至福の読書・魅惑の世界旅行

読書の海・世界の空  海外添乗歴30年  元添乗員の読書&海外旅行案内

イタリア 「遠い太鼓」  村上春樹

・もしイタリアという国の特徴を四十字以内で定義せよと言われたら、僕は 「首相が毎年替わり、人々が大声で喋りながら食事をし、郵便制度が極端に遅れた国」 と答えるだろう。

・ローマというのは はっきり言って巨大な田舎町みたいなところである。…ニューヨークや東京にくらべて圧倒的にちいさいし、遅れている。

・イタリア人には口先だけ愛想が良くて内容が伴わないというタイプが圧倒的に多い…

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 作者についてはわざわざ説明を付け加える迄もない。著者が1986年から1989年にかけておよそ3年の間、ヨーロッパに滞在した時の記録、文庫本でもかなりの厚みで読み応えのある滞在記である。

 純粋に読み物として面白い。滞在中の様々なエピソードが、淡々とした文体とあいまって可笑しみを増幅させている。そのエピソードの多くは酷い目に遭った話で、人の不幸を笑うようだが、自分の経験上 わかり過ぎてしまうが故に、読み進みながら 力強く同意してしまうのである。実際のところ この本の中で語られる話と同じようなエピソードや実体験は複数ある。ドイツの作家で詩人のエンツェンスベルガーは 理不尽だらけのイタリアを「カオスの共存」と評し、イタリアが存在しなければ ヨーロッパはもっと息がつまるだろうと語ったらしい。この意見にも同意せざるを得ない。下手なガイドブックよりもよっぽどわかりやすく、より具体的に現地事情を伝えてくれるガイドブック的一面を併せ持つ本。イタリアのガイドブックや紀行文等関連書籍は、その人気とあいまって多数出版されている中、この本で語られる内容は30年前の話であり、それ相当の変化が生じている事は否めない。しかしながら今読み返してみても基本的な部分は大して変わっていない。いずれにしろ現代日本を代表する有名作家が書いた滞在記が他の同類の滞在記に追随を許すはずもないのだ。イタリアもしくはギリシャを訪れる人、イタリアもしくはギリシャから戻った人にお薦めの1冊。(前半はギリシャに滞在していたため、ギリシャでの話にもかなりの紙面がさかれている)

  <必読・イタリア旅行の前に>

 ジプシーをはじめとするコソ泥に注意!それに尽きる。例えばスペインは昔も今も強奪がどちらかと言うと多めだが、イタリアは昔からスリと置き引きが圧倒的に多い。これらには自己防衛が有効である。つまり対策さえ怠らなければ、被害に遭わずに済んだのに…という残念なケースが大半を占める。盗難証明を貰いにローマの警察署に出向くと同類の途方にくれた観光客が続々とやってくることに驚かされるのだ。ほぼ半日を埃っぽい警察の待合室で費やし、所持品だけではなく自身の時間、しいては思い出にまで被害が及ぶという事を肝に銘じてほしい。残念ながら いくら注意喚起したところで聞く耳を持たない人というのは一定数存在する。そうした人から被害の報告が寄せられる度、強い無力感に苛まれると同時に、微かな怒りがふつふつと湧き起こってくるのを止められる術はない。言うまでもなくこうした被害に遭ってしまうと それまでの楽しかった旅の記憶は、遥か彼方に吹き飛ぶ。「盗人に取り残されて窓の月」と詠んだ良寛のように達観した人なんてそう滅多にはいないのだから。

「いろいろ旅の注意をききに行った。…馬車のよけ方とか、金をすられない方法とかについて数々の注意をし、お金は着物の裏に縫いつけておいて、ポケットには当座どうしても必要な額だけを入れておくようにしたほうがいいと忠告した」

  モーパッサン著「女の一生

馬車が自動車に変わったくらいで、150年前も今も大して変っていないようだ。バッグのファスナーにダイアルロックを取り付けるのも大いに有効、オススメだ。

 「…困った時の神だのみ、と人々は言う。そのことを学びたいと思ったら、イタリアに行け!外国人はきっと困ることを見つける」

  ゲーテ「ベニス警句」

「旅行とはトラブルのショーケースであり、数多くの旅行をしたのちに体得した絶対的真理として根本的に疲れるもの」

「…『旅先で何もかもがうまく行ったら、それが旅行ではない』というのが僕の哲学(みたいなもの)である」

  村上春樹

しかし、

「…いかなる災難にあわせても、必ず一方の戸口をあけておいて、そこから救いの手を差しのべてくれるものよ」

というドン・キホーテの力強い言葉を胸に刻み、人はまた懲りずに旅に出る。