至福の読書・魅惑の世界旅行

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ローマ他 「即興詩人」 アンデルセン

・逆境はきみを高めこそすれ、それにへこまされるとは何事だ! 

・…わたくしたちは目の前におかれた運命の糸をつかむ自由はあります。けれども、その糸がどこに結ばれているか、それは知るよしもないのです。

・生命をしっかりつかもう。その最後の一滴まで味わうのだ。

・…超自然のあらゆる現象が、現実の世界にとけこんだのです。それとも、人の世ではいつもそうであるように、現実が魂の世界へはいっていくのでしょうか。なぜなら、人の世では、花の種子からわたくしたちの不死の魂にいたるまで、すべては奇跡でないものがありましょうか。ただ、人間がそれを信じようとしないのです。

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 格調高い森鴎外訳が有名だが、敷居が高いという場合には口語訳も出版されている。誰もがもっているであろうアンデルセン イコール童話というイメージを大きく覆す小説 、大人が読むなら童話より断然面白いのは言うまでもない。ローマにはじまり、ナポリアマルフィ、カプリ、フィレンツェヴェネチア、ミラノなどの観光地オンパレード、イタリアのガイドブックを兼ねたかのような内容は、一度でもイタリアを訪れたことのある人、もしくは訪れる予定の人にもお奨めできる。主人公と共にイタリアを旅する気分にさせられること請け合いだ。

 ゲーテの「イタリア紀行」はじめスタンダール、ギッシングなどイタリアの思い出を綴った作品が複数あることからも、イタリアのその圧倒的魅力は窺いしれる。

「イタリアは夢と美の国です。イタリアは描写することはできません。じかにこの土地を見なければいけません。またこの空気をすってみなければなりません。…一日一日が精神の目を鋭くします」アンデルセンは自身の手紙で絶賛を惜しまない。

 確かにデンマークやドイツや英国のような寒冷地から 陽光ふりそそぐイタリアに行けば誰でも天国にように感じるのはある意味当然のこと。春爛漫のうららかな3月あたりにドライブしていると、ラファエロの描いたような天使達が本当に実在していそうな うっとりした気分にさせられる。ラファエロが活躍したフィレンツェは とりわけ女性に人気が高く、街全体が美術館のように見事である。そうは言っても個人的にはローマが一番好きだ。その理由の何割かはこの本の影響があるように思える。

 また、イタリアでは都市部ですら朝早くホテルの窓を開け放つと鳥の歌声が聞こえてくる。そう、イタリアでは鳥も鳴かずに歌う。昔 そう指摘を受けてハッとさせられたことを今でもはっきり覚えている。なぜならそれが紛れもない事実だったから、改めて指摘されることによってなんとなく感じていたことを自分の中ではっきりと認識したのだ。まさかと思う人はイタリアに足を運んで行是非確かめて欲しい。

「小鳥が 同じように 歌っても 

 聞き手たちに 聞こえない 音色がある」 

 エミリー・ディキンソン詩集

  「ローマに行かれたことのある人は、美しい噴水のあるバルベリーニ広場をごぞんじでしょう」

という冒頭の文章は、アンデルセンの見たローマも、現代人が見ているローマも大して違わないということを気づかせる。江戸と現代の東京の移り変わりを思えば、それがいかに稀なことであるかがわかるはず。神様にエコひいきされた土地、イタリアへようこそ。

 <悪魔の汗みたいに濃いエスプレッソコーヒー>

東京に無数に存在するコンビニと同じように、イタリアには今でも数多くのBARがスタバやファーストフードの出店を抑えて実にしぶとく生きのびている。イタリアのBARというのは立ち飲み主体のイタリア版カフェと言ったところだ。カフェと言ってもビールやワインなどアルコールも飲める。大きなBARはタバッキというタバコ屋、いわゆるよろず屋を併設していたり、テーブル席で軽食を食べることもできる。スタバをはじめとしたチェーンのコーヒーショップが至るところに乱立し、それらに席巻されつくした感のあるロンドンやパリ、その他ヨーロッパ各都市の状況を鑑みるにつけても、イタリアの状況は特異であり、イタリアのイタリアたる所以と言えなくもない。(カフェ文化の発達したパリやウィーンでもコーヒーチェーン店の進出により近年その数は激減している)

 村上春樹著「スプートニクの恋人」の中に次のような文面がある。

「わたしは今、ローマの路地の奥にある屋外カフェで、悪魔の汗みたいに濃いエスプレッソコーヒーをすすりながらこの手紙を書いている」

「悪魔の汗みたいに濃いコーヒー!」氏が比喩を得意技(?)とする作家であることは多くの著作を読んで承知の上だが、それにしてもなんてうまいことを言うのだろう、と思う。「悪魔の汗のような濃いコーヒー」が一体どんなものか 今すぐイタリアに行って飲んでみたいと興味津々になってしまうは 自分だけではあるまい。実際のところエスプレッソとカプチーノはイタリア生まれのコーヒーである。エスプレッソが悪魔なら、カプチーノはさしずめ天使が空から落とした雲のかけら入りコーヒー・・・(残念ながら氏のようなうまい比喩は思い浮かびません…)

 続きの文章も紹介しておきたい。

「せっかくはじめて来たローマの街なのに(そしてもう二度と来ないかもしれないのに)、なんとかの遺跡も見たくないし、なんとかの泉も見たくないし、買い物をしたいという気も起きません。こうしてカフェの椅子に座って街の匂いを犬みたいにくんくんと嗅ぎ、声や音に耳をすませ、歩いていく人々の顔をただ眺めているだけでわたしにはじゅうぶんなのです」

 そして著者本人のローマに対する嘘偽りのない本音は、紀行文集の中で次のように吐露されている。

「ローマに住んでいて何より楽しかったのは、ローマを出て行くときだった…というとローマに対して申し訳ないのだが、正直なところローマという都会は、観光客として見物するには美しいところだが、実際にはずいぶんざわざわとしていて、住宅事情も厳しく、落ち着いて暮らすのに適した環境とは言い難かった」

 気持ちは痛いほどよくわかる。因みにローマという街はあくまでも”遠目に見て美しい” のであって、街を歩けばゴミだらけとまでは言わないが、タバコのポイ捨ても日常茶飯事で 少なくともドイツやスイスのようにゴミひとつ落ちていない国とは違う。例えそうであろうとも「悪魔の汗のように濃いエスプレッソコーヒー」を飲みに行く価値はある、なぜならそこは神にエコひいきされた土地だから。