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台湾「台湾を愛した日本人」八田與一の生涯

・…官位や地位のために仕事をするでのではなく、人間のためになる仕事をし、後の世の人々に多くの恩恵をもたらすような仕事をしてみたい。もしそれができれば、一介の技術屋で終わっても十分だと思っていた。

・問題は多くある。しかし、恐れていては何もできない。恐ろしいのは、工事や輪作制の実施ではなく、遂行しようとしない怠惰な心だ。

・…與一の考えは違っていた。例がないなら、この工事を最初の例にすればよい。

・「技術者を大事にしない国は、亡びる」與一の口ぐせであった。そして、生涯この考えを貫き通した。

・大きな仕事は、少数の優秀者だけではできない。むしろ平凡な多数が大切だ。

・人の世話は、それが出来る地位に居る間にしか出来ぬものだ。自分の力だけでは、決して、人の世話はできないのだ。

・彼の欠点は、十分知っている。欠点のある者は、反面、他の者にない長所を持っているものだ。自分はそっちを使っているから、心配は要らないよ。

・信念が與一を支えていた。信念を貫き、機械化を採用したことに満足していた。この作業を人間の手で行っていたら十年で完成し得ないことは、誰の目にも明らかであった。しかも、それは、実際の工事を経験して言えることであった。

・天が造らせてくれたのだ。天の力なくして、これだけの工事が、やり遂げられるはずがない。

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 台湾の烏山頭ダムとその下流域の水路を立案・設計そして建設に携わった技術者八田與一の物語。1930年 昭和5年、10年の歳月を経て当時 東洋一の規模を誇るダムが完成した。全長1273m、高さ56m、満水面積13平方㎞、最大水深32mというダムの完成により、1億5千万㌧の水をたたえる人造湖・珊瑚潭が誕生、その水を利用し、それまで不毛の土地であった嘉南平原は台湾一の穀倉地帯へと生まれ変わった。

 特筆すべき点は、ダムのみならずダムの水を効率的に利用する為の給水路、更に排水路の設計・工事までをも含む大プロジェクトであったことだ。給排水路の総延長16,000㎞、台湾本島13周分、実に地球半周に近い長さの水路が、15万㌶の土地に張り巡らされ嘉南平原を潤している。給水路だけでなく排水路も設けたのは、排水により土地の塩分を洗い流し塩害を防ぐ為。一口に水路と言っても、水は高い所から低い所へしか流れず、土地の高低を知る為の測量はじめ地道で膨大な作業を伴ったことは想像に難くない。

 何しろ台湾最大の嘉南平原は南北92㌔東西32㌔、その広さは香川県に匹敵、そして年間の降水量2500㍉(東京は1500㍉)その雨は5月から9月の雨期に集中し、洪水を引き起こす。田んぼも何もかも水浸しになる一方、秋冬の乾期になると今度は雨が全く降らず飲み水の確保すら難しいということを毎年繰り返していた。更に海岸に近い地域は塩害の為に放置された。つまり嘉南平原は洪水と旱魃と塩害の三重苦の不毛な土地だったのだ。ところがダム、そして給排水路の完成により、不毛の土地は台湾一の穀倉地帯へと一変、生活用水の問題が雲散霧消したのはもちろんのこと、嘉南の住民60万人に大きな経済的恩恵を与えることとなった。通水が開始されて3年後には米だけで8万3千㌧の増収、米以外も含めた全体では当時の金額にして1400万円から3400万円に増収となり、そしてそれは工事費を僅か3年で償却する金額だった。更に土地面積当たりの平均収量も当初の予想を大きく上回り、嘉南の農民の生活はまさに激変したのである。

 ダムはいわゆるロックフィルダムの一種、中でもセミ・ハイドロリックフィル工法と呼ばれるタイプで、コンクリートダムの黒部ダムとは見かけも全く異なる。烏頭山ダムで使われたセメントの量はダム全体の僅か0.05%、コンクリートの塊はどこにも見当たらない。大部分が石・砂利・砂・粘土で、その土砂を付き固めるのに人の手や機械を使わず水の力を使う為「ハイドロ」つまり「水の」工法という訳だ。ダムに使用された土砂は540万立方mという途轍もない量である。

 その後の約百年の間に巨大ダムが世界中で次々に建設され、現在 規模的にはそれらのダムには及ばない。しかし先見の明でもって給排水路をも含めたプロジェクト全体は、現在でも見劣りしない。

 その当時、東洋一の巨大プロジェクトを遂行させたのは與一の信念、同時に「信じる」心にあったのではないか。そしてそれに周囲の人間が感化され、成功の礎となった。「やれないことはない。…アメリカ人にできて、日本人に出来ないはずはない。何事でも初めて試みることに人々は反対するものだ。やる遂げない限り、信じてもらえないのだ。断固として、やり遂げねばならぬ」彼は「必ず出来る」と信じていた。偉大な人物と普通の人との違いの一つには、この「信じる力」があるのではないか。

 

「信ずることは、人間だけが持つ高貴性を証明するものである。…本質は信ずる心だけにあり、他は一切理屈でしかない。

…何故に二番目は容易いのか。それは、できることを簡単に信じられるからである。…初めてとはそれほどに価値があるのだ。事実を目の前にしなくても、信じ行うからである」

  執行草舟著「生くる」

「我々の人生を決する価値は、すべてその人生における仕事に拠る。…我々の存在は、仕事によって生まれ、仕事の中を生き、そして仕事ゆえに死ぬ。…人生の価値は、その人間の燃焼によって決まる。仕事による真の人間燃焼である。…我々の存在価値が、仕事によって決まることに気づかなければならない。…仕事を離れたあらゆる価値は、人間生命にとっては誤魔化しでしかないのだ。仕事とは、文明と自己との葛藤である。…人間にとって、生きがいとは仕事のことなのである。人間は、生きがいを持って生きなければ、本当の死を迎えることはできない」

  同上「現代の考察」

  

 第二次世界大戦中、南方派遣団を乗せて航海中の大洋丸は、米国の発射した魚雷により沈没、あろうことか八田與一はその船に乗船していた。享年56歳、第二次世界大戦後、台湾に沢山設置されていた日本人政治家や軍人の銅像はことごとく撤去されたそうである。しかしながら、八田與一銅像は今も地元民によって守られ、毎年5月8日の命日には追悼式まで行われているという。今も與一の銅像は、心静かに珊瑚潭を見守っているだろう。

      <麗しの台湾>

 とにかく何を食べても美味しく、当時ご一緒したお客様から「グルメツアーみたい」という有難い言葉を頂戴した最初で最後のツアー、それが台湾であった。添乗を生業としている人なら誰でも、それがどれほど稀なことであるか良くわかっている。個人旅行であれば、事前に色々調べて評判のよいレストランを予約するだけ、簡単だ。しかし旅行団体・ツアーともなると様々な制約に阻まれ、必ずしも「味」最優先とはいかない。それどころか、むしろ後回しにされる傾向が強い。そうした制約をかいくぐっても尚「美味しい」ということは、台湾がやっぱり美味しいからだろう、違いますか?

 台湾旅行で最も印象に残っているのは、本書にも登場する日月潭である。日月潭ことサン・ムーンレイクは風光明媚な景勝地、癒しのスポットだ。もともとそこにはこじんまりとした小さな湖があったが、水力発電によりダム湖人造湖となり、現在では台湾最大の湖となった。因みにここの水力発電事業も日本統治時代に行われた。また原住民サオ族の居住地域で、湖に浮かぶ小島は精霊が集まる場所として彼らの聖地であった。ダムの建設に伴い湖の水位が上昇、現在はその頭だけが水面からのぞいており、湖上遊覧で近くまで行ける。正直 日月潭よりキレイな湖は世界中に沢山ある。カナダのレイクルイーズにスイスのルツェルン湖、ニュージーランドのテカポ湖やプカキ湖等々。それなのになぜだろう、日月潭が良い。その理由が知りたくて…もう一度行きたい場所の一つである。遊覧船以外にも、ロープーウェイや散策道等、台湾三大観光地の一つとして様々な楽しみ方ができる。願わくば小島と同じ名前のホテル、ザ・ラルーに泊りたい。期待を裏切らない食事とスタイリッシュなレイクビューの客室、ラグジュアリーな寛ぎのホテルだ。

 余談だが、烏龍茶について。今から30年も前のこと、家族旅行で台北を訪れた。どんな経緯だったのか全く覚えていないが、とにかくその時乗車したタクシーの運転手の紹介でお茶問屋を訪れた。そこで試飲・購入した烏龍茶が忘れられず、あの烏龍茶をこえる烏龍茶にはいまだに巡り合えずにいる。ふくふくとしたまろやかな味わいの透き通った黄金色のお茶が、帰国後も我々家族全員を幸せな気持ちにさせてくれた。

嗚呼、麗しの台湾。我想再去台湾!