至福の読書・魅惑の世界旅行

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ポーランド「灰とダイアモンド」アンジェイェフスキ

・人間、生きているかぎり、なすべきことをやなねばならん。これが重要なことだ!

・ある人々の利益は、いつもだれか他の人びとの苦しみを代償として得られるというのが、当時のならわしだった。富は窮乏と迫害の上に増大し、生活そのものまでもが風向きしだいでどうなるともわからぬ不安定な基盤に支えられていた。

・生き残った人びとは死者を思って涙を流しながら、実はほかならぬ自分自身に涙をそそいでいるのではあるまいか?

・はっきり言っておくが、判断することを望まない人間は、つまり人間であることを望まないに等しい。しかし、自分で判断するだけの勇気をもつということは、同時に自分に忠実であるという義務を負うことだ。大げさな言い方をさせてもらうなら、これは名誉の問題だ。

・収容所は人生の縮図みたいなもので、ありとあらゆる生活上のシチュエーションと言えるものもあったし、ありとあらゆる感情や欲望もあった。ただ、それが信じられぬほど濃縮され、緊張した形で表れていただけだ。…なにが起こるにせよ、それはいつも死の一歩手前で起こっていた。実際に人間をのみつくし、生きる力を与えてきたたったひとつのもの‥それが動物的な生存本能だった。生きる意欲を失った者は死んだ。そうでない人だって死んだけれど、まっ先に死ぬのは生きる意欲をなくした連中だった。

・この世の終わりとも言えるようなぎりぎりの一線に追いつめられ、一刻一刻が最終的決断を要求する状況のもとでは、すべての人が、いちばん無関心な人でさえも、自分の希望や見栄によっでではなく、もはやなにものにもおおわれない自身の実像を露呈して、運命を選択しなければならなかった。

・「…きみの考えでは、そのあとになにが残ります?」「結構たくさんありますよ。生命は残りますから」「なるほどね、充実した生命のダイナミズム。またしてもelan vital (生の飛躍) か?」

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「灰とダイアモンド」のタイトルは19世紀のポーランドの詩人の詩の一節から引用されたものだ。アイジェイ・ヴァイダ監督によって映画化された同名の映画の方がよく知られている。原作と映画のあらすじにはいくつかの相違がみられるが、2つの大国の間で翻弄された悲痛なポーランドの歴史の1ページが綴られていることに変わりはない。原作も映画も深く余韻の残る名作である。

 本の中で語られているのは、前線の戦闘や強制収容所とかではなく、ドイツ降伏までの4日間に繰り広げられた市井の人々の生きざまだ。ポーランド第二次世界大戦で600万人という膨大な数の犠牲者を出した。しかしながら生き残った故の心痛・苦悩もまた甚大であったということを思い知らされる。それと同時に共産主義による空虚な戦いが人間にもたらした悲劇を知るのだ。とりわけ映画では、ドイツ降伏の前から既に共産主義に牛耳られつつあった当時のポーランドの不気味で不穏な空気が、名監督の手によって映像を通してこちらに伝わってくる。

「…終戦の前後を挟んで戦ひ続けて来た者達のどうしようもない空しさを描いている。そしてその空しさの原因を同法同士の同志討ちの戦いを否応なく喚起せしめた共産主義の政略に求めているのだ。A・ワイダは共産主義化する祖国の悲しみをいつでも語っているのだ。戦うことが嫌なのではない。同胞の殺し合ひと疑ひが渦巻く思想戦の非劇を描いているのだ。…人間は戦ふことが嫌なのではないのだ。真の戦ひは詩人の言葉にあるように灰の中からダイヤを生むのだ。しかし共産主義によって祖国は精神的にずたずたにされてしまった事をA.ワイダは嘆いているのだ」

執行草舟著「見よ銀幕に~草舟推奨映画」

 

「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい」  ヒトラーの言葉

 

「どんな正義をふりかざそうと、戦争がそれ以上のことをなしえたことはありません」

  長田弘著「アメリカの61の風景」

 

「…わたしたちの心の中に潜む「聖戦意識」、すなわち自己の正しさのもとに他人を裁く暴力の危うさを深く省みる必要があります。「平和」とは正しさによってもたらされるものではなく、むしろ自分が正しさの側にあるという傲慢さにたいする警戒心から生まれるものだからです」

  磯前順一「昭和・平成精神史」

 

 さてジュリーこと沢田研二自身の作詞作曲による「灰とダイアモンド」という歌がある。本や映画との関連性は感じられず、当時事務所を独立した彼の決意表明のような歌詞となっている。

「辞めるな時代に逆らうな 仮面で心理を隠してみても 僕達みんな狼だった 獣の叫びを忘れてしまい …思い出だけが友達じゃない …君の命の求めるままに」

 

 <ロマンチック!秋のポーランド

 ワルシャワは北緯52度、カムチャッカ半島の先端と同じくらい、冬は寒い、極寒だ。内陸だから氷点下は当たり前。その一方、夏は夏で日本のようにどこでも冷房の設備が整っている訳ではない為 近年はタイミングが悪いと暑くて閉口することも少なくない。

 従って個人的には観光客で溢れ返る夏のバカンスシーズンを避け、短い春と短い秋をオススメしたい。実は10月のポーランドが想像した以上に素晴らしく、好印象であった。ヨーロッパは4月から10月迄夏時間を採用している為 10月はかろうじてまだ日の入りが1時間遅く観光もしやすい。とりわけポーランドの10月は紅 (黄) 葉が実に美しく、どこへ行っても風情ある景色が1枚の印象派の絵画のようであった。またこれぞザ・ヨーロッパという趣のクラッシックかつエレガントな内装のレストランが目白押しで想定外、実に嬉しい誤算だったと言える。意外にも後から振り返って「ヨーロッパ」という日本人の漠とした曖昧なイメージに最も近かったのはポーランドかもしれない、と思うのだ。なぜならフランスやスペインはヨーロッパという前にフランスでありスペインだからだ。

 ポーランドはまた親日家の国でもある。食事はロシア料理に近く、朝食も品数豊富で日本人好みだ。朝から野菜も並び、フランスやスイス、イタリア辺りのように野菜欠乏症的ストレスを感じることもない。首都ワルシャワは空襲の被害を受けて戦後ほぼ全面的に再建したが、そう言われなければわからないほどに完璧だ。古都クラクフは被害を受けず昔のまま珠玉の旧市街の散策が楽しめる。そう、つまりポーランドを避ける理由は見当たらない。