クルーズ・船旅「海の上のピアニスト」アレッサンドロ・バリッコ
・何かいい話を心の片隅にもっているかぎり、そして、それを語る相手がいるかぎり、人生まだまだ捨てたもんじゃない。
・わたしたちは壊してしまったものの弁償が何ドルぐらいになるかを計算して、時を過ごしました。額が大きくなればなるほどおかしくなって二人で笑いころげました。今思えば、ああいうのを幸せなひとときというんでしょうね。ああいうのを。
・そこでしみったれた顔をしてる、おまえさん。世の中は果てしなく広いんだ。いいかげんに目を覚ませ。果てしなく広いんだよ。
・あの果てしなく巨大な町並みの中に、ないものはなかった。ぼくの探しているもの以外は なんでもあった。だけど境界線だけは、なかったんだ。ぼくの目に映らなかったものというのは、あの町並みの尽きるところのことさ。この世界の限界。
たとえばピアノ。鍵盤はここから始まって、ここで終わる。…キーは全部で八十八。…キーは果てしなくあるわけじゃない。でも、弾く人間のほうは無限だ。鍵盤上で奏でられる音楽も無限。…こういうのが好きなんだ。これなら安心だ。だけど…目の前に何億何十億というキーが連なった巨大な鍵盤が現れてみろ。そんな鍵盤の上で人間が弾ける音楽なんて、あるもんか。そいつは神様が弾くピアノだよ。
道ひとつとったって、何百万もある。きみたち陸の人間は、どうやって正しい道を見分けられるんだい。…家や、買うべき土地や、見るべき風景や、死に方を、どうやって選ぶんだい。…陸地というのは、ぼくには大きすぎる船。長すぎる旅。…ぼくには弾くことのできない音楽。帰らせてくれ、ぼくのいるべき場所に。
ぼくは、この船から降りることができなかった。だから、楽になるために残された道は、人生から降りることだった。…それらの夢に、さよならを言ったのさ。友よ、ぼくは気違いじゃない。救いを求めて楽になる方法を見つけようとしているかぎり、人間は気違いにはなれない。…こうして、ぼくは不幸を骨抜きにした。ぼくの人生を夢から解放したんだ。ぼくの歩んだ道を逆にたどって行けば、そこにはその夢のひとつひとつが今もあるはずだ。…凍結された、動かず、永遠に変わることのない夢のひとつひとつが。
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原作よりも むしろトルナトーレ監督の映画「海の上のピアニスト」で知られている。原作はイタリアの人気作家バリッコ、元々一人芝居の脚本、舞台上演を前提として書かれたもので、母国イタリアでは何度も上演されている。原題は「ノヴェチェント、ある独白」、ノヴェチェントとはイタリア語で数字の900、1900年生れということからつけられた主人公の名前だ。船専属楽団の天才ピアニストであり、船で生まれてからというもの たった一度として陸地に足を踏み入れたことがない男の独白である。短いのであっという間に読み終えてしまうけれども、群青色した深海に潜っていくかのような、なんとも言えず深い余韻の残る、手元に残しておきたくなる一冊。
驚くべき制約のある人生を自ら受け入れたひとりのピアニストの生涯。読み終えてから自分の本棚にある一冊の本のページをめくり読み返した。そこには制約の有難さについて次のような考えが述べられている。
「制約を前向きに受け入れ、探し求めていかなければならない。制約がなければ決して目的は定まらない。制約は枠組みを絞り、条件を認識するためにある。現代人が、目的を喪失している大きな原因は、自己に課せられた制約を嫌っているからに他ならない。…自分捜しや、無気力は、自由を失うと思って制約を嫌う錯覚から生じている。…制約が多いほど大きな夢を持つことができる。夢とは一つ一つ乗り越えた先の到達点を示す言葉なのだ。制約がなければ、自由も夢も輝きを持たない。制約とは、未来に向かって課せられている自己の進むべき道筋を言う。…制約が自由意思を奪う、と錯覚され遠ざけられたことで、自由に甘やかされて育った人間が増え、魅力のない無個性な人間が溢れている」
執行草舟著「生くる」
そうだ、船上・海の上で一生をおくったこのピアニストは、まわりの人間や他人がどう思おうと断じて幸福だったに違いない。読み終えた後の思考が宙を舞うような奇妙な感覚は、奥底でそれと認識した心の疼きだったのかもしれない。しかし残念なことに、邪魔なもの・捨てさるべきものが多過ぎるせいか、それは未だ埋もれたまま実感するに至っていないようだ。
<クルーズ船と船旅について>
近年いわゆる豪華客船による船旅は人気上昇の一途を辿っていた。過去形なのはコロナ騒ぎによって壊滅的状態になったからである。しかしコロナがほぼ収束した2023年以降、順調に復活を遂げていることは、日本に入港する客船の数をみても明らかだ。
コロナ以前は毎年のように新たな客船が就航、年々大型化し、もはや10万トン以上が当たり前という時代、2023年は横浜・大黒ふ頭にMCSクルーズ・べリッシマ17万㌧が何度も出入りを繰り返している。17万㌧ともなると大きすぎて横浜ベイブリッジの下を客船が通過できない為 大桟橋ではなく大黒ふ頭の利用となるのである。その為 QEⅡや飛鳥であれば通常 大桟橋の利用する。
客船が巨大化すればするほど一見して豪華になり期待に胸膨らむ。それはもはや海上を移動する一つの小さな「街」のようでもある。
「…何事も起こらないような穏やかな街の片隅でも、物語は次々に生まれ、そして、ひっそりと消え去っていくのだ」
西江雅之「異郷日記」
客船の大型化が進むにつれ、その一方で実は不便もそれに比例して大きくなるという事実が忘れ去られている。例えば自分の船室がたまたま船尾近くに位置していたとする。しかしメインダイニングは通常 眺めの良い船頭に設けられるケースが多い。するとどのようなことが起きるか。そう、食事の度に片道10分近く船内を端から端まで歩く必要が生じる。これは実際に経験しないことにはその負担をイメージしにくいかもしれないが、朝食のために毎回行ったり来たりすることに本当にウンザリさせられた。船が大型化するということは船室も増える、必然的に乗客も増える。例えば前述のMSCべリッシマ17万㌧の定員は5500名以上、すると乗下船時はどうなるか想像してみて頂きたい。客船の出入口は横浜スタジアムみたいに沢山ないのだ。混雑解消の為に階数ごとに下船時間を指定される。更に直接桟橋に接岸できない寄港地では、沖合でテンダ―ボートに乗り換え上陸する必要があり、待ち時間が長くなるのに比例してストレスも増幅する。
こうした船内の移動や乗下船時の待ち時間以外にも意外な盲点がある。それは食事だ。一応 24hいつでも何か食べられるし、一見すると確かに豪華ではあるけれども、同じ厨房(料理人)によって作られた食事を1日3回何日間も食べ続けるというのは、想像以上に飽きがくる。例えメニューが変わったとしてもどこか似てしまうのは避けようもない(その点日本の飛鳥は和食が充実しており飽きることはない、しかし乗客は日本人ばかりで日本にいるのと大差ないという別の短所もある…)ビュッフェレストラン以外に着席でコース料理をサービスするレストランもあるが、こちらも一方的に時間指定され定員に近い数の乗客であれば3回転となる為、最初なら17時半頃、最後なら夜21時頃から夕食の可能性もある。それが嫌ならビュッフェ or 有料レストランでの食事をすることもできなくはないのだが。
これまでの自身の経験から言えば『コスタ』『MSC』等大手の大型カジュアル船よりも『シルバーシー』というラグジュアリーな小型船の方がはるかに快適で優雅な船旅を体験できた。正真正銘の豪華客船である。こうした客船の場合 前述したような不便さも全て消失してしまう。食事はいつでも好きな時間に食べられるし、乗下船時に並ぶことも皆無、自身が乗船した船は全室バスタブ付きであった。いうまでもなく客層もすこぶる良好、しかしながら料金もとっても素敵なので、懐と要相談、それさえ許すなら『シルバーシー』を強く推します。
参考までに大型カジュアル船には窓のない内側船室も存在するが、全くお勧めしない。そもそも 海の眺められない船室で船旅をする意味はあるのだろうか、と思ってしまう。
いずれにしろ連日ホテルを転々とするのとは対照的に、部屋の移動がないという点は、船旅最大の長所である。夜寝ている間も粛々と航行を続け、車のような渋滞の心配は皆無、寄港地ではオプショナルツアーの観光が用意されているから、必要に応じて申し込めばよい。少なくとも中心部までのシャトルが運行される。あるいはクルーズを組み込んだパッケージツアーもあるが、それらは往々にしてあらかじめ めいっぱい観光を組み込んでいる場合も少なくなく、せっかくの夜のシアターショーも楽しめないほどに忙しかったりする。本当は全ての観光に無理に参加する必要はないのだが、元々の予定に入っていると思うとせっかくだから行っておこう…という気持ちになってしまうのが人間の心理のようである。
せっかくの船旅、のんびりゆったり滲んだ水平線を眺めながら寛ぎたいものだ。
船はゆっくりゆっくり進路を変えていた。波間に鐘が鳴りわたり、水蒸気が空に向かって勢いよく噴きだした。鷗が舞いあがった。鷗は白い紙の断片にようにひらひらと飛び去っていった。耳の底のほうで響くのが船の蒸気機関の音なのか、それとも自分の心臓の音なのか、…判断ができなかった。
マンスフィールド著「見知らぬ人・The Stranger」
航海をすることが必要なのだ。生きることは必要ではない。