至福の読書・魅惑の世界旅行

読書の海・世界の空  海外添乗歴30年  元添乗員の読書&海外旅行案内

ゴットランド島・スウェーデン「風配図」皆川博子

・「動けるようになるまでは、俺が養ってやる」と応じた。「それが慈悲というものだ」<慈悲>義父のその尊大な言葉が、押し込めていたヘルガの感情を炸裂させたのだ。

・誰にも隷属せず、海は、在る。ただ、在る。風に支配されると言えるだろうか。烈風によって海は荒れ狂う。海の変容は風がもたらす。風よ、お前が主であるなら、俺は仕えよう。奴隷としてではなく。海として。そうだろうか。海が風を狂わせるのではないか。

・「いろいろ難しい」「ああ、生きるのは難しい」

・「…あんたはね、自分の見たいものを見ているの。そして、わたしはね(自分の胸に手を当てて)ここも見たの。ここにも、きたないものが沢山。鳥たちがそれを啄みにやってくる」

・「噂って雪の玉のように、転がすと大きくなるんだね」「最初の雪玉が悪意でできていれば、たちまち巨大になる」

・俺の中に常に潜む何か得体の知れないもの。それが凝固すれば怒りとなり、行動としては攻撃となるもの。…怒りは俺の中に累積する。…俺はそれを恐れる。…力あるものを倒すのはそれにまさる力を持つもののみだ。

・「死は一度しか経験できないからね」声は言う。「誰も本当の死を知らない」

・肉体の痛みとは異なる痛みが胸を締めつけ、水の底に踏み入るように、その中に溺れていたくもあった。…思い出したくなくても、否応なしに記憶は甦る。

・…からだの中にやさしさが充ち、ヘルガが知る言葉では言いあらわせない感覚に溶けいるように感じた。…安らぎ。許し。慈しみ。…言いようのない、限りなくやさしい<何か>の中にいた。

・言いあらわせない、けれど在る無限の何かは、いつも存在しているのかもしれない。感受する、しないにかかわらず。…それを伝える言葉はない。

・…海は変わらない。多くの死と多くの生を抱合して、海は、在り続ける。風も、変わらない。風によって海は相を変える。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 抑制の効いた語り過ぎることのない文章に惹かれる、今風に言えばクールでスタイリッシュ、個人的にかなり好みの語り口の本であった。そんな1冊を上梓した皆川氏が、2023年の今年93才ということにまず驚かされた。しかも続編を執筆中とのこと。実は彼女の著作を読んだのは初めて、この1冊ですっかりファンになった。中世の時代のバルト海にタイムスリップして見て来たんじゃないかと思わせるこの本が形になるまでに、どれほどの資料の読み込みと検証という地道な作業があったことか。本の執筆は言うまでもなく、それに付随する作業にかかる労力を賄う気力と意欲とパワーに脱帽だ。

 バルト海に浮かぶゴッドランド島から始まる物語。時は12世紀、ハンザ同盟が生まれる一時代前に交易商人という男性社会の中に体当たりでぶつかっていった二人の少女、そして彼女達を取り巻く人間模様。読み終わった後で、バルト海をつき進む船の船尾に長く尾を引く水面のようにじんわり余韻の残る物語であった。

 一人称と三人称の合間に戯曲と詩を挟むという独特なスタイルで物語はすすんでゆく。以下 場面、場面に応じて引用された「詩」の一部。

物見に生れて、物見をせいと言い附けられて、塔に此身を委ねてゐれば、まあ、世の中の面白いこと。

   ゲーテ著「ファウスト

 

市民達よ、武器を取れ。「理性」がこの世から失われたのだ。

  ジュウル・ラフォルグ著「最後の詩Ⅵ簡単な臨終」

 

冬には、沈黙は眼で見うるものとなってそこにある。雪は沈黙なのである。可視的となった沈黙なのだ。…かくて、沈黙が沈黙に出会うのである。

  マックス・ピカート著「沈黙の世界

 この本のお陰で、暫し中世の時代のバルト海を旅することができた。読書の面目躍如たるものがここにある。 久しぶりに続編が楽しみな本に出会った。

      <幻のツアー>

 旅行会社が企画販売している海外パッケージツアーというのは、往復の飛行機と泊るホテル、コースによっては大半の観光や食事までもがあらかじめお膳立てされている。主要都市と人気の観光地を組み込んだ定番コース、ベストセラーのツアーが存在する一方、ちょっとひねりを加えたコースや珍しい土地を訪れる新コースも毎年少数だが企画される。集客がよければ翌年も継続するが、そうでなければその年限りでおしまいというツアーも少なくない。そんな幻のコースで訪れたのがコルシカ島であり、ゴットランド島であった。

 ゴッドランド島はバルト海に浮かぶスウェーデンの島である。そもそも北欧旅行というのはフィヨルドやフロム鉄道で知られるノルウェーが観光の中心で、スウェーデンは言葉は悪いがおまけみたいな存在だ。ヘルシンキから客船でストックホルムに着いた当日に観光して1泊、その翌日にはノルウェーに移動というのが、よくあるパターン、従って冬場のオーロラツアーを除けば、ストックホルム以外の場所を訪れること自体が稀だ。

 スウェーデン国民にとって、とりわけストックホルム市民にとって夏のバカンスを楽しむリゾート、それがゴッドランド島でストックホルムからフェリーで4時間弱の距離にある。スウェーデン最大の島であり世界遺産でもある。また、中世の面影が残る島の中心地ヴィスビーは「魔女の宅急便」で主人公のキキが暮らすモデルとなった街の一つとも言われている。ノルウェー・ベルゲンやエストニア・タリンのような日本人旅行者にもよく知られたハンザ同盟都市ではない。恐らくゴッドランド島では同胞に遭遇することも滅多にない。多くの他の「島」同様、どこかのんびりした雰囲気が漂うゴッドランド島、なかなかいいところなので機会があったら是非訪れてみてほしい。<To be continued.>