至福の読書・魅惑の世界旅行

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南アフリカ「鉄の時代」J.M.クッツェー

・死ぬ前に病気になるのは、自分の身体から乳離れするためだ。

・眠ろうとする。心をからにする。すると、いつとはなしに静けさが忍び寄ってくる。…あまやかな眠り。そして忘却のふちに達するまさにその瞬間、ぼんやりとなにかが立ちあらわれて、わたしを引きもどす。強い恐怖としか名づけようのない、なにかだ。

・人は生命に、なんと強く執着するものかしら!どうやら、最後の瞬間に意志ではないなにかが働かなければ、なにか未知のものが、向こう見ずなものが、さっと運び去ってくれなければ、その際は越えられないみたい。

・生きる為に必要なのは格闘家の術であり、舞踏家の術ではない、とマルクス・アウレリウスはいった。みずからの足で踏みとどまること、それで十分、しゃれた足どりなど必要ない。

・終末がギャロップで駆けてくる。

・この人生で耐えてきた恥が積もり積もってガンになった。…自己嫌悪から身体が悪性のものに転じて、おのれ自身を食い荒らしはじめる。

・ホネスタ・モルス 品位ある死

  

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 不条理な南ア社会を背景に、ガン末期の女性の揺れ動く心情を巧みに表現した1冊。著者は南ア出身のノーベル文学賞作家J.M.クッツェー。それは遠く離れた米国に住む娘に宛てた遺書の体裁をまとった日記であり闘病記でもある。死にゆくひとりの老女の独白は淡々と静かに、そして時に激しく葛藤する。「死」への恐怖と僅かな希望の間を行ったり来たりしながらその時は着々と近づいている。今を生きる人類全てがまだ経験したことのない、しかしその全てがやがて経験する「死」は、実はもっと身近なところにある。

 「病なんて、死ねば治る―それはその通りである。おそれることはない。最悪の場合でも「死」であり、それは、人間、いや、生きとし生けるあらゆるものに約束された事態である。一度は通過しなければならない関門である。あまりにも自明の理であり、この自明の理を心得ておれば、病いなど苦にすることはない」と喝破したのは禅寺の和尚・関大徹であり、自身の著書「食えなんだら食うな」で語られるその言葉は、極めて痛快だ。

 同様に昭和のカリスマ整体師・野口晴哉の言葉。「一日生きたということは、一日死んだということになる。未だ死ななかった人は全くいなかったということだけは確かである…溌剌と生くる者にのみ深い眠りがある。生ききった者だけに安らかな死がある」

 「死」は人類の最大かつ永遠のテーマの一つであり、そしてまた死後の世界もまた同様である。科学者の立場から死後の世界について持論の仮説を語った「死は存在しない」著者は原子力工学博士の他田坂広志氏。難解なテーマも本当に頭の良い人が書き記すとこんなにわかりやすく、かつ説得力を持つという好例であろう。

「…『科学』というものが、現代における『最大の宗教』になっているという、奇妙な状況がある。…しかし、現代の科学、すなわち、この『唯物論的科学』や『物質還元主義的科学』と呼ばれるものは、すでに何十年も前から、限界に直面している。…『意識の不思議な現象』を、現代の科学は説明できないのである。…どれほど『意識の不思議な現象』が体験され、報告されても、『現在の科学で説明できないものは、存在しない』とする… …現在、最も注目されているのは「そもそも『物質』そのものが、極めて原初的な次元で『意識』を持っているのではないか」という仮説である」

 この本を読んでSF小説ソラリス」に登場する意識の海、シュタイナーが「アカシック年代記」で語った原初の魂、更にはユングが語るところの「集合的無意識」これら全ての点と点が一本の線で繋がった時、思わずガッツポーズをしたくなった。

 肉体の死はあろうとも魂の死はなく、宇宙空間には愛が充満している、そしてそれは人類が古くから神と呼んできたものだ。

   

     <南アフリカの今>

「この国の生活は、沈没寸前の船に乗っているのと、ひどく似ている」とは著者自身の思いでもあっただろう。

 世界史上“強制収容所”と呼ばれる施設が初めて登場したのが、南アのボーア戦争と言われており、それが後のナチスによるユダヤ強制収容所の悲劇へとつながっていった。約半世紀続いた人種隔離政策アパルトヘイトの影響は今もはっきりと目に見える形で残っている。治安はすこぶる良くなく、安心して歩ける地域は極めて限定されている。ケープタウンを中心にアフリカらしい自然の観光資源が豊富な土地であるがだけに、実に残念なことだ。ケープタウン郊外のワイナリーでの食事は優雅で美味、ブルートレインの列車の旅は旅情を誘う。ジャカランダシティ·プレトリアの街は9~10月ともなれば街路樹が薄紫色に染まる。更に郊外に足をのばせばサファリも楽しめる。

 アパルトヘイトが終了して何年も経ってから初めて南アフリカを訪れた時 最も印象に残ったことは、当然のことだが人口に占める黒人の割合が圧倒的に高く、そしてその彼らが皆、のびのびいきいきとても寛いで見えたこと。それまで目にしてきた居心地悪そうにどこか不満の表情を浮かべた米国やヨーロッパの黒人の印象とは明らかに異なっていた。そう、南アフリカの大地は紛れもなく彼ら自身の土地なのだ。