至福の読書・魅惑の世界旅行

読書の海・世界の空  海外添乗歴30年  元添乗員の読書&海外旅行案内

バンコク「暁の寺」三島由紀夫

・一つの生をあまりにも純粋に究極的に生きようとすると、人はおのずから、別の生の存在の予感に到達するのではなかろうか。

・…時間と空間とを同時に見ていた。…この世界の裂け目を凝視していたのである。

・時間とは輪廻の生存そのものである。

・この世には道徳よりの厳しい掟がある。…ふさわしくないものは、決して人の夢を誘わず、人の嫌悪をそそるというだけで、すでに罰せられていた。人間主義を知らない時代の人は…今よりもずっと残酷だった筈だ。

・…真の危険を犯すものは理性であり、その勇気も理性からだけ生れるからだ。

・無知によって歴史に与り、意志によって歴史からすべり落ちる人間の不如意を、隈なく眺めて本多は、ほしいものが手に入らないという最大の理由は、それを手に入れたいと望んだからだ、という風に考える。…すなわち、自分が望むものは決して手に入らぬものに限局すること、もし手に入ったら瓦礫と化するに決っているから、望む対象にできうるかぎり不可能性を賦与し、少しでも自分との間の距離を遠くに保つように努力すること…

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 「豊饒の海」全4巻の中の第3巻、舞台はタイ・バンコク~インド~そして日本にまたがる。本のタイトルになっている「暁の寺」はバンコク3大寺院の1つ、チャオプラヤ川沿いに建つワットアルンのことで、タイ仏教というよりはヒンズー教色の強い寺院である。バンコクを訪れたらはずせない観光スポットの1つである。

 日本を代表する文豪の1人であるにも拘わらず、最近まで氏の本を読むことができなかった。理由は恐らくその文体にあった、苦手だった。装飾過多というか、肩の力が入り過ぎというか、技巧的過ぎる感のある文章が、自分の中では長い間バロック建築と同じような印象だった、絢爛豪華だがちょっとやり過ぎ…みたいな。何度か何冊か手に取ったが、十数ページも読むともうそこから先にページをめくる手が進むことはなかった。従って最後まで読み切った本はこれが初めて。年齢を重ねるにつれ、食べ物の好みが変わるように、本の好みも変わってゆく。以前の自分は決まって発売と同時に村上春樹氏の新刊を買って一気読みしたものだ。

 「バンコクは雨だった…」から始まる冒頭の文章は「トンネルを抜けるとそこは雪国…」に勝るとも劣らない名文、苦手意識が雲散霧消したような気がした。

「…朝早く、舟を雇って対岸へゆき、暁の寺を訪れたのであった。それは暁の寺へゆくにはもっとも好もしい正に日の出の刻限だった。あたりはまだ仄暗く、塔の先端だけが光りを享けていた。ゆくてのトンブリの密林は引き裂くような鳥の叫喚に充ちていた」

「富士は黎明の紅に染っていた。その薔薇輝石色にかがやく山頂は、まだ夢中の幻を見ているかのように、寝起きの彼の瞳に宿った。それは端正な伽藍の屋根、日本の暁の寺のすがただった」

三島節炸裂、日本が誇る文豪はやっぱり上手かった。

 それにしてもこの本に書かれているような生れ変わりというものが、本当にあるのだろうか。一般的に輪廻転生は仏教やヒンズー教の思想とされている。キリストは復活したのであり、生れ変わった訳ではない。死海文書には「肉体は滅び、肉体を作る物質は永久のものではない。しかし、魂は不滅であり、けっして死なない」と記されているらしい。…例え今わからなくとも、やがてわかる時がきっと全ての人に訪れるなら、今はそれでよしとしよう。大事なことは今を生きること。

    <都市伝説、ある事実>

 海外旅行にまつわる事実かどうかわからない噂というものを耳にしたことがあるだろうか。巷に出回っている例えばこんな話。海外の店で試着室に入ったまま行方知れずになった旅行者、そしてその失踪した旅行者は、後日ある見世物小屋で目を覆うような状態で発見された云々。

 これから語ることは自分自身がタイで実際に体験した紛れもない事実だ。学生時代に友人と2人でタイを訪れた。20歳だった。バンコク滞在後、パタヤビーチに移動した。パタヤを思う存分に満喫し、翌朝再びバンコクに戻る日の夜更けにホテルの部屋の電話が鳴った。2人共遊び疲れて既に寝入っていた。電話の受話器を取ったのは自分だ。すると受話器の向こうの男の声は流暢な日本語でこう言ったのだ。「明日の出発時間は変更になりました、車の都合で1時間遅れになります」と。私は全く疑うことなく受話器を置き、電話の音で目が覚めた友人にそれを告げると、2人ともすぐまた深い眠りに落ちた。そして翌朝、出発が遅くなったのをいいことにのんびり朝食を食べていると、先日のガイドが血相を抱えてやって来るなりこう言った。「もう出発時間ですよ!何してるんですか!」「えっ???」昨夜の電話の話しを告げると、彼は憮然としてこう言い切った。「私はそんな電話していません!」と。

 このエピソードの意味するものがおわかりであろうか。実はパタヤ到着時に同行ガイドから重ね重ね色々な注意を受けていた。何しろ最後はホテルから外に出ないようにとまで言われたのだ。もちろんそんなアドバイスなど完全無視してタイ式ボクシングを見に行ったり、うろうろ出歩いていたことは言うまでもない。細かいことは忘れたが、実はガイドから誘拐された旅行者の話しも事前に聞かされていた。恥ずかしながら自分がもしかしたらあと一歩のところで犯罪に巻き込まれていたかもしれない状況の深刻さを本当に理解したのは、その後何年も経ってからだ。やがて自分が当時のガイドと同じような立場になってからつくづく思い知ったのは、自分だけは大丈夫という根拠のない自信と無知ほどやっかいなものはないということ。要するに何度スリ置き引きに注意するよう言ったところで、全く聞く耳を持たない人が常に一定数存在し、そしてそういう人に限って被害に遭うのだ。旅は常に綱渡りであること、旅を重ねれば重ねるほどにその思いが強くなる。しかし情報収集と最低限の注意を怠ることさえなければ、大抵はうまくその綱を渡りきることができる。「微笑の国タイ」にも様々な側面があり、それはタイだけに限った話しではない。

 それにしても解せないのは、何故あの時、受話器の向こうの声は、出発時間を早めることなく遅らせたのだろう。時間を早めて偽のガイドが迎えにきたとしても疑うことなくと付いて行ったかもしれないというのに。

 それにつけてもパタヤの水上レストランで食べたシーフードの美味しかったこと、今でも時々思い出す。