至福の読書・魅惑の世界旅行

読書の海・世界の空  海外添乗歴30年  元添乗員の読書&海外旅行案内

クスコ・マチュピチュ 「モーターサイクル・ダイアリーズ」「ふたたび旅へ」チェ・ゲバラ

 《 モーターサイクル・ダイアリーズ 》

・この「果てしなく広い南アメリカ」をあてどなくさまよう旅は、思った以上に僕を変えてしまった。

・…ぬかるんだ地面を果てしなく何時間もさまよってから、いきなり林が消えて平地に出た。大きな鹿が流れ星のように川を横切り、昇りつつあった月に銀色に照らされたその姿は茂みの中に消えた。僕らの胸に「自然」が触れた。この時僕らも共有していた野生の聖域の平和を邪魔しないように、おそるおそるゆっくりと歩いていった。

・雪を戴いた山々が四方八方から僕らを見つめており、文明化したビクーニャ(野生のラクダ科の動物)が自分たちを攪乱させる存在から素早く逃げていった一方で、リャマやアルパカの群がトラックの歩みを無関心に見つめていた。

・…気の進まない旅行者になって、この都市を表面的に通り過ぎ、鉛色の冬の空の美しさの中で楽しむことへと誘うクスコだ。けれども、その歴史遺産の中にこの地方を征服した戦士たちの恐るべき気力をのぞかせている、感動に打ち震えるクスコもある。

・…考古学的・観光的な重要性において、この地域のあらゆる場所をしのぐのは、マチュ・ピチュである。…実際のところ、どれがこの都市の原初の起源だったのかはたいして重要ではないし…そんな議論は考古学者たちに任せておいた方がよい。…この景色は、ここの遺跡の間を意味もなく徘徊する夢追い人や、あるいは、旅慣れた北米人を恍惚とさせるのに必要な環境を提供している。

・カクテルのシェーカーのように揺れる飛行機に乗っての快適な旅のあと、ボゴダに着きました。(コロンビアから母親への手紙)

《 ふたたび旅へ・第2回アメリカ放浪記 》

・…どんな困難にぶつかったって、またその上に喘息の発作が起きたって、耐え抜くことができると自覚が持てた…

・政治的な出来事といえば、キューバ人革命家のフィデルカストロに出会ったこと。若くて聡明で、非常に自信家であり、普通では考えられないような勇敢さを持った青年だ。お互いに気が合ったと思う。

ラテンアメリカの希望を現実のものとする人間は、大きな歴史的責任を負っている。…暴力には武力でもって応えるべきときがきたのだ。

・新しい国に行っても、もうそれはその土地を歩き回ったり、博物館や遺跡を見たりするためじゃなくて、それにとどまらず…人民の闘いに身を投じていくためなんです。(母親への手紙より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 チェ・ゲバラ23才医学生時代の南米大陸横断旅行の日記であり、映画化もされた。同行者は仲の良い友人で医者のアルベルト、移動手段は古ぼけたバイク、そのバイクが使い物にならなくなってからはヒッチハイク、極一部船や母親への手紙に書かれているように空路も利用した。

 続いて早くも翌年2回目の旅へ出発、日記の内容が変貌していることに気づくであろう。半分以上が南米各国の社会情勢や政治関連となり、そしてそのままキューバ革命への参加と続くのだ。

 チェが残した日記、回顧録、もしくは手紙など相当な分量になるが、読書好きだったチェの文学的素養が垣間見れる。革命家の道を選択していなければ順当に医者の道を歩んでいたであろうことは想像にかたくないが、新聞記者やジャーナリスト、もしくは著述家でもいけそうな若きアルゼンチン医学生の生き生きとした文章には、まばゆいばかりの未来が見え隠れしている。その十数年後に革命の道半ば39才という若さで銃殺される未来が待ちうけていることを一体誰が想像したであろう。

 最初の旅は母国アルゼンチンからスタートし、隣国チリへ、更に北上しペルーでは人気の観光地でもあるクスコやマチュピチュも訪れている。チリの湖畔の村を訪れた際にチェは「観光地として”開拓”されて生き残りが保障されたその日、暮らしにくい気候と交通の便の悪さに打ち勝った」と、23才の学生とは思えない実に冷静、かつ的確な感想をもらしているが、クスコやマチュピチュにおいても彼の見立てと同様のことがいえる。

     <ペルーあれこれ>

 チェは友人に宛てた手紙で次のようにしたためている。

「くどいようですが、できればすぐにでも、あのあたり、特にマチュピチュには行ってみることをお勧めします。絶対、後悔しないこと請け合いです」

 マチュピチュの遺跡は日本でも知名度・人気とも常に上位に位置する観光地、いつか行ってみたいという願望をもつ人も数多い。しかしその希望を実現させるにあたり、いくつかの越えなくてはいけないハードルがアンデス山脈ほど高くないかもしれないが立ちはだかっている。

 まず第1にマチュピチュ自体が遠いということ。直行便はなく米国経由が一般的である。ペルーに着くまでに機内食4回、時差で到着前からフラフラだ。往復に3日とられる為 ある程度の観光をこなすには最低8日は必要、極めて効率的に組まれたパッケージツアーで最低8日、個人旅行であれば プラス1-2日 もしくはナスカの地上絵などどこかの見学を省くしかない。そんなに長く仕事を休めないという方は、現役の間はペルーは潔く諦めよう。何しろマチュピチュ迄はリマから国内線でクスコへ飛び、そこから列車に揺られ、最寄駅で下車後は乗合のシャトルバスでいろは坂のようなヘアピンカーブの山道を上るという、気の遠くなるほどに長い道のりなのだ。旅行期間にしろ費用にしろハワイのようにはいかないということはご理解いただけるであろう。

 次に体力的な問題があげられる。マチュピチュは標高2,800メートルにある遺跡で、3時間程度徒歩で坂道と石段を歩く。現在海外旅行の主流は中高年であるが、マチュピチュに行くなら1年でも早くと言われる所以である。

 そしてそれ以上に抜き差しならない要素として高山病があげられる。スイスのように高い山に登ってもそれは見学だけで、宿泊は山のふもとというのであれば全く問題ない。これまでの経験では標高3,000m辺りを境に高山病の症状を訴える人がわらわらと出現してくるが、ペルーの場合 標高約3,300mのクスコに1泊せざるをえない行程が殆どなのだ。いくら口を酸っぱくして注意喚起したところで、インスタ映えする写真を撮ろうとジャンプしたりetc…はしゃぎ過ぎた挙句、やがてぐったり動くこともままならず低地のリマに戻るまで頭痛に喘ぐ旅行者の悲惨な末路をこれまで幾度となく目にしてきた。むろん用心して大人しくしていたところで、高山病体質の方の場合、症状が表れるのは時間の問題と言えなくもない(因みにボリビアのウユニ塩湖は更に高い富士山並の標高約3,700mでもっと過酷である)高山病体質でさえなければ、ペルーの食事はセビーチェにロモサルタードect…日本人の口に合うし、見どころ満載で一生に一度は行ってみるに値する国、チェ・ゲバラも言うように後悔することはないはず!

 参考までに、南半球なので日本の夏が冬で 日本の冬が夏、マチュピチュは夏が乾季で 冬が雨季、リマはほぼ砂漠。高地のクスコでは日陰は寒く日なたは暑い、そして雨が降ると一気に気温が10度位下がったりする。…何を着ればいいかわからなくなってしまった方、地球の歩き方等 ガイドブックを参考に。