいのある人生を送った人は病気、けがなどを乗り越えてきた人が圧倒的に多い。…肉体にとって危機が訪れたとき、生命エネルギーは凝縮する。生命エネルギーの凝縮は、不撓不屈の精神を生む。不撓不屈とは、自己の内部で、生命エネルギーが燃えさかることを言う」

  執行草舟著「生くる」

自分を見捨てた仲間に報復を誓ったグラスの内部では、生命エネルギーの炎が赤々と燃え続け、生き抜く力となったに違いない。そして彼をもっと根本の深いところから支えたものが何であったのかを考える。

「死ぬとは風の中に裸で立ち 陽の中に熔けることではないか」

  神谷美恵子訳「ハリール・ジブラーンの詩」

 

   <カナディアンロッキー

 ロッキー山脈は南北4800㌔に渡り北米大陸西部を貫く山脈で、北部のカナダ部分がカナディアンロッキーと呼ばれる。現地ガイド氏によると、この映画のロケは主にカナディアンロッキーで、一部はアルゼンチンでも撮影されたとの事、いかにも広大な土地と大自然を必要とする映画にはカナディアンロッキーは最適な土地だ。古くはマリリン・モンロー主演の「帰らざる河」、角川映画天と地と」の撮影、あるいはその美しさから車のCMにも複数登場している。

 カナダの観光はカナディアンロッキーに始まりカナディアンロッキーに終わると言っても過言ではない。何度行ってもその都度良く、悪天候なら悪天候なりに、むろん快晴ならより素晴らしい。観光のハイライトは雪上車観光、つまり氷河の上に降り立つというものだ。そしてその雪上車観光の起点となるレストランの無料の水が、普段お金を払って飲んでいるペットボトルのミネラルウォーターを上回る美味しさであることをこの場をかりてお伝えしたい。またレイクルイーズ辺りのホテルで湯船に浸かれば全身デトックス状態の至福の時間、その心地良さは筆舌に尽くしがたい。これら氷河の溶け水を浄化した純度の高い水を是非味わって頂きたいと、心の底から思う。(ニュージーランドマウントクックも同様に素晴らしい水で甲乙つけ難い)唯一残念なのは食事だが、まあ山の中では仕方がない。カナダの食事は海の幸が豊富なバンクーバーやフランス料理のケベック州が断然美味しく期待できる。カナディアンロッキーのご馳走は、水と空気とその景色にある。

 北緯50度より北(樺太と同じ位)標高1000~2000m、例え真夏の旅でもウルトラライトダウン程度の防寒具必携、紫外線が強いので日焼け止めとサングラス、そして雪上車観光用に滑りにくい靴(ハイキングや乗馬とかしない限りウォーキングシューズ程度で十分…遺跡見学ではないのであまり歩かない、写真ストップが大半)

   

 

 

ゴットランド島・スウェーデン「風配図」皆川博子

・「動けるようになるまでは、俺が養ってやる」と応じた。「それが慈悲というものだ」<慈悲>義父のその尊大な言葉が、押し込めていたヘルガの感情を炸裂させたのだ。

・誰にも隷属せず、海は、在る。ただ、在る。風に支配されると言えるだろうか。烈風によって海は荒れ狂う。海の変容は風がもたらす。風よ、お前が主であるなら、俺は仕えよう。奴隷としてではなく。海として。そうだろうか。海が風を狂わせるのではないか。

・「いろいろ難しい」「ああ、生きるのは難しい」

・「…あんたはね、自分の見たいものを見ているの。そして、わたしはね(自分の胸に手を当てて)ここも見たの。ここにも、きたないものが沢山。鳥たちがそれを啄みにやってくる」

・「噂って雪の玉のように、転がすと大きくなるんだね」「最初の雪玉が悪意でできていれば、たちまち巨大になる」

・俺の中に常に潜む何か得体の知れないもの。それが凝固すれば怒りとなり、行動としては攻撃となるもの。…怒りは俺の中に累積する。…俺はそれを恐れる。…力あるものを倒すのはそれにまさる力を持つもののみだ。

・「死は一度しか経験できないからね」声は言う。「誰も本当の死を知らない」

・肉体の痛みとは異なる痛みが胸を締めつけ、水の底に踏み入るように、その中に溺れていたくもあった。…思い出したくなくても、否応なしに記憶は甦る。

・…からだの中にやさしさが充ち、ヘルガが知る言葉では言いあらわせない感覚に溶けいるように感じた。…安らぎ。許し。慈しみ。…言いようのない、限りなくやさしい<何か>の中にいた。

・言いあらわせない、けれど在る無限の何かは、いつも存在しているのかもしれない。感受する、しないにかかわらず。…それを伝える言葉はない。

・…海は変わらない。多くの死と多くの生を抱合して、海は、在り続ける。風も、変わらない。風によって海は相を変える。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 抑制の効いた語り過ぎることのない文章に惹かれる、今風に言えばクールでスタイリッシュ、個人的にかなり好みの語り口の本であった。そんな1冊を上梓した皆川氏が、2023年の今年93才ということにまず驚かされた。しかも続編を執筆中とのこと。実は彼女の著作を読んだのは初めて、この1冊ですっかりファンになった。中世の時代のバルト海にタイムスリップして見て来たんじゃないかと思わせるこの本が形になるまでに、どれほどの資料の読み込みと検証という地道な作業があったことか。本の執筆は言うまでもなく、それに付随する作業にかかる労力を賄う気力と意欲とパワーに脱帽だ。

 バルト海に浮かぶゴッドランド島から始まる物語。時は12世紀、ハンザ同盟が生まれる一時代前に交易商人という男性社会の中に体当たりでぶつかっていった二人の少女、そして彼女達を取り巻く人間模様。読み終わった後で、バルト海をつき進む船の船尾に長く尾を引く水面のようにじんわり余韻の残る物語であった。

 一人称と三人称の合間に戯曲と詩を挟むという独特なスタイルで物語はすすんでゆく。以下 場面、場面に応じて引用された「詩」の一部。

物見に生れて、物見をせいと言い附けられて、塔に此身を委ねてゐれば、まあ、世の中の面白いこと。

   ゲーテ著「ファウスト

 

市民達よ、武器を取れ。「理性」がこの世から失われたのだ。

  ジュウル・ラフォルグ著「最後の詩Ⅵ簡単な臨終」

 

冬には、沈黙は眼で見うるものとなってそこにある。雪は沈黙なのである。可視的となった沈黙なのだ。…かくて、沈黙が沈黙に出会うのである。

  マックス・ピカート著「沈黙の世界

 この本のお陰で、暫し中世の時代のバルト海を旅することができた。読書の面目躍如たるものがここにある。 久しぶりに続編が楽しみな本に出会った。

      <幻のツアー>

 旅行会社が企画販売している海外パッケージツアーというのは、往復の飛行機と泊るホテル、コースによっては大半の観光や食事までもがあらかじめお膳立てされている。主要都市と人気の観光地を組み込んだ定番コース、ベストセラーのツアーが存在する一方、ちょっとひねりを加えたコースや珍しい土地を訪れる新コースも毎年少数だが企画される。集客がよければ翌年も継続するが、そうでなければその年限りでおしまいというツアーも少なくない。そんな幻のコースで訪れたのがコルシカ島であり、ゴットランド島であった。

 ゴッドランド島はバルト海に浮かぶスウェーデンの島である。そもそも北欧旅行というのはフィヨルドやフロム鉄道で知られるノルウェーが観光の中心で、スウェーデンは言葉は悪いがおまけみたいな存在だ。ヘルシンキから客船でストックホルムに着いた当日に観光して1泊、その翌日にはノルウェーに移動というのが、よくあるパターン、従って冬場のオーロラツアーを除けば、ストックホルム以外の場所を訪れること自体が稀だ。

 スウェーデン国民にとって、とりわけストックホルム市民にとって夏のバカンスを楽しむリゾート、それがゴッドランド島でストックホルムからフェリーで4時間弱の距離にある。スウェーデン最大の島であり世界遺産でもある。また、中世の面影が残る島の中心地ヴィスビーは「魔女の宅急便」で主人公のキキが暮らすモデルとなった街の一つとも言われている。ノルウェー・ベルゲンやエストニア・タリンのような日本人旅行者にもよく知られたハンザ同盟都市ではない。恐らくゴッドランド島では同胞に遭遇することも滅多にない。多くの他の「島」同様、どこかのんびりした雰囲気が漂うゴッドランド島、なかなかいいところなので機会があったら是非訪れてみてほしい。<To be continued.>

 

 

バンコク「暁の寺」三島由紀夫

・一つの生をあまりにも純粋に究極的に生きようとすると、人はおのずから、別の生の存在の予感に到達するのではなかろうか。

・…時間と空間とを同時に見ていた。…この世界の裂け目を凝視していたのである。

・時間とは輪廻の生存そのものである。

・この世には道徳よりの厳しい掟がある。…ふさわしくないものは、決して人の夢を誘わず、人の嫌悪をそそるというだけで、すでに罰せられていた。人間主義を知らない時代の人は…今よりもずっと残酷だった筈だ。

・…真の危険を犯すものは理性であり、その勇気も理性からだけ生れるからだ。

・無知によって歴史に与り、意志によって歴史からすべり落ちる人間の不如意を、隈なく眺めて本多は、ほしいものが手に入らないという最大の理由は、それを手に入れたいと望んだからだ、という風に考える。…すなわち、自分が望むものは決して手に入らぬものに限局すること、もし手に入ったら瓦礫と化するに決っているから、望む対象にできうるかぎり不可能性を賦与し、少しでも自分との間の距離を遠くに保つように努力すること…

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「豊饒の海」全4巻の中の第3巻、舞台はタイ・バンコク~インド~そして日本にまたがる。本のタイトルになっている「暁の寺」はバンコク3大寺院の1つ、チャオプラヤ川沿いに建つワットアルンのことで、タイ仏教というよりはヒンズー教色の強い寺院である。バンコクを訪れたらはずせない観光スポットの1つである。

 日本を代表する文豪の1人であるにも拘わらず、最近まで氏の本を読むことができなかった。理由は恐らくその文体にあった、苦手だった。装飾過多というか、肩の力が入り過ぎというか、技巧的過ぎる感のある文章が、自分の中では長い間バロック建築と同じような印象だった、絢爛豪華だがちょっとやり過ぎ…みたいな。何度か何冊か手に取ったが、十数ページも読むともうそこから先にページをめくる手が進むことはなかった。従って最後まで読み切った本はこれが初めて。年齢を重ねるにつれ、食べ物の好みが変わるように、本の好みも変わってゆく。以前の自分は決まって発売と同時に村上春樹氏の新刊を買って一気読みしたものだ。

 「バンコクは雨だった…」から始まる冒頭の文章は「トンネルを抜けるとそこは雪国…」に勝るとも劣らない名文、苦手意識が雲散霧消したような気がした。

「…朝早く、舟を雇って対岸へゆき、暁の寺を訪れたのであった。それは暁の寺へゆくにはもっとも好もしい正に日の出の刻限だった。あたりはまだ仄暗く、塔の先端だけが光りを享けていた。ゆくてのトンブリの密林は引き裂くような鳥の叫喚に充ちていた」

「富士は黎明の紅に染っていた。その薔薇輝石色にかがやく山頂は、まだ夢中の幻を見ているかのように、寝起きの彼の瞳に宿った。それは端正な伽藍の屋根、日本の暁の寺のすがただった」

三島節炸裂、日本が誇る文豪はやっぱり上手かった。

 それにしてもこの本に書かれているような生れ変わりというものが、本当にあるのだろうか。一般的に輪廻転生は仏教やヒンズー教の思想とされている。キリストは復活したのであり、生れ変わった訳ではない。死海文書には「肉体は滅び、肉体を作る物質は永久のものではない。しかし、魂は不滅であり、けっして死なない」と記されているらしい。…例え今わからなくとも、やがてわかる時がきっと全ての人に訪れるなら、今はそれでよしとしよう。大事なことは今を生きること。

    <都市伝説、ある事実>

 海外旅行にまつわる事実かどうかわからない噂というものを耳にしたことがあるだろうか。巷に出回っている例えばこんな話。海外の店で試着室に入ったまま行方知れずになった旅行者、そしてその失踪した旅行者は、後日ある見世物小屋で目を覆うような状態で発見された云々。

 これから語ることは自分自身がタイで実際に体験した紛れもない事実だ。学生時代に友人と2人でタイを訪れた。20歳だった。バンコク滞在後、パタヤビーチに移動した。パタヤを思う存分に満喫し、翌朝再びバンコクに戻る日の夜更けにホテルの部屋の電話が鳴った。2人共遊び疲れて既に寝入っていた。電話の受話器を取ったのは自分だ。すると受話器の向こうの男の声は流暢な日本語でこう言ったのだ。「明日の出発時間は変更になりました、車の都合で1時間遅れになります」と。私は全く疑うことなく受話器を置き、電話の音で目が覚めた友人にそれを告げると、2人ともすぐまた深い眠りに落ちた。そして翌朝、出発が遅くなったのをいいことにのんびり朝食を食べていると、先日のガイドが血相を抱えてやって来るなりこう言った。「もう出発時間ですよ!何してるんですか!」「えっ???」昨夜の電話の話しを告げると、彼は憮然としてこう言い切った。「私はそんな電話していません!」と。

 このエピソードの意味するものがおわかりであろうか。実はパタヤ到着時に同行ガイドから重ね重ね色々な注意を受けていた。何しろ最後はホテルから外に出ないようにとまで言われたのだ。もちろんそんなアドバイスなど完全無視してタイ式ボクシングを見に行ったり、うろうろ出歩いていたことは言うまでもない。細かいことは忘れたが、実はガイドから誘拐された旅行者の話しも事前に聞かされていた。恥ずかしながら自分がもしかしたらあと一歩のところで犯罪に巻き込まれていたかもしれない状況の深刻さを本当に理解したのは、その後何年も経ってからだ。やがて自分が当時のガイドと同じような立場になってからつくづく思い知ったのは、自分だけは大丈夫という根拠のない自信と無知ほどやっかいなものはないということ。要するに何度スリ置き引きに注意するよう言ったところで、全く聞く耳を持たない人が常に一定数存在し、そしてそういう人に限って被害に遭うのだ。旅は常に綱渡りであること、旅を重ねれば重ねるほどにその思いが強くなる。しかし情報収集と最低限の注意を怠ることさえなければ、大抵はうまくその綱を渡りきることができる。「微笑の国タイ」にも様々な側面があり、それはタイだけに限った話しではない。

 それにしても解せないのは、何故あの時、受話器の向こうの声は、出発時間を早めることなく遅らせたのだろう。時間を早めて偽のガイドが迎えにきたとしても疑うことなくと付いて行ったかもしれないというのに。

 それにつけてもパタヤの水上レストランで食べたシーフードの美味しかったこと、今でも時々思い出す。

 

 

アイスランド「地底旅行」ヴェルヌ

・「時間のためさ!時間は、とりかえしがつかないほど速く過ぎるものだからな!」

・「…書物というものは知識欲のさかんな人たちの目から遠く、鉄格子のかなたでかびくさくなってしまうものではなく、読者の目にふれて、ぼろぼろになるべきものと考えています」

・…完全な無関心さがうらやましかった。…原因や結果のことなどはあれこれせんさくしないで、運命に導かれてどこへでもだまってついていくのだった。

・「いいかね、科学というものは、誤りからできているものなんだよ。といっても、それはおかしてもいい誤りなのさ。そうした誤りのおかげで徐々に真理に導かれるのだからな」

・このアイスランド人は、自分の意志などにはまったく目もくれず、ひたすら主人に服従を誓っているらしい。…こうなったら前進するのみである。

・われわれの目はみたと思ったものを実際にはみていなかったのだ!

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 スケールの大きな夢とロマンの冒険物語。伏線が張り巡らされた複雑怪奇なストーリーで途中で挫折し、放り出してしまいたくなるような物語とは対照的に、トリックとか伏線とかの一切ない老若男女が共に楽しめる健全なる良書。絶体絶命の場面においてもふつふつと醸し出される鷹揚さが、百年以上昔というその時代の空港感をも伝えている。猪突猛進の主人公が真っ向勝負で体当たりするさまは、読む者を爽快な気分にさせてくれる。最後に彼らが行き着いた先はちょっと意表を突いていたが、それもまたよし、だ。

 鉱物学を専門とするリデンブロック教授はある日、アイスランド錬金術師が書き残した古文書の解読に成功、それが地底探検のきっかけとなる。羊皮紙にラテン語で記されたその内容は、アイスランドの死火山の噴火口から地球の中心部まで達する道が通じているというものだった。教授は甥のアクセルを引き連れアイスランドへ、そして現地で漁師のハンスを案内人として雇い、3人の地底旅行・冒険の旅が始まる。

「運命の導くところなら、いかなるところへも行こう」という古代ローマの詩人ウェルギリウスの言葉を著者は引用し、そして逆境の主人公に次のような言葉を吐かせるのだ。「これはわたしがはじめた旅行だ、だから最後までやる」「運命はわしにこんなひどいいたずらをする!…よし!わしの意志の力をみせてやろう。負けないとも。一歩もあとへはひかないぞ」「心臓が動いているあいだは、肉が生きているかぎりは、意思の強い人間が絶望に負けてしまうことはゆるされんのだ」…彼は<垂直的人物>だからである。

 どこまでも前向きでへこたれない主人公の行き着く先は果たして…詳しいストーリーは読んでのお楽しみ、いざ行かん、読書の旅へ。

 

「挑戦する自己の行為を、長く継続的に行ったものだけに、深遠な海底のような平安が訪れる」

  執行草舟著「友よ」

 

 主人公が旅に出るきっかけとなったのが、16世紀の錬金術師が残した古文書である。「錬金術錬金術師」について長い間、今一つピンとこないままだった(既に半世紀以上生きてきたというのに)何しろこの現代社会では錬金術について理解していなくたって困ることなど何一つないのだ。が、せっかくなので調べてみた。

錬金術とは、『賢者の石』といわれる恐るべき力をもつ伝説の物質を創造することに関わる古代の学問であった。この『賢者の石』は、いかなる金属をも黄金に変える力があり、また飲めば不老不死になる『命の水』の源でもある」

  J.K.ローリング著「ハリー・ポッターと賢者の石

古代エジプトが発祥の、原初的な化学技術」「…錬金術というのはいわゆる職人芸なのです。要するに、一子相伝のような厳しい師弟関係の世界であり、長い人格的修行を伴うものだった。錬金術をマスターすれば、今でいう化学実験を縦横無尽に行う能力を身につけることになるので、化学分析や化学合成によって、毒物でも何でも作り出せる。…ところが今は、錬金術ではなく「化学」になって、あらゆる化学変化をすべて化学式で表わすようになっています。これにより、道徳観念のない者でも毒物を合成したり出来るようになったのです。この誰でも出来る、誰でもわかるという部分が、ここ2-3百年の間、世界中の人々にとって、とても大きな魅力になっているのです。それが何を生み出したかを見ればわかるように、その魅力というのは要するに悪魔を見出した魅力なのです。…人間のもつ原罪の一つだと言ってもいいでしょう」

  執行草舟著「生命の理念Ⅰ」

 生み出されたものは、ナチスの毒ガスにベトナム枯葉剤地下鉄サリン事件金正男暗殺事件etc…、執行氏曰く、現代人は「悪を悩む力」をも既に失ってしまったのだそうだ。確かにそうかもしれない。「地獄には地獄の名誉がある」と言ったダンテの言葉を思う。そして「地獄の名誉」すらも失った我々現代人の行く末を思い煩うのだ。

   

    <なにもない心地よさ>

 アイルランドと一文字違いアイスランド、いずれもヨーロッパの北の僻地に位置するこれらの小国は、いかにも地味な存在だ。しかし個人的には共に好きな国である。それを仕事仲間や友人知人に話すと大抵不思議そうな顔をされる。そして次にもれなくこう聞かれる「どこがいいの?」と。私は答える「何もないのがいい」と。イタリア・スペイン・フランスのような見どころ満載の観光大国は、確かに素晴らしい。しかし時々、人が多過ぎて、見るべきものが多過ぎて、疲弊してしまう。その点アイスランドは観光地や美術館で気がつくと人の背中ばかり見ているなんてこともないし、あれも見なきゃこれも見なきゃという不要なプレッシャーで息苦しくなることもない、時間に追い立てられることもない、渋滞もない、女性WCの行列もない、のである。

 時々これでもかと予定を詰め込んだパッケージツアーに同行しながらふと思うことがある。台風のようだ、と。見たはずの絵画は確かに視界に入ってはいたけれどそれは果たして鑑賞したと言えるのか、食べたはずの料理も何処で何を食べたのかさっぱり思い出せない、観光地では記念写真という名の証拠写真をひたすら撮りまくる。最後に残るのはただ上陸して通過したという事実とスマホに大量に保存された似たような写真。一方アイスランドでは氷河の流れのように、とてもスローな時間が流れている。

 主人公のセリフ。「レイキャビックの2本しかない通りで道に迷うなんてことは、まずありえないことだろう。…わたしは道をきく必要もなかった」…著者の時代から1世紀以上経た今でも大して変わっていない。まあ、しかし「なにもない」というのはいわゆる言葉の綾で、初めて訪れたなら見るもの、体験すべきことはそれなりにあるので心配無用。

 例えば「ブルーラグーン」がある。「アイス」ランドと言いながら実は熱い土地で、世界的に有名なこの温泉施設は地熱発電の排水を利用しており、皮膚病の効果がうたわれている(実はアイスランドの電力は100%自然エネルギー、その内の2-3割が地熱発電だそうだ)欧米は一般的に水着着用なので、日本人には一見すると巨大プールのように見えなくもない。また37度程度の湯温は日本人にとってはかなりぬるめだが、体温高めの欧米人にとってはそれが適温なのだろう。自分が訪れた9月は一度入ると外が寒くて出られなくなり、随分と長湯してしまった…

 次にアイスランド語で裂け目という意味のギャウと呼ばれる地溝帯もある。貴重な観光スポットの1つだ。日本で地震が起こる度に「プレート云々」という話しが繰り返されるが、アイスランドも2つのプレートに跨っている。しかもなんとその境が地上に露出しており、この目で見ることができるのだ。但し裂けた2つのプレートの深い谷底が地割れのような状態で見られるとかいうものではなく、何も言われなければ気づかずに通り過ぎてしまう。期待が大き過ぎると現実とのギャップにがっかりする懸念のあるスポットでもある。実はこうした地溝帯はもう1つアフリカにも存在する。気が遠くなるほどに遠い将来、アイスランドは2つの島に、東アフリカも切り離されて島となる可能性があるそうだ。

 更に季節によってはオーロラチャンスもある。

「本当なら、もう夜になる時刻だった。しかし、北緯65度の緯度の極地で、夜の明るさに驚かされるようなわたしではない。アイスランドでは、6月と7月のあいだ、太陽が沈まないからである」

と主人公も言うように、北極圏以北では夏至の前後一定期間、太陽は沈まないし、逆に冬至の前後は地平線の上に上ってこない。夏場の日照時間は異常に長く、冬場は異常に短い。夏至を境に日照時間は加速度的にどんどん短くなり、9月に入ればそこそこ暗い時間帯が続くようになる。オーロラチャンスの到来だ。アイスランドは周囲の海の影響を受け、真冬でもアラスカやカナダのようにマイナス30度という驚異的な寒さにはならない。つまり極寒に耐えながらその出現を待つという、我慢大会のようなことはない。(参考までに…アラスカやカナダでは、専用の待機小屋等が用意されている場所も多く、出たり入ったりして暖を取りながらその出現を待つ、というのが一般的。極寒故、屋外に長くはいられない。但しオーロラ「だけ」を目的とするならアイスランドよりも、晴天率・出現率共に高めのカナダ・イエローナイフ辺りの方が見られる可能性は高いと思われる)

 ブルーラグーンと地球の裂け目とオーロラ、そして郊外をドライブすると時々見えてくる滝、それ以外はでこまでも荒涼とひとけのない土地が広がる。それだけ。しかしアイスランドは「食」も楽しめる。ガーリックで味付けた新鮮なザリガニはおかわりしたいほどに美味しかった。ザリガニは北欧諸国で夏場を中心に良く食べられており、食文化は北欧諸国と重なる部分が多い。むろん周囲を海に囲まれた島ゆえ、海産物は豊富だ。

 最後にもう1つ、かつて世界中のニュースでこの国の名前が飛び交ったことがあった。そう、忘れもしない2010年アイスランドの火山が大規模噴火した時だ。火山灰の影響がヨーロッパ全域にわたり、航空機の飛行に影響をきたす為、多くの空港が閉鎖、半端ない数の乗客が足止めを余儀なくされた。その時、私はパリに滞在中で翌日に帰国をひかえていた。結果、やむなくパリに5延泊となったのだ。27-28名位のツアーで、全員分の帰国便確保の為に空港へ行き長い行列に並び、全員一緒に泊れるホテル探しに奔走した。あいにくその時は新婚旅行のカップルが大半だった為、ツアーで利用していた少しばかり高級なホテルにそのまま滞在するには費用面で厳しいと判断した結果だ。その時はとにかく必死にただやるべきことをやるだけだが、こうして後から考えると、正直二度と御免という気持ちしかない。何度こういったトラブルに巻き込まれたことか…そう、旅にトラブルがつきものだ。しかしそれも自らが選択した仕事の結果なら、甘んじて受け入れるしかないのだろう、全ては自己責任だ。

 …それにしてもなぜだろう、あの時パリのオペラ座近くのユニクロは、着替えを購入する日本人で賑わっていた。「いつ帰国?」というある種の連帯感によってもたらされたその場限りの会話を、奇妙なことに今だに映像ごとはっきりと覚えているのだ。

 

 

 

台湾「台湾を愛した日本人」八田與一の生涯

・…官位や地位のために仕事をするでのではなく、人間のためになる仕事をし、後の世の人々に多くの恩恵をもたらすような仕事をしてみたい。もしそれができれば、一介の技術屋で終わっても十分だと思っていた。

・問題は多くある。しかし、恐れていては何もできない。恐ろしいのは、工事や輪作制の実施ではなく、遂行しようとしない怠惰な心だ。

・…與一の考えは違っていた。例がないなら、この工事を最初の例にすればよい。

・「技術者を大事にしない国は、亡びる」與一の口ぐせであった。そして、生涯この考えを貫き通した。

・大きな仕事は、少数の優秀者だけではできない。むしろ平凡な多数が大切だ。

・人の世話は、それが出来る地位に居る間にしか出来ぬものだ。自分の力だけでは、決して、人の世話はできないのだ。

・彼の欠点は、十分知っている。欠点のある者は、反面、他の者にない長所を持っているものだ。自分はそっちを使っているから、心配は要らないよ。

・信念が與一を支えていた。信念を貫き、機械化を採用したことに満足していた。この作業を人間の手で行っていたら十年で完成し得ないことは、誰の目にも明らかであった。しかも、それは、実際の工事を経験して言えることであった。

・天が造らせてくれたのだ。天の力なくして、これだけの工事が、やり遂げられるはずがない。

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 台湾の烏山頭ダムとその下流域の水路を立案・設計そして建設に携わった技術者八田與一の物語。1930年 昭和5年、10年の歳月を経て当時 東洋一の規模を誇るダムが完成した。全長1273m、高さ56m、満水面積13平方㎞、最大水深32mというダムの完成により、1億5千万㌧の水をたたえる人造湖・珊瑚潭が誕生、その水を利用し、それまで不毛の土地であった嘉南平原は台湾一の穀倉地帯へと生まれ変わった。

 特筆すべき点は、ダムのみならずダムの水を効率的に利用する為の給水路、更に排水路の設計・工事までをも含む大プロジェクトであったことだ。給排水路の総延長16,000㎞、台湾本島13周分、実に地球半周に近い長さの水路が、15万㌶の土地に張り巡らされ嘉南平原を潤している。給水路だけでなく排水路も設けたのは、排水により土地の塩分を洗い流し塩害を防ぐ為。一口に水路と言っても、水は高い所から低い所へしか流れず、土地の高低を知る為の測量はじめ地道で膨大な作業を伴ったことは想像に難くない。

 何しろ台湾最大の嘉南平原は南北92㌔東西32㌔、その広さは香川県に匹敵、そして年間の降水量2500㍉(東京は1500㍉)その雨は5月から9月の雨期に集中し、洪水を引き起こす。田んぼも何もかも水浸しになる一方、秋冬の乾期になると今度は雨が全く降らず飲み水の確保すら難しいということを毎年繰り返していた。更に海岸に近い地域は塩害の為に放置された。つまり嘉南平原は洪水と旱魃と塩害の三重苦の不毛な土地だったのだ。ところがダム、そして給排水路の完成により、不毛の土地は台湾一の穀倉地帯へと一変、生活用水の問題が雲散霧消したのはもちろんのこと、嘉南の住民60万人に大きな経済的恩恵を与えることとなった。通水が開始されて3年後には米だけで8万3千㌧の増収、米以外も含めた全体では当時の金額にして1400万円から3400万円に増収となり、そしてそれは工事費を僅か3年で償却する金額だった。更に土地面積当たりの平均収量も当初の予想を大きく上回り、嘉南の農民の生活はまさに激変したのである。

 ダムはいわゆるロックフィルダムの一種、中でもセミ・ハイドロリックフィル工法と呼ばれるタイプで、コンクリートダムの黒部ダムとは見かけも全く異なる。烏頭山ダムで使われたセメントの量はダム全体の僅か0.05%、コンクリートの塊はどこにも見当たらない。大部分が石・砂利・砂・粘土で、その土砂を付き固めるのに人の手や機械を使わず水の力を使う為「ハイドロ」つまり「水の」工法という訳だ。ダムに使用された土砂は540万立方mという途轍もない量である。

 その後の約百年の間に巨大ダムが世界中で次々に建設され、現在 規模的にはそれらのダムには及ばない。しかし先見の明でもって給排水路をも含めたプロジェクト全体は、現在でも見劣りしない。

 その当時、東洋一の巨大プロジェクトを遂行させたのは與一の信念、同時に「信じる」心にあったのではないか。そしてそれに周囲の人間が感化され、成功の礎となった。「やれないことはない。…アメリカ人にできて、日本人に出来ないはずはない。何事でも初めて試みることに人々は反対するものだ。やる遂げない限り、信じてもらえないのだ。断固として、やり遂げねばならぬ」彼は「必ず出来る」と信じていた。偉大な人物と普通の人との違いの一つには、この「信じる力」があるのではないか。

 

「信ずることは、人間だけが持つ高貴性を証明するものである。…本質は信ずる心だけにあり、他は一切理屈でしかない。

…何故に二番目は容易いのか。それは、できることを簡単に信じられるからである。…初めてとはそれほどに価値があるのだ。事実を目の前にしなくても、信じ行うからである」

  執行草舟著「生くる」

「我々の人生を決する価値は、すべてその人生における仕事に拠る。…我々の存在は、仕事によって生まれ、仕事の中を生き、そして仕事ゆえに死ぬ。…人生の価値は、その人間の燃焼によって決まる。仕事による真の人間燃焼である。…我々の存在価値が、仕事によって決まることに気づかなければならない。…仕事を離れたあらゆる価値は、人間生命にとっては誤魔化しでしかないのだ。仕事とは、文明と自己との葛藤である。…人間にとって、生きがいとは仕事のことなのである。人間は、生きがいを持って生きなければ、本当の死を迎えることはできない」

  同上「現代の考察」

  

 第二次世界大戦中、南方派遣団を乗せて航海中の大洋丸は、米国の発射した魚雷により沈没、あろうことか八田與一はその船に乗船していた。享年56歳、第二次世界大戦後、台湾に沢山設置されていた日本人政治家や軍人の銅像はことごとく撤去されたそうである。しかしながら、八田與一銅像は今も地元民によって守られ、毎年5月8日の命日には追悼式まで行われているという。今も與一の銅像は、心静かに珊瑚潭を見守っているだろう。

      <麗しの台湾>

 とにかく何を食べても美味しく、当時ご一緒したお客様から「グルメツアーみたい」という有難い言葉を頂戴した最初で最後のツアー、それが台湾であった。添乗を生業としている人なら誰でも、それがどれほど稀なことであるか良くわかっている。個人旅行であれば、事前に色々調べて評判のよいレストランを予約するだけ、簡単だ。しかし旅行団体・ツアーともなると様々な制約に阻まれ、必ずしも「味」最優先とはいかない。それどころか、むしろ後回しにされる傾向が強い。そうした制約をかいくぐっても尚「美味しい」ということは、台湾がやっぱり美味しいからだろう、違いますか?

 台湾旅行で最も印象に残っているのは、本書にも登場する日月潭である。日月潭ことサン・ムーンレイクは風光明媚な景勝地、癒しのスポットだ。もともとそこにはこじんまりとした小さな湖があったが、水力発電によりダム湖人造湖となり、現在では台湾最大の湖となった。因みにここの水力発電事業も日本統治時代に行われた。また原住民サオ族の居住地域で、湖に浮かぶ小島は精霊が集まる場所として彼らの聖地であった。ダムの建設に伴い湖の水位が上昇、現在はその頭だけが水面からのぞいており、湖上遊覧で近くまで行ける。正直 日月潭よりキレイな湖は世界中に沢山ある。カナダのレイクルイーズにスイスのルツェルン湖、ニュージーランドのテカポ湖やプカキ湖等々。それなのになぜだろう、日月潭が良い。その理由が知りたくて…もう一度行きたい場所の一つである。遊覧船以外にも、ロープーウェイや散策道等、台湾三大観光地の一つとして様々な楽しみ方ができる。願わくば小島と同じ名前のホテル、ザ・ラルーに泊りたい。期待を裏切らない食事とスタイリッシュなレイクビューの客室、ラグジュアリーな寛ぎのホテルだ。

 余談だが、烏龍茶について。今から30年も前のこと、家族旅行で台北を訪れた。どんな経緯だったのか全く覚えていないが、とにかくその時乗車したタクシーの運転手の紹介でお茶問屋を訪れた。そこで試飲・購入した烏龍茶が忘れられず、あの烏龍茶をこえる烏龍茶にはいまだに巡り合えずにいる。ふくふくとしたまろやかな味わいの透き通った黄金色のお茶が、帰国後も我々家族全員を幸せな気持ちにさせてくれた。

嗚呼、麗しの台湾。我想再去台湾!