至福の読書・魅惑の世界旅行

読書の海・世界の空  海外添乗歴30年  元添乗員の読書&海外旅行案内

アントワープ「フランダースの犬」ヴィーダ

・パトラシエ(パトラッシュ)の胸に大きな愛が目ざめた。それは命あるかぎり一度もゆるがなかった。しかしパトラシエは犬なので、ただ、恩に深く感じていた。

・‥犬はあまりの悲しさにそのそばに横たわって死んでしまいたかったが、子供が生きていて、自分、パトラシエを必要とする間は負けて倒れてはならなかったのだ。

・彼は自分が路傍の溝で病気で死にかかっているのを老人と子供に発見されたあの過ぎさった昔を忘れなかった。

・この世に生きながらえるよりもふたりにとって死のほうが情け深かった。愛には報いず、信じる心にはその信念の実現をみせようとしない世界から、死は忠実な愛をいだいたままの犬と、信じる清い心のままの少年と、この二つの生命を引きとったのである。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 日本ではTVアニメであまりにも有名な少年ネロと愛犬パトラッシュの物語。アニメはもちろんのこと実写版の映画でも主人公はネロ少年だが、原作はどちらかというと「犬」の存在が大きい。そもそも本のタイトルが、フランダースの「犬」なのだ。「恩」に報いようと懸命に生きるその姿はまさに武士、忠犬ハチ公以外のなにものでもない。

 原作は英国人の女流作家による。新潮文庫では併せて「ニュルンベルグのストーブ」が収められているが、こちらはスカッとするハッピーエンドの物語。いずれも少年少女文学に分類されるが、大人が読むに耐えうる良書。

 話しの舞台はベルギーのアントワープ、ベルギー出身の作家が書いたあまりにも有名な本に「青い鳥」がある。同様に子供向けのようでありながら奥が深い。

「…どうして死んでしまっているものかね。お前たちの思い出の中で立派に生きてるじゃないか。人間はなにもものを知らないから、この秘密も知らないんだねえ。…死んだ人でも、だれかが思い出しさえすれば、生きてたころと同じように幸福に暮らしてるんだということ…」

「…あの鳥青いよ。だけどぼくのキジバトだ。でも、出かける前よりずっと青くなってるよ。なんだ、これがぼくたちさんざんさがし回ってた青い鳥なんだ。ぼくたち随分遠くまで行ったけど、青い鳥ここにいたんだな」

  <ザ・グルメ・カントリー>

 「フランダースの犬」の舞台はベルギーのアントワープ。物語の中でも登場するように画家ルーベンスの活躍した町だ。しかしこの町で最も印象に残っているのは、花より団子、屋台のフライドポテトだ。冷凍でない生のじゃが芋を揚げたフライドポテトは目から鱗の美味しさであった。因みに日本や米国ではフライドポテトにケチャップだが、ベルギーやオランダではマヨネーズ、英国はビネガー(酢)、フランスは塩が定番、所変われば…である。

 そう、ベルギーは知る人ぞ知るグルメの国である。首都ブリュッセルの一人当たりのレストランの数は世界一とも言われているし、ミシュランの星付きレストランの数もフランスより多い。フランスよりレストランの平均的レベルが高く外れも少ない。代表的なムール貝の白ワイン蒸しは日本人好みのメニュー、ワ―テルゾーイというチキンのクリームシチューも同様だ。しかし個人的に最もオススメしたいのは、チコリのグラタンだ。白菜にも似たチコリの旬は秋から冬の為、夏場に訪れると食べられる店はかなり限られてしまう。初夏の白アスパラや秋のジビエも季節限定メニューだが、小エビのトマト詰めやコロッケ通年メニューも豊富にあり、何しろ美味しいものが多数存在するので季節を問わず一年中楽しめる。スイ―ツにサクサクした食感のベルギーワッフルははずせないし、チョコレートが有名な国だからチョコレートムースも捨てがたい。余り知られていないけれどもブドウパンもオススメ。ホテルの朝食に並んでいることが多い。ベルギーの食は奥が深い。

 飲物ではサクランボとかイチゴとかフルーティなビールでも知られている。ドイツ人やチェコ人からすると邪道と言われそうなビールだし、正直 チェコやドイツのビールの方が美味しい。しかしそれは数あるビールの一部であって、最も一般的に飲まれているのはドイツと同じピルスナ―タイプの普通のビールだ。

 食べ物のことばかり書いてしまったけれど、ベルギーの見どころ?それはもちろんブリュッセルのしょんべん小僧だ。確かに間違いなく見どころではあるが、実は世界三大ガッカリの1つと言われている。なぜガッカリなのか?それはその大きさにある。ガイドブックの写真を見るとそれだけがアップになっている為 実際の大きさがわかりにくい。従って頭の中で勝手にもっと大きなものを想像してしまうのだろう。実際に実物を目の前にすると多くの観光客はその小さなサイズに拍子抜けしてしまうのだ。そしてそれと同じことが、コペンハーゲンの人魚の像とシンガポールマーライオンにも言える。ヨーロッパに限定すればマーライオンにとって代わりライン川クルーズのローレライの岩が登場する。なぜならそれは何の変哲もないただの崖なのだ。しかし!である、最初からガッカリすることを期待して見に行けば、それはもうガッカリではなく期待通りと言えませんかね、詭弁かもしれませんが。少なくともこれを読んでどの位 小さいか見に行きたくなった人がいるんじゃないですか…思い立ったら吉日です。

 

 

 

 

バーデン・バーデン「賭博者」ドフトエフスキー

・真のジェントルマンは、たとえ自分の全財産をすってしまっても、動揺してはならないのだ。金銭なぞはそれほどジェントルマンシップより低いものであって、そんなものに頭を悩ます必要はほとんどないのである。

・…いったんこの道に踏みこんだ者は、雪山を橇で滑り下りるようなもので、ますますその早さが増すばかりなのだ。

・それにしても、ここでは時として、なんという恐ろしい運命の嘲笑に出くわすことだろう!

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 賭博というこの悪魔的な娯楽が、いかに容易に人の人生を狂わし転落させるかということ、また人間がいかに欲に流されやすい弱い生きものかということが端的に表現された小説。

 小説の解説によると、作者ドフトエフスキーにはヨーロッパ旅行中、各地のカジノで狂ったようにルーレットをし続け、ドイツの温泉保養地バーデン・バーデンで偶然会ったツルゲーネフから借金をしたり、時計を質に入れたり、兄に送金を無心したりしたという経験があるらしい。この小説が本人の体験に基づいていることは疑いようもない。自分に言い聞かせるかのように執筆する姿が目に浮かぶようだ。

 それが例えスロットやルーレット程度であれ、たった一度でも経験した人にとって、止めどきがいかに難しいということを知らない人はいないであろう。賭けごとの怖いところである。少しでも勝つととたんに もっともっとという欲が止めるという冷静な判断を喪失させてしまう。人間の欲はヒマラヤより高く、日本海溝よりも深い。

 

どんなでたらめをやっても、心さえ歪んでいなければ、最後は必ず正しい道に到達すると思っている。by ドフトエフスキー

人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。by 坂口安吾

    <温泉保養地&カジノ>

 ヨーロッパには古い火山脈が横切っており、太古の火山活動の名残りとして今でも各地で温泉鉱泉が湧き出ている。それはロンドンの南西バースの辺りから中欧ハンガリーの辺りまで伸びており、さしずめ温泉銀座といえる国がドイツだ。ドイツには地名にバッド、もしくはバーデンという単語のついた町が多数存在し、それらはいずれも温泉鉱泉が湧き出る土地で、その代表格がバーデン・バーデン、ヨーロッパ有数の高級温泉保養地だ。

 そうした保養地につきものなのがカジノである。日本でカジノと言うとマカオやラスベガスを連想しがちだが、そもそもカジノの発祥はルネッサンス時代のイタリアに遡る。(実はカジノ以外にもルネッサンス時代のイタリア発祥のものが多岐にわたり存在する)イタリア語で家の意のCASAに縮小語尾がついてCASINO、現在カラオケと同じように世界共通語的に使われているのは誰もが知るところである。かつては貴族やお金持ちの別荘で繰り広げられた娯楽の一環としての賭け事がそのそもの始まりで、その後専門のカジノが生まれてゆく。つまり元々一般庶民のものではなかったから、今でもヨーロッパのカジノには優雅な雰囲気が漂い、ジャケット・タイの着用を求められるのが一般的である。

  作者ドフトエフスキーは著作の中で「ドイツの田舎町はなんて淋しいのだろう」と登場人物に語らせている。しかし印象は人の心情に左右されるものだ。お金をすってばかりいた当時のドフトエフスキーの眼にはそう映ったのであろう。初夏 マロニエの若草色の葉が風にそよぐ季節、晩秋 枯葉が突風に舞う頃、ドイツの田舎はひっそりと穏やかでそれぞれが一枚の絵のようである。

 そんな絵になる景色を横目に、私が初めてヨーロッパのカジノを経験したのはドイツだった。しかも俗に言うビギナーズラックというやつで、まともにルールすらわかっていないのにも拘わらずそこそこ勝ってしまったものだから、憮然とした様子のギャンブラー達の視線が痛かった。そしてそのあぶく銭を握りしめ、最後の訪問地パリで同僚と一緒に白ワイン&豪華なシーフードプレートを注文した。ところが!である。生ガキにあたったらしく二人共 日本へ帰国の機内で四苦八苦する羽目に陥った。今となってはそれもいい思い出だ。

モニュメントバレー「アメリカ インディアンの書物よりも賢い言葉」エリコ・ロウ

・創世記はいまも続いている。

・思考は、矢のように放たれたら、的を射る。注意しないと自分の放った矢で倒れることになる。

・宗教はどれも神に帰る踏み石にすぎない。

・人類が忘れたことを思い出すために祈れ。

・神のへ道はいくつもある。

・神の名は無意味。世界にとって本当の神は愛なのだ。

・感謝する理由がみつからなければ落度はあなた自身にある。

・生きている間によく生きろ。

・人に与え、与えられるのが人生。

・蛙は棲む池を飲み尽くしはしない。

・死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ。

・死により私は生まれる。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ネイティブ アメリカンの格言、人生訓にハッとさせられる。中には「答えがないのも答えのひとつ」なんていう禅問答みたいなものもある。

「…わたしを惹き引けたのは、…インディアン(当時は、ネイティブ・アメリカンとは言わなかった)に関する部分だった。インディアンの子供たちが大自然の中で生きてゆく。野生の大地と向き合いながら様々な発見をし、生活の技術を身につけていく。…人は本来そうあるべきだと語ってくれるものであった」

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 米国西海岸ラスベガスを起点にグランドキャニオンやモニュメントバレーを車で廻るコースがなかなか楽しい。ゴールデンサークルもしくはグランドサークルと呼ばれる人気の観光ルートである。

 西部劇の舞台で有名な赤土のモニュメントバレーはナバホ族居留地にあり、ナバホタコと呼ばれるナバホ風タコ(ス)が食べられる。具は文字通りメキシコ料理のタコス風で、基本は大量の細切りレタスと角切りのトマト。土台は一見するとピザのように丸く平べったい、しかし焼かずに揚げたフライブレッドである。油ぎってギトギトした感じは思いの外なく、具に野菜が多いせいか意外とさっぱり食べられる。そうは言っても凄く美味しくてもう一度食べたいかと言えば、そんなことはない。だがここでしか食べられないし、話のタネに一度お試しあれ。一緒にビールといきたいところだが、残念ながら居住区内での飲酒及びアルコールの提供は禁止です。

ニューメキシコアリゾナ、ユタなどの各州。そして、メキシコの北部。これらは皆、同じ一つの偉大な空の下にある。本来は、そこには国や州の国境線などというケチなものは存在しなかった。…そこは柔らかい線に包まれた土地の起伏の上で、枯れ草が風に揺れ、大海原のようゆったり波打つ場所である。鳥や獣や虫たちの命のざわめきが、風に乗ってささやきかけてくる。人間の息使いすら、聞こえてくる場所である」

  西江雅之「異郷日記」

やっぱり、アメリカは広かった。

ポーランド「灰とダイアモンド」アンジェイェフスキ

・人間、生きているかぎり、なすべきことをやなねばならん。これが重要なことだ!

・ある人々の利益は、いつもだれか他の人びとの苦しみを代償として得られるというのが、当時のならわしだった。富は窮乏と迫害の上に増大し、生活そのものまでもが風向きしだいでどうなるともわからぬ不安定な基盤に支えられていた。

・生き残った人びとは死者を思って涙を流しながら、実はほかならぬ自分自身に涙をそそいでいるのではあるまいか?

・はっきり言っておくが、判断することを望まない人間は、つまり人間であることを望まないに等しい。しかし、自分で判断するだけの勇気をもつということは、同時に自分に忠実であるという義務を負うことだ。大げさな言い方をさせてもらうなら、これは名誉の問題だ。

・収容所は人生の縮図みたいなもので、ありとあらゆる生活上のシチュエーションと言えるものもあったし、ありとあらゆる感情や欲望もあった。ただ、それが信じられぬほど濃縮され、緊張した形で表れていただけだ。…なにが起こるにせよ、それはいつも死の一歩手前で起こっていた。実際に人間をのみつくし、生きる力を与えてきたたったひとつのもの‥それが動物的な生存本能だった。生きる意欲を失った者は死んだ。そうでない人だって死んだけれど、まっ先に死ぬのは生きる意欲をなくした連中だった。

・この世の終わりとも言えるようなぎりぎりの一線に追いつめられ、一刻一刻が最終的決断を要求する状況のもとでは、すべての人が、いちばん無関心な人でさえも、自分の希望や見栄によっでではなく、もはやなにものにもおおわれない自身の実像を露呈して、運命を選択しなければならなかった。

・「…きみの考えでは、そのあとになにが残ります?」「結構たくさんありますよ。生命は残りますから」「なるほどね、充実した生命のダイナミズム。またしてもelan vital (生の飛躍) か?」

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「灰とダイアモンド」のタイトルは19世紀のポーランドの詩人の詩の一節から引用されたものだ。アイジェイ・ヴァイダ監督によって映画化された同名の映画の方がよく知られている。原作と映画のあらすじにはいくつかの相違がみられるが、2つの大国の間で翻弄された悲痛なポーランドの歴史の1ページが綴られていることに変わりはない。原作も映画も深く余韻の残る名作である。

 本の中で語られているのは、前線の戦闘や強制収容所とかではなく、ドイツ降伏までの4日間に繰り広げられた市井の人々の生きざまだ。ポーランド第二次世界大戦で600万人という膨大な数の犠牲者を出した。しかしながら生き残った故の心痛・苦悩もまた甚大であったということを思い知らされる。それと同時に共産主義による空虚な戦いが人間にもたらした悲劇を知るのだ。とりわけ映画では、ドイツ降伏の前から既に共産主義に牛耳られつつあった当時のポーランドの不気味で不穏な空気が、名監督の手によって映像を通してこちらに伝わってくる。

「…終戦の前後を挟んで戦ひ続けて来た者達のどうしようもない空しさを描いている。そしてその空しさの原因を同法同士の同志討ちの戦いを否応なく喚起せしめた共産主義の政略に求めているのだ。A・ワイダは共産主義化する祖国の悲しみをいつでも語っているのだ。戦うことが嫌なのではない。同胞の殺し合ひと疑ひが渦巻く思想戦の非劇を描いているのだ。…人間は戦ふことが嫌なのではないのだ。真の戦ひは詩人の言葉にあるように灰の中からダイヤを生むのだ。しかし共産主義によって祖国は精神的にずたずたにされてしまった事をA.ワイダは嘆いているのだ」

執行草舟著「見よ銀幕に~草舟推奨映画」

 

「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい」  ヒトラーの言葉

 

「どんな正義をふりかざそうと、戦争がそれ以上のことをなしえたことはありません」

  長田弘著「アメリカの61の風景」

 

「…わたしたちの心の中に潜む「聖戦意識」、すなわち自己の正しさのもとに他人を裁く暴力の危うさを深く省みる必要があります。「平和」とは正しさによってもたらされるものではなく、むしろ自分が正しさの側にあるという傲慢さにたいする警戒心から生まれるものだからです」

  磯前順一「昭和・平成精神史」

 

 さてジュリーこと沢田研二自身の作詞作曲による「灰とダイアモンド」という歌がある。本や映画との関連性は感じられず、当時事務所を独立した彼の決意表明のような歌詞となっている。

「辞めるな時代に逆らうな 仮面で心理を隠してみても 僕達みんな狼だった 獣の叫びを忘れてしまい …思い出だけが友達じゃない …君の命の求めるままに」

 

 <ロマンチック!秋のポーランド

 ワルシャワは北緯52度、カムチャッカ半島の先端と同じくらい、冬は寒い、極寒だ。内陸だから氷点下は当たり前。その一方、夏は夏で日本のようにどこでも冷房の設備が整っている訳ではない為 近年はタイミングが悪いと暑くて閉口することも少なくない。

 従って個人的には観光客で溢れ返る夏のバカンスシーズンを避け、短い春と短い秋をオススメしたい。実は10月のポーランドが想像した以上に素晴らしく、好印象であった。ヨーロッパは4月から10月迄夏時間を採用している為 10月はかろうじてまだ日の入りが1時間遅く観光もしやすい。とりわけポーランドの10月は紅 (黄) 葉が実に美しく、どこへ行っても風情ある景色が1枚の印象派の絵画のようであった。またこれぞザ・ヨーロッパという趣のクラッシックかつエレガントな内装のレストランが目白押しで想定外、実に嬉しい誤算だったと言える。意外にも後から振り返って「ヨーロッパ」という日本人の漠とした曖昧なイメージに最も近かったのはポーランドかもしれない、と思うのだ。なぜならフランスやスペインはヨーロッパという前にフランスでありスペインだからだ。

 ポーランドはまた親日家の国でもある。食事はロシア料理に近く、朝食も品数豊富で日本人好みだ。朝から野菜も並び、フランスやスイス、イタリア辺りのように野菜欠乏症的ストレスを感じることもない。首都ワルシャワは空襲の被害を受けて戦後ほぼ全面的に再建したが、そう言われなければわからないほどに完璧だ。古都クラクフは被害を受けず昔のまま珠玉の旧市街の散策が楽しめる。そう、つまりポーランドを避ける理由は見当たらない。

 

 

 

 

アウシュビッツ 「アウシュビッツの図書係」アントニオ・G・イトゥルベ

・勇気がある人間と恐れを知らない人間は違う。恐れを知らない人間は軽率だ。結果を考えず危険に飛び込む。…僕が必要とするのは、震えても一歩も引かない人間だ。何を危険にさらしているか自覚しながら、それでも前に進む人間だ。

・地図帳のページをめくっていくと、世界の空を飛んでいるような気がしてくる。…広大な海や森や山脈や川や街、すべての国をそんな小さなスペースに詰め込むのは、本にしかできない奇跡だ。

・…戦争という砂漠の中でも、喜びを感じることができた。大人は決して手に入らない幸せを求めて必死にあがくが、子どもはその手の中に幸せを見いだせる。

・恐怖を噛みしめて飲み込め。そして進むのだと。勇気ある者たちは恐れを糧にする。

・将来に夢を持てないとき、人は過去にすがるのだろう。

・収容所に蔓延する失望という病のことはあまり話題にならない。だが、…あきらめた瞬間に命の灯は消え始めるのだ。

・何時間も、列になって待たされる。けれどアウシュビッツの時とは違う。ここではみんな、待つ間にあれこれ計画を立てている。怒っている人もいる。…あの頃よりずっといらいらしている。…そんな些細なことで腹を立てるのは、普通の生活に戻ったということだ。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 事実に基づいて組み立てられ、フィクションで肉付けされた物語であると、著者はそのあとがきにしたためている。

アウシュビッツ…31号棟。そのバラックができてから閉鎖されるまでの間、ユダヤ人の子ども500人が…共にそこで過ごした。そして、誰も予期していなかったことだが、厳しい監視下にあったにもかかわらず、そこには秘密の図書館があった。…たった8冊しかないとても小さな図書館だった。一日の終わり、薬や何かしがの食糧といった貴重品と一緒に、本は一人の年長の女の子に託された。彼女の仕事はそれらの本を毎晩違う場所に隠すことだった」

  アルベルト・マングェル著「図書館 愛書家の楽園」

 つまり主人公の少女は実在したユダヤ人で、プラハ生まれの彼女が9歳の時ドイツ軍がチェコに進駐、両親と共にテレジンのゲットーへ、1年後更に3日3晩飲まず食わずで貨車に揺られてアウシュビッツ第二収容所のビルケナウに送られた。彼女はホロコーストを生き抜き、晩年の彼女の短いインタビューを「テレジン収容所の小さな画家たち詩人たち」という本で読むことができる。ドイツ軍は解放直前、収容者を置いてさっさと撤退したが、その時自分たちの悪行を示す書類を集めて焼き払った。その焼け残りの書類の下に子供たちの絵が残っていた。当時それを2つのトランクに詰めてプラハに持ち帰った人物がいたのである。しかし彼女を含むテレジンの子供たちが残した4千枚の絵と数十枚の詩の原稿は、戦後の混乱で、プラハユダヤ人協会の地下室に20年間眠っていた。それら子供が描いた絵の中に絞首刑の絵がある。そしてその絵を描いた12歳の少年はアウシュビッツで短い生涯を終えた。広島へ行って原爆記念館を訪れた日本人が米国を憎く思うように、この衝撃的な絵を見るにつけてイスラエルモサドが戦後アイヒマンを執拗に追いかけたのもおおいに合点がいくのである。

 世界で初めて強制収容所が誕生したのは南アフリカボーア戦争だと何かの本で読んだ記憶がある。環境は劣悪、衛生状態の悪さは筆舌に尽くしがたいものだったという。まともな食事のも与えられず、やがて疾病、特に肺炎やチフスで次々に命を落としたといわれている。これが後のナチスドイツの悲劇へと続いたのだ。

 ベニスの商人の舞台でユダヤ人のシャイロックが放つセリフ

「私はあなた方のように食べ、眠り、息をしないとでも?あなた方のように血を流すことがないとでも?」

 <観光地としてのアウシュヴィッツ

 強制収容所の代名詞とも言えるアウシュヴィッツが、ドイツではなくポーランドにあることを認識している日本人ははたしてどれくらいいるのだろう?と思う。広くドイツ語のアウシュヴィッツで知られているが、ポーランド語ではオビシエンチムという。

「…車は、1940年から1945年の間におよそ400万人にもおよんだ死者となるべきユダヤ人を運んでいった線路をこえて、アウシュヴィッツというドイツ名で知られるオビシエンチムの町のなかへ、ゆっくりとはいっていった。オビシエンチム~ポーランドの南の国境にちかいちいさな町である。

アウシュヴィッツ収容所は、今日の観光団体の名所めぐりのひとつとなっていた。…収容所の門をくぐると、そこはすでに、収容所跡というにはあまりにもきちんと手のくわえられた収容所「博物館」となっているのだった。…公開されている赤煉瓦の建物のあいだを、ガイドに引率された観光客たちが賑にぎしく、ぞろぞろと歩きまわっていた。それは、しかし、なんと奇怪な観光名所だったことだろう。…正視しがたい展示品が、悪い夢のように、暗い部屋のなかに無言のままひろげられていた…

今日ほんとうに怖しいのは、それらの恐怖と悲惨の記念品である以上に、…信じがたい大量虐殺をすらもはや現在において観光の対象としてしまっているわたしたちの戦後というもののありようではないか。これはまちがいだ、わたしたちは戦後「記憶」というものをこんなふうなしかたでひどくまちがったものにしてきてしまった…ここにいるわたしたちは何なのか?」

  長田弘著「アウシュヴィッツへの旅」

 故長田氏がアウシュヴィッツを訪れたのは半世紀近く昔のことである。著者が近年の様子を見たら、それこそ腰を抜かさんばかりに驚くだろう。拡張された大型バスの巨大駐車場からぞろぞろと続く団体客の波、赤煉瓦の博物館前で入場の順番を待つ人の渦。

当時長田氏が感じたと同じ違和感は、恐らくそこを訪れた多くの人が皆、頭の片隅で同じように感じているように思う。観光客だけを切り取ってみれば、ディズニーランドと何ら変わらない、大半の人々が、まあこんなものかとやり過ごす。ホロコーストの現場にいながら、あえて万人の死と向き合いずらくさせているかのような不自然な据わりの悪さに気づかないふりをしている。

 確かに現在のアウシュヴィッツは観光地ではあるけれども、なんだかんだ言って一般的な観光地とはもちろん違う。かなりへヴィーというか、物見遊山で訪れるような場所では全くない。とりわけ霊媒体質というか、敏感な方は近寄らない方が賢明(詳しくは書けませんけど…色々あります)因みに 一般的なポーランドのツアーではクラクフで2連泊することが多く、午前中にクラクフ半日観光、午後は自由時間、オプショナルツアーでアウシュヴィッツを訪れる選択肢が設けられている事が多い。

 

 

 

アイルランド「ケルト人の夢」マリオ・バルガス・リョサ

・それは彼の最後の情熱、最も激しく、揺るぎない情熱、彼を憔悴させた情熱、そして彼を死に至らしめるであろう情熱だった。『泣き言は言わないぞ』と彼は繰り返し自分に言い聞かせた。何世紀にも及ぶ抑圧が、アイルランドにあまりにも多くの苦しみと不正をもたらし、この気高い大義に自分を捧げることには価値がある。

「白か黒かはっきりしたことなんて何もないのよ、ロジャー」

・「コンゴで学んだことがあるとすれば、人間ほど残忍で始末に負えない動物はいないということです。 …コンゴの奥地へ入っていった3ヶ月と10日の旅の後、ふたたび祈るようになりました。辛いことが多すぎて、気が狂うと思っていたころです。それで、人は信じることなしには生きていけないということに気づいたんです」

・…あの世というものが存在し、死者の魂がそこから生者のはかない人生を眺めているとすれば、きっと今この時も…ずっと僕を見守ってくれているにちがいない。

・…神の考えは人の理性と言う限られた場所には収まらない。そこに押し込むにはヘラを使わなければならない、なぜなら決して全体が収まりきることはないからだ。

「神に関することは考えるのではなく、信じなければならない。…考えると、神はふっと吐いた煙草の煙みたいに消えてしまうのさ」

・「我々は誰もが死を恐れていると思います。しかし、死は至る所に存在します。…祖国のために戦って死ぬのは、家族のためあるいは信仰のためと同じくらい価値がある」

穏やかな気持ちだった。これまで何日、何週間と突然震えをもたらし、背筋を凍りつかせた恐怖は、すっかり消え去っていた。今や平静な気持ちで死に向かうことができると確信した。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 かつてこんなアイルランド人がいたことは殆ど知られていない。主人公のロジャー・ケイスメントは外交官としてアフリカ・コンゴと南米・アマゾンに赴き先住民への虐待告発に注力、帰国後は母国アイルランド独立に奔走した人物だ。結果、大英帝国から反逆罪で逮捕され処刑された。享年52才。コンゴと南米、志半ばで人生に終止符が打たれる等 チェ・ゲバラを彷彿とさせるが、チェ・ゲバラがこの世に生を受けたのはロジャーの死の12年後、チェ・ゲバラと違い日本では無名に近い。

 結末がわかっているが故に、読んでいる途中からやるせない切ない気持ちがつのる。彼の死後百年余りを経てノーベル賞作家がその生涯をしたためた鎮魂の一冊だ。

 アイルランドはヨーロッパの辺境・大英帝国の隣りという立地条件も災いし、多くの苦難が立ちはだかる試錬の道を歩んできた国だ。じゃが芋飢饉の遠因ともなった大英帝国の圧政による弾圧と迫害。その反面、こうした逆境が困難に立ち向かうアイルランド魂を培う結果に繋がったと言えなくもない。主人公を通して著者は次のように考察する。

「彼らはその禁欲主義、勤勉さ、辛抱強さによって植民者の圧倒的な存在に抵抗し、自分たちの言語、習慣、信仰を守り抜いてきたのだ。…彼らのおかげでアイルランドは消滅せず、いまだに一つの国なのだ」

同じアイルランド人で詩人のイェイツの次のような言葉も引用している。

「私に言わせれば、ロジャー・ケイスメントは自分がなすべきことを行ったのだ。彼は絞首刑で死んだが、それは少しも目新しいことではない」

 

『…アイルランド革命で、同志がみんな処刑されたときに詠んだ詩の中の言葉です。革命に燃えた人たちが殺されたことによって、イェイツは「恐るべき美が生まれた」ということを詩の中に書いている』

『歴史を見れば分かりますが、歴史は身を捨ててきた人間たちの世界です』

 執行草舟著「現代の考察」「日本の美学Ⅰ」

 

 遅ればせながら主人公の冥福を祈ると共にアイルランドという国に敬意を表したい。どの国も彼のような、その多くは無名の人々の犠牲の延長線上に「今がある」ということを我々は深く認識すべきなのだろう。

 そしてそれ以上にヨーロッパ発展の陰で艱難辛苦を味わされたアフリカの人々、南米の先住民の存在をも。人権活動家でもあった主人公は次のように自問する。

コンゴとアマゾンは、遠く隔たっていながらも同じ臍の緒で繋がっていると…思った。利益に目がくらむと、残忍な行為はわずかに形を変えるだけでふたたび繰り返される。それは生まれたときから人に備わる原罪であり、果てしない悪のひそかな源である」

過去から現在迄 欲望に飲み込まれた人間はきっと星の数ほどいる。魂の力で欲望を使いこなすこと、そうしなければ人類はもはや動物と一緒らしい。

『実社会の経験はすべて欲望であって…魂の力とは成り得ないのです。…この地上というのは、我々が物質と認定しているものしか感知できない。魂は宇宙に通じるものなのだけれども、肉体というのは地球の物質です。我々の感覚というのは動物と同じで、我々の五感に触れるものしか感ずることが出来ない。…この物質社会というのはすべて欲望で動いている。…欲望だと分かっていないと欲望に食われてしまうのです。…欲望というものは、魂によって使われるものでなければならないということなのです。人生を生きる上で用いるその使用価値が欲望なのです。…欲望というのは生きるための道具なのです。…今は欲望のことを志、憧れ、夢だと思っている。とんでもないです。人間の志というのはそういうものではない。魂が行なうものです』

  執行草舟著「日本の美学Ⅰ」

 

アイルランド魂とケルティック・タイガー>

 本のタイトル「ケルト人の夢」はアイルランドが英国から独立を果たすことを指す。1937年アイルランドは念願の独立を果たしたものの、長年にわたる大英帝国の影響は計り知れないものがあると実感したのは、他でもない彼の地を初めて踏んだ時だ。著者の見解とは少々異なり、アイルランドは一から十まで殆ど英国と変わらない印象だった。違ったのはフレッシュなギネスビールの味くらいだろうか。あらゆる点において英国の影響が色濃く影を落とし、食事・風習に始まって、国の要となる言語、彼らの母国語・ゲール語はもはや風前の灯だ。ケルトらしさみたいなものは容易には感じられず、正直がっかりした。英国とは違うアイルランド固有の「何か」を期待していたが、ケルトの名残りはもはや墓碑のケルト十字くらいにしか見られなかった。

 その一方、アイルランドは郷愁というか、しみじみとした懐かしさを感じさせる不思議な魅力ある島だった。忘れていたようで実はそうではなかった遠い日の記憶、在りし日の夏にまだ幼い自分が肌で感じたあの一瞬が蘇る感覚を侮ることはできない、また行きたい気持ちがふつふつと沸き起こってくるのだ。

 そんなアイルランドにもやがて日本のバブル期を思わせるキラキラした時代が訪れる。1995年から2007年頃迄のアイルランドは目覚ましい経済成長を遂げ、それはケルトの虎、ケルティック・タイガーと呼ばれた。しかし日本同様 2008年にはバブルもはじけ、その後は一進一退といったところだ。

 それでも彼らには荒波を乗り越えてきた長い歴史がある、逆境に強く、へこたれない不屈の精神・アイルランド魂がある。そしてそれはある意味、最もアイルランドらしいケルトの宝と言えるのではないか。日本に大和魂はまだ残っているか?

ケネディ関係の本を読んでいて分かることは、この人が一番大切にしていたのが、やはりアイルランド魂だということなのです。…アイルランド魂というのは、何にも頼らない自助努力と独立自尊の精神です」

  執行草舟著「日本の美学Ⅰ」

 閑話休題アイルランドでギネスビール以外に美味しかったものというと「バター」が思い浮かぶ。実際お隣り英国を旅していると、ホテルの朝食や町の飲食店でアイルランド産バターが当たり前のように出てくることは決して珍しいことではない。当然アイルランド滞在中は、毎日パンに芳醇なバターをこれでもかとたっぷり塗りまくって食べる。更にアラン島の滋味溢れる生牡蠣、酸味の強いルバーブを使ったスイーツもさっぱり美味しい、アイリッシュシチューは当たり外れがあるので複数回試すことをオススメする。

いざ行かん、今こそヨーロッパの辺境、アイルランドへ!

 因みに本の中で主人公が最初に出向いたコンゴ(旧ザイール)には行ったことがない。恐らく今後も行くことはないだろう。一方、アマゾンは肉を餌にして釣ったピラニアが船内ですぐ調理され昼食に出されたピラニアの唐揚げの印象が余りにも強い。とにかくピラニア釣りのインパクトがすご過ぎてそれ以外のことは余り覚えていないのだが、熱帯雨林のジャングルで蒸し暑さが半端なかったは覚えている。