モン・サンミッシェル 「ノストラダムス コード」竹本忠雄
・16世紀ヨーロッパのその時代は、「秘伝」などというものが「進歩」の名において切り捨てられようとする近代の夜明けでしたが、この時代潮流に逆らって生きることから一つの巨大な人生が始まったという点に、まず、興味が湧きます。
・…自分のたどるべき方向は、人文主義のそれではない。何と云われようと、その反対方向だ。宇宙的神聖…と人間との絆、それをこそ自分は探索する道を歩んでいたのではなかったか。その旅を続けるのだ…
・ノストラダムスは…その身を置いた16世紀ルネサンスをして、中世以来薄らいでいった「非合理」世界の集約たらしめようとした人であったといえます。
・人生は一本の竹と同じで、節目から成り立っています。
・…科学者としてノストラダムスの一面は、予言者としての反面が余りにも有名となったため、これまで一般に過小評価されてきました。医学、化学、薬学だけでなく、公的には当時まだ発明されていなかったはずの天体望遠鏡をもちいて自ら観測、計算する天文学にも通じ、その知識にもどづいて、後世の私たちをあっと云わせるような離れ業で、計測数値を予言の暗号化に役立てているのです。
・…著者が絶対に容認できなかったことは、人間性の破壊ということでした。彼はそれを「悪」と呼び、「卑俗」と呼び、その暴走を許した革命の諸相を生々しく告発してゆくのです。
・「ノストラダムス予言は、出来事が起こって初めて明らかとなる」と云われてきています。そのことを人々が最初に痛切に思い知らされたのがフランス革命の時でした。…これらの事件をノストラダムスは230年も前に予言していたのだ!」
・ノストラダムス予言は、詩であり、芸術です。
・歴史はエネルギーです。
・…ノストラダムスの世界観には或る種の因果の法則といったものが付きまとっています。もっとも、因果、因縁と云ってしまえばたいへん分かりがいいものを、西洋には仏教的意味でのこうした概念は乏しく、…聖書に由来する「神の怒り」とか「宿命」、「摂理」といった言葉が用いられるのが一般でした。ことに、近世の西洋合理主義思想は、これらを「迷信」の名で一括りにしにて…一件落着としてきました。この意味では確かにノストラダムス思想は「非科学的」であり、出来事と出来事の関係は非因果律的なものをも含む、と見ています。つまり、直接に目に見えることのない因果の糸-横糸を視るということで、運命を綾織るのは縦糸だけではなく、横糸もある。古代シナではこれを「経」に対する「緯」と云い、西洋では「タピスリーの横糸」と云った点では東西は共通でした。
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ノストラダムスの大予言で日本でもよく知られているその作者はユダヤ系フランス人で、名前はノストラダムスことミッシェル・ド・ノートルダム。16c南仏プロヴァンスのサン・レミで生まれで、その後 当時パリに次ぐ大学であったモンペリエ大学で医学を学んだ。ちょうどその頃ヨーロッパ中を震撼させた黒死病・ペストが大流行、彼が多大な貢献をしたことはよく知られている。ノストラダムスはれっきとした医学博士でもあった。更に著者はノストラダムスが、「ダ・ヴィンチ・コード」でも取り上げられた秘密結社・シオン修道会の第15代総長であったであろうと推測する。因みに「ダ・ヴィンチ・コード」では、レオナルド・ダ・ヴィンチが第12代総長と云われている。
さて肝心の予言集だが、素人が簡単に手出しできるものではない、ということがこの本に一貫して書かれている。予言の範囲は1557年から2797年(もしくは3797年)迄、年代順に書き連ねられておらず、完全にバラバラ、しかもその間に起こりうる様々な出来事はアナグラムを駆使・多用して暗号化された四行詩から成る。フランス語のみならずラテン語、ギリシャ語などが織り交ぜられ、それら深い言語知識に加え、歴史に精通していなければ到底判読できるものではない。これまで多くの研究者がその判読に挑んできたものの、決定的なそれが未だ存在していないところに、その困難さが如実に表れている。
かつての日本でも五島勉氏が出版した「ノストラダムスの大予言」をきっかけに大きな話題となったことを記憶している中高年も少なくないであろう。各マスコミが1999年7月人類滅亡説を大きく取り上げ、当時の大衆の心を揺さぶった。その結果は周知の通りなのだが、そもそもノストラダムス自身は1999年7月に人類が滅亡するとは言明していない。滅亡説はあくまでも一つの解釈に過ぎなかったのだ。実際の訳詞は次の通りである。
『天から一人の恐怖の大王が到来するであろう。アンゴルモアの大王を甦らせ、(その)前後に火星は幸いの時を君臨するであろう』
著者は確信をもって次のように書き記している。
「ノストラダムス予言は、出来事が起こって初めて理解される」と。
もしも1999年7月が「人類の終わりの始まり」を示唆するものだとしたら、現在の人類はまさに滅亡に向けて突き進んでいる真っ只中かもしれない、浮かれている場合ではない。
<モン・サンミッシェル詣で>
ノストラダムスは正式にはミッシェル・ド・ノートルダムという名前だ。ノートルダムは英語に直すと、Our Lady・私たちの婦人、転じて聖母マリアを指す。パリのノートルダム寺院が有名だが、聖母マリアに捧げられたノートルダム教会は、パリだけではなくフランス各地に多数存在する。
ミッシェルはフランス語名で、英語でマイケル、ドイツ語ではミヒャエル、スペイン語ならミゲル、イタリア語ならミケーレだ。(同様にチャールズもシャルルもカールもカルロもカルロスもみな同じ、言語によって七変化するこれらの名前は、大変紛らわしくしばしば混乱を招く)
ミッシェルはガブリエル、ラファエルと並ぶ三大天使のひとり、個人名がついた上級天使、エリートなのだ。そしてミッシェルといえば、思い浮かぶのはモン・サンミッシェル、モン・サンミッシェルのモンはモンブランのモン、つまり英語のマウンテン・山の意、聖ミカエルの山ということだ。日本人でも一度は写真や映像で目にしたことがあるであろうあの光景、あれを見たら誰だって一度は行ってみたいと思わずにはいられない。実際不便な立地にも拘わらず、パリに次ぐフランス有数の観光地であるという事実がそれを物語る。
(to be Continued)