至福の読書・魅惑の世界旅行

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インド「メメント・モリ」 藤原新也

「死を想え」

・極楽とは苦と苦の間に 一瞬垣間見えるもの

・一生、懸命(いっしょう、いのちをかける)

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」

というコメントの添えられた大胆な写真に思わず息をのむ。その多くはインドで撮影された.。ロングセラーの写真集。戦後 急速に死が遠のいた日本、死を昔話の中に閉じ込め蓋をしたかのような日本で写真家は問いかけ、語る。

「いのち、が見えない。死ぬことも見えない。本当の死が見えないと本当の生も生きられない」と。

タイトルの「MEMENT-MORI 死を想え」とは

キリスト教信仰に基づく、覚悟を決めた人生を歩ませるための中世思想です。常に死を意識して生きろということです。

中世の根本思想は「メメント・モリ」(死を想え)です。これは死を神に委ねよという意味も含んでいる。自分の命は神から与えられたものであり、いつ神が奪うかもわからない。その奪われるときのことをいつも考えながら、片時この世を生きるのが人生だという考え方です」

  執行草舟著 「根源へ」

 新型コロナウイルスの拡大につれ、右往左往しながら怯えるしかなかった人類。しかし中世のヨーロッパではペストの大流行によって、実に人口の1/4近くが死亡したと言われており、会田雄次著「アーロン収容所」に次のような記述がある。

「…中世末のヨーロッパの黒死病大流行のとき、看病するものも葬るものもいなくなって病人が自分で自分の墓穴を掘り、その穴に倒れこんで死んでいった…」 

英軍捕虜としてビルマでの強制労働の日々の中、自分達も同じような状況に陥るのではないかと危惧する場面のことばである。精神的にも現実的にも死がすぐ傍にひかえていた時代の方が実は圧倒的に長く、現代社会こそが珍しいのかもしれない。

「緊張を強いる「文明」社会から見ると、原初の森での暮らしは、時に理想郷に見える。だが、ワトリキ(アマゾン奥地の集落の名)は甘いユートピアではなかった。文明社会によって理想化された原始共産的な共同体でもなかった。…ただ「生と死」だけがあった。一万年にわたって営々と続いてきた、生と死だけがあった。…「死」が身近にあって、いつも「生」を支えていた。思えば、僕たちの社会は死を遠ざける」

  国分拓著「ヤノマミ」

 

「心賢き者は生ける者のために悲しまず、

はたまた死せる者のためにも悲しむことなし。

すべて生くるものは永遠に生く。

消えゆくはただ外殻のみ、

ただ滅ぶべきもののみなり。

精霊に終わりなし。永遠にして不死なり」

  バガヴァット・ギーターより

 

「死ぬとは風の中に裸で立ち

陽の中に熔けることではないか。

呼吸をとめるとは 絶間ない潮の動きからこれを放ち、

何のさまたげもなく昇らせ、ひろがらせ、

神を求めるようにさせることではないか」

 ハリール・ジブラーン

 

「この世の生が終わるとき

あなたもわたしもいるのなら

このいのちを、果物の皮のように放り捨てて わたしは永遠をえらびます」

  エミリー・ディキンソン詩集

   

     <インド狂想曲>

「インドは手ごわい国だ。理由はいろいろあるが、簡単にいえば、『よくわかんない』からである」 椎名誠

「 『インドという国は…』 などと、とても簡単には表現できません」 妹尾河童

 インドに対する外国人がもつ印象は概ね似かよって、それでいて一言でうまく伝える言葉が見つからない。ねっとり湿った空気、ガンジス河のほとりで沐浴する人々、その対岸で焼かれ流される死体(ヒンズー教徒に基本お墓はない)死が日常の一片として間近に存在し、訪れる誰もがその光景に怯まざるを得ず、心ざわめく。長い間じっと息を潜め、この時を待っていたかのようなある種の感情が、むくむくとわいては消えてを繰り返す。人生とは、死とは、人間はどこから来てどこへ行くのか、そんなことを考えるにインド以外に最良の土地があるだろうか、ふと哲学するにもってこいの国、インド。

インド人の現地ガイド氏曰く

「インドでは動物園に行く必要ないよ、町中が動物園と大して変わらないからね」と。…サル、山羊、観光用ゾウ、そして聖なる牛が道の真ん中に悠々と居座り、それをを避けて通り過ぎる車と人の波。その傍らで死んでいるのか寝ているのか見分けのつかない脱力しきった犬やヒトが横たわる。人口14億、主要言語だけでも15以上の多民族、仏教発祥の地なのに今はなぜだかヒンズー教、ヨガ発祥の地、ゼロの概念を生み出した国…奥が深い。そのディープさ加減にかけては、2位以下を大きく引き離しトップを独走している(次点は多分モロッコあたり…)

カルカッタの空港で、荷物を受け取ったら、すでにカメラのストロボと目覚まし時計が盗まれていた。…下痢も、インド体験の一つ!」 妹尾河童

 実際のところ極端に好き嫌いが分かれる国だ。一人旅しつつ沈没するある種の若者たちがいる一方、どう逆立ちしてもムリ、絶対行きたくないという女性も少なからず存在する。水道水は歯磨きでも下痢の懸念あり。基本毎日カレー(もちろん日本風ではなくインド風)帰国の頃には見るのも勘弁という人あり。昔列車で移動の際、ほんの一瞬目を離した隙に昼食用のお弁当の入った紙袋は消え去り、昼食を食べ損ねた(インドに限らず)所持品は決して離すべからず。

 最後にインドの苛酷な現実を突きつけられる本2冊

・プーラン・デヴィ著「女盗賊プーラン上/下」

20世紀中、最も波乱万丈な人生をおくったに違いないインド人女性の自叙伝。壮絶過ぎて逆に現実味に欠け、フィクションのように思えてしまうほど。

・ドミニク・ラピエール著「歓喜の街カルカッタ 上/下」 

スラムに暮らす不可触民のドキュメンタリー。著者は「パリは燃えているか」で有名なフランス人ジャーナリスト。

 

「…印度の旅は多彩を極めていたが、そのうち、アジャンタ洞窟で過したある午後の深遠な体験と、ベナレスの魂をゆるがすような景観とを述べるだけで十分であろう。その二つの土地で、…人生にとって何かきわめて重要きわめて本質的なものを見たのである。…ベナレスは、聖地のなかの聖地であり、ヒンズー教徒たちのエルサレムである」

  三島由紀夫著「暁の寺