至福の読書・魅惑の世界旅行

読書の海・世界の空  海外添乗歴30年  元添乗員の読書&海外旅行案内

クルーズ・船旅「海の上のピアニスト」アレッサンドロ・バリッコ

・何かいい話を心の片隅にもっているかぎり、そして、それを語る相手がいるかぎり、人生まだまだ捨てたもんじゃない。

・わたしたちは壊してしまったものの弁償が何ドルぐらいになるかを計算して、時を過ごしました。額が大きくなればなるほどおかしくなって二人で笑いころげました。今思えば、ああいうのを幸せなひとときというんでしょうね。ああいうのを。

・そこでしみったれた顔をしてる、おまえさん。世の中は果てしなく広いんだ。いいかげんに目を覚ませ。果てしなく広いんだよ。

・あの果てしなく巨大な町並みの中に、ないものはなかった。ぼくの探しているもの以外は なんでもあった。だけど境界線だけは、なかったんだ。ぼくの目に映らなかったものというのは、あの町並みの尽きるところのことさ。この世界の限界。

 たとえばピアノ。鍵盤はここから始まって、ここで終わる。…キーは全部で八十八。…キーは果てしなくあるわけじゃない。でも、弾く人間のほうは無限だ。鍵盤上で奏でられる音楽も無限。…こういうのが好きなんだ。これなら安心だ。だけど…目の前に何億何十億というキーが連なった巨大な鍵盤が現れてみろ。そんな鍵盤の上で人間が弾ける音楽なんて、あるもんか。そいつは神様が弾くピアノだよ。

 道ひとつとったって、何百万もある。きみたち陸の人間は、どうやって正しい道を見分けられるんだい。…家や、買うべき土地や、見るべき風景や、死に方を、どうやって選ぶんだい。…陸地というのは、ぼくには大きすぎる船。長すぎる旅。…ぼくには弾くことのできない音楽。帰らせてくれ、ぼくのいるべき場所に。

 ぼくは、この船から降りることができなかった。だから、楽になるために残された道は、人生から降りることだった。…それらの夢に、さよならを言ったのさ。友よ、ぼくは気違いじゃない。救いを求めて楽になる方法を見つけようとしているかぎり、人間は気違いにはなれない。…こうして、ぼくは不幸を骨抜きにした。ぼくの人生を夢から解放したんだ。ぼくの歩んだ道を逆にたどって行けば、そこにはその夢のひとつひとつが今もあるはずだ。…凍結された、動かず、永遠に変わることのない夢のひとつひとつが。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 原作よりも むしろトルナトーレ監督の映画「海の上のピアニスト」で知られている。原作はイタリアの人気作家バリッコ、元々一人芝居の脚本、舞台上演を前提として書かれたもので、母国イタリアでは何度も上演されている。原題は「ノヴェチェント、ある独白」、ノヴェチェントとはイタリア語で数字の900、1900年生れということからつけられた主人公の名前だ。船専属楽団の天才ピアニストであり、船で生まれてからというもの たった一度として陸地に足を踏み入れたことがない男の独白である。短いのであっという間に読み終えてしまうけれども、群青色した深海に潜っていくかのような、なんとも言えず深い余韻の残る、手元に残しておきたくなる一冊。

 驚くべき制約のある人生を自ら受け入れたひとりのピアニストの生涯。読み終えてから自分の本棚にある一冊の本のページをめくり読み返した。そこには制約の有難さについて次のような考えが述べられている。

「制約を前向きに受け入れ、探し求めていかなければならない。制約がなければ決して目的は定まらない。制約は枠組みを絞り、条件を認識するためにある。現代人が、目的を喪失している大きな原因は、自己に課せられた制約を嫌っているからに他ならない。…自分捜しや、無気力は、自由を失うと思って制約を嫌う錯覚から生じている。…制約が多いほど大きな夢を持つことができる。夢とは一つ一つ乗り越えた先の到達点を示す言葉なのだ。制約がなければ、自由も夢も輝きを持たない。制約とは、未来に向かって課せられている自己の進むべき道筋を言う。…制約が自由意思を奪う、と錯覚され遠ざけられたことで、自由に甘やかされて育った人間が増え、魅力のない無個性な人間が溢れている」

  執行草舟著「生くる」

 そうだ、船上・海の上で一生をおくったこのピアニストは、まわりの人間や他人がどう思おうと断じて幸福だったに違いない。読み終えた後の思考が宙を舞うような奇妙な感覚は、奥底でそれと認識した心の疼きだったのかもしれない。しかし残念なことに、邪魔なもの・捨てさるべきものが多過ぎるせいか、それは未だ埋もれたまま実感するに至っていないようだ。

   <クルーズ船と船旅について>

 近年いわゆる豪華客船による船旅は人気上昇の一途を辿っていた。過去形なのはコロナ騒ぎによって壊滅的状態になったからである。しかしコロナがほぼ収束した2023年以降、順調に復活を遂げていることは、日本に入港する客船の数をみても明らかだ。

 コロナ以前は毎年のように新たな客船が就航、年々大型化し、もはや10万トン以上が当たり前という時代、2023年は横浜・大黒ふ頭にMCSクルーズ・べリッシマ17万㌧が何度も出入りを繰り返している。17万㌧ともなると大きすぎて横浜ベイブリッジの下を客船が通過できない為 大桟橋ではなく大黒ふ頭の利用となるのである。その為 QEⅡや飛鳥であれば通常 大桟橋の利用する。

客船が巨大化すればするほど一見して豪華になり期待に胸膨らむ。それはもはや海上を移動する一つの小さな「街」のようでもある。

「…何事も起こらないような穏やかな街の片隅でも、物語は次々に生まれ、そして、ひっそりと消え去っていくのだ」

  西江雅之「異郷日記」

 客船の大型化が進むにつれ、その一方で実は不便もそれに比例して大きくなるという事実が忘れ去られている。例えば自分の船室がたまたま船尾近くに位置していたとする。しかしメインダイニングは通常 眺めの良い船頭に設けられるケースが多い。するとどのようなことが起きるか。そう、食事の度に片道10分近く船内を端から端まで歩く必要が生じる。これは実際に経験しないことにはその負担をイメージしにくいかもしれないが、朝食のために毎回行ったり来たりすることに本当にウンザリさせられた。船が大型化するということは船室も増える、必然的に乗客も増える。例えば前述のMSCべリッシマ17万㌧の定員は5500名以上、すると乗下船時はどうなるか想像してみて頂きたい。客船の出入口は横浜スタジアムみたいに沢山ないのだ。混雑解消の為に階数ごとに下船時間を指定される。更に直接桟橋に接岸できない寄港地では、沖合でテンダ―ボートに乗り換え上陸する必要があり、待ち時間が長くなるのに比例してストレスも増幅する。

 こうした船内の移動や乗下船時の待ち時間以外にも意外な盲点がある。それは食事だ。一応 24hいつでも何か食べられるし、一見すると確かに豪華ではあるけれども、同じ厨房(料理人)によって作られた食事を1日3回何日間も食べ続けるというのは、想像以上に飽きがくる。例えメニューが変わったとしてもどこか似てしまうのは避けようもない(その点日本の飛鳥は和食が充実しており飽きることはない、しかし乗客は日本人ばかりで日本にいるのと大差ないという別の短所もある…)ビュッフェレストラン以外に着席でコース料理をサービスするレストランもあるが、こちらも一方的に時間指定され定員に近い数の乗客であれば3回転となる為、最初なら17時半頃、最後なら夜21時頃から夕食の可能性もある。それが嫌ならビュッフェ or 有料レストランでの食事をすることもできなくはないのだが。

 これまでの自身の経験から言えば『コスタ』『MSC』等大手の大型カジュアル船よりも『シルバーシー』というラグジュアリーな小型船の方がはるかに快適で優雅な船旅を体験できた。正真正銘の豪華客船である。こうした客船の場合 前述したような不便さも全て消失してしまう。食事はいつでも好きな時間に食べられるし、乗下船時に並ぶことも皆無、自身が乗船した船は全室バスタブ付きであった。いうまでもなく客層もすこぶる良好、しかしながら料金もとっても素敵なので、懐と要相談、それさえ許すなら『シルバーシー』を強く推します。

 参考までに大型カジュアル船には窓のない内側船室も存在するが、全くお勧めしない。そもそも 海の眺められない船室で船旅をする意味はあるのだろうか、と思ってしまう。

 いずれにしろ連日ホテルを転々とするのとは対照的に、部屋の移動がないという点は、船旅最大の長所である。夜寝ている間も粛々と航行を続け、車のような渋滞の心配は皆無、寄港地ではオプショナルツアーの観光が用意されているから、必要に応じて申し込めばよい。少なくとも中心部までのシャトルが運行される。あるいはクルーズを組み込んだパッケージツアーもあるが、それらは往々にしてあらかじめ めいっぱい観光を組み込んでいる場合も少なくなく、せっかくの夜のシアターショーも楽しめないほどに忙しかったりする。本当は全ての観光に無理に参加する必要はないのだが、元々の予定に入っていると思うとせっかくだから行っておこう…という気持ちになってしまうのが人間の心理のようである。

 せっかくの船旅、のんびりゆったり滲んだ水平線を眺めながら寛ぎたいものだ。

 

船はゆっくりゆっくり進路を変えていた。波間に鐘が鳴りわたり、水蒸気が空に向かって勢いよく噴きだした。鷗が舞いあがった。鷗は白い紙の断片にようにひらひらと飛び去っていった。耳の底のほうで響くのが船の蒸気機関の音なのか、それとも自分の心臓の音なのか、…判断ができなかった。

 マンスフィールド著「見知らぬ人・The Stranger」

 

航海をすることが必要なのだ。生きることは必要ではない。

 ポルトガルの王子・エンリケの言葉

 

 

 

モン・サンミッシェル 「ノストラダムス コード」竹本忠雄

・16世紀ヨーロッパのその時代は、「秘伝」などというものが「進歩」の名において切り捨てられようとする近代の夜明けでしたが、この時代潮流に逆らって生きることから一つの巨大な人生が始まったという点に、まず、興味が湧きます。

・…自分のたどるべき方向は、人文主義のそれではない。何と云われようと、その反対方向だ。宇宙的神聖…と人間との絆、それをこそ自分は探索する道を歩んでいたのではなかったか。その旅を続けるのだ…

ノストラダムスは…その身を置いた16世紀ルネサンスをして、中世以来薄らいでいった「非合理」世界の集約たらしめようとした人であったといえます。

・人生は一本の竹と同じで、節目から成り立っています。

・…科学者としてノストラダムスの一面は、予言者としての反面が余りにも有名となったため、これまで一般に過小評価されてきました。医学、化学、薬学だけでなく、公的には当時まだ発明されていなかったはずの天体望遠鏡をもちいて自ら観測、計算する天文学にも通じ、その知識にもどづいて、後世の私たちをあっと云わせるような離れ業で、計測数値を予言の暗号化に役立てているのです。

・…著者が絶対に容認できなかったことは、人間性の破壊ということでした。彼はそれを「悪」と呼び、「卑俗」と呼び、その暴走を許した革命の諸相を生々しく告発してゆくのです。

・「ノストラダムス予言は、出来事が起こって初めて明らかとなる」と云われてきています。そのことを人々が最初に痛切に思い知らされたのがフランス革命の時でした。…これらの事件をノストラダムスは230年も前に予言していたのだ!」

ノストラダムス予言は、詩であり、芸術です。

・歴史はエネルギーです。

・…ノストラダムスの世界観には或る種の因果の法則といったものが付きまとっています。もっとも、因果、因縁と云ってしまえばたいへん分かりがいいものを、西洋には仏教的意味でのこうした概念は乏しく、…聖書に由来する「神の怒り」とか「宿命」、「摂理」といった言葉が用いられるのが一般でした。ことに、近世の西洋合理主義思想は、これらを「迷信」の名で一括りにしにて…一件落着としてきました。この意味では確かにノストラダムス思想は「非科学的」であり、出来事と出来事の関係は非因果律的なものをも含む、と見ています。つまり、直接に目に見えることのない因果の糸-横糸を視るということで、運命を綾織るのは縦糸だけではなく、横糸もある。古代シナではこれを「経」に対する「緯」と云い、西洋では「タピスリーの横糸」と云った点では東西は共通でした。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ノストラダムスの大予言で日本でもよく知られているその作者はユダヤ系フランス人で、名前はノストラダムスことミッシェル・ド・ノートルダム。16c南仏プロヴァンスのサン・レミで生まれで、その後 当時パリに次ぐ大学であったモンペリエ大学で医学を学んだ。ちょうどその頃ヨーロッパ中を震撼させた黒死病・ペストが大流行、彼が多大な貢献をしたことはよく知られている。ノストラダムスはれっきとした医学博士でもあった。更に著者はノストラダムスが、「ダ・ヴィンチ・コード」でも取り上げられた秘密結社・シオン修道会の第15代総長であったであろうと推測する。因みに「ダ・ヴィンチ・コード」では、レオナルド・ダ・ヴィンチが第12代総長と云われている。

 さて肝心の予言集だが、素人が簡単に手出しできるものではない、ということがこの本に一貫して書かれている。予言の範囲は1557年から2797年(もしくは3797年)迄、年代順に書き連ねられておらず、完全にバラバラ、しかもその間に起こりうる様々な出来事はアナグラムを駆使・多用して暗号化された四行詩から成る。フランス語のみならずラテン語ギリシャ語などが織り交ぜられ、それら深い言語知識に加え、歴史に精通していなければ到底判読できるものではない。これまで多くの研究者がその判読に挑んできたものの、決定的なそれが未だ存在していないところに、その困難さが如実に表れている。

 かつての日本でも五島勉氏が出版した「ノストラダムスの大予言」をきっかけに大きな話題となったことを記憶している中高年も少なくないであろう。各マスコミが1999年7月人類滅亡説を大きく取り上げ、当時の大衆の心を揺さぶった。その結果は周知の通りなのだが、そもそもノストラダムス自身は1999年7月に人類が滅亡するとは言明していない。滅亡説はあくまでも一つの解釈に過ぎなかったのだ。実際の訳詞は次の通りである。

『天から一人の恐怖の大王が到来するであろう。アンゴルモアの大王を甦らせ、(その)前後に火星は幸いの時を君臨するであろう』

著者は確信をもって次のように書き記している。

ノストラダムス予言は、出来事が起こって初めて理解される」と。

もしも1999年7月が「人類の終わりの始まり」を示唆するものだとしたら、現在の人類はまさに滅亡に向けて突き進んでいる真っ只中かもしれない、浮かれている場合ではない。

   <モン・サンミッシェル詣で>

 ノストラダムスは正式にはミッシェル・ド・ノートルダムという名前だ。ノートルダムは英語に直すと、Our Lady・私たちの婦人、転じて聖母マリアを指す。パリのノートルダム寺院が有名だが、聖母マリアに捧げられたノートルダム教会は、パリだけではなくフランス各地に多数存在する。

 ミッシェルはフランス語名で、英語でマイケル、ドイツ語ではミヒャエル、スペイン語ならミゲル、イタリア語ならミケーレだ。(同様にチャールズもシャルルもカールもカルロもカルロスもみな同じ、言語によって七変化するこれらの名前は、大変紛らわしくしばしば混乱を招く)

 ミッシェルはガブリエル、ラファエルと並ぶ三大天使のひとり、個人名がついた上級天使、エリートなのだ。そしてミッシェルといえば、思い浮かぶのはモン・サンミッシェル、モン・サンミッシェルのモンはモンブランのモン、つまり英語のマウンテン・山の意、聖ミカエルの山ということだ。日本人でも一度は写真や映像で目にしたことがあるであろうあの光景、あれを見たら誰だって一度は行ってみたいと思わずにはいられない。実際不便な立地にも拘わらず、パリに次ぐフランス有数の観光地であるという事実がそれを物語る。

(to be Continued)

中近東「我が名は、ジュリー」沢田研二

 …やはり僕はいまの仕事を大事にしたい。いまの仕事を続けながら、同時に普通の36歳の男として恥ずかしくない、一人で立っている…マトモな社会人でありたいという、そういう気持ちが強いですね。

 …たしかに続けていくっていうのは大変なことだし、しかもただ続けていく、単にキャリアを重ねていくだけじゃなしに、もっと先に進んでいきたいとか大きな夢に向かっていきたいとなると、楽しみでもあり不安でもあり…。まあ、えらい仕事を選んでしまったなあという感じはありますね(笑)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 エッセイスト・玉村豊男氏によるインタビュー本。出生から京都での少年時代を経てデビューに至る迄、更にタイガース時代から36才のインタビュー当時迄、沢田研二本人の口から詳細に語られる。当時の派手なパフォーマンスや衣装・化粧から受けるイメージや先入観を見事に覆す、実直な青年像が浮かび上がる。

「…ありのままの沢田研二はごく平凡である。…発言は概ね控え目で目立ちたがりとは反対の性格を示している」詩人の故鮎川信夫氏が自身のコラムでこの本をとりあげた時の言葉である。

 

「…僕は歌手として、できるだけ長く歌っていたいと思っています。その為には何をしたらいいのか、何を忘れてはいけないのか、それを毎日の生活の中で考え続けたいと思っています」かつてNHKのビッグショーで彼が語った短い言葉の中に、その気まじめな性格が滲み出ている。そしてそれが単に口先だけのでまかせなんかじゃなかったことは、古希をとうに過ぎた今も現役で活躍しているのを見れば明らかだろう。

 

客が入らなくても、ファン同士がケンカをしても、沢田はいつも一生懸命歌っていた。『歌が命だ』沢田研二は、はっきりそう言った。ぼくのように決して自ら主張せず、誰かが創作した歌を与えられ、それを誠実に歌う。プロデューサーがつくりあげたイメージを存分に表現してみせる。歌の貴公子です。

  萩原健一著「ショーケン

ジュリーのすごいところは、プロデューサーの意向をパーフェクトに実行し、開花させる誠実さにある。与えられた指示をものの見事にやる遂げる。つまり彼の才能は、自らを生かすセンスを持つプロデューサーと出会ったときにこそ最高に輝くのだ。

  萩原健一著「ショーケン最終章」

 

 13年もの間 彼のプロデューサーであった故加瀬邦彦氏は新聞の連載記事で次のような言葉を残している。「メンバーの中でジュリーは一番目立たなかった。おとなしくて一言も口をきかない。印象に残りませんでしたね。でも…舞台に立つ姿を見て驚きました。不思議なオーラがあった。華があった。それもただの華ではなく少し毒気のある華。…怖さというか鋭さというか、…何か訴えるものがある。…僕はジュリーの魅力にどんどん引き付けられていった」「本当にいろんな分野の人たちがジュリーの魅力に引きつけられてましたね。ジュリーは最初は『えっ~』ていう顔するけれど、こちらが思った以上のことをやってくれる。チャレンジ精神があるんです」

 

 全盛期のジュリーは女性のみならず同性をも虜にする破壊力が備わった正真正銘のスーパースターであった。そして故内田裕也氏もその一人だ。「男前で、妖しい魅力があってね。芸能史の1ページを飾る男だ。義理堅いしね。…ケンカも強いよ。新宿のゴールデン街なんかに行っても、非礼に対しては相手がヤクザでも行くもんね。エキセントリックで謎めいている。そこがまた魅力だ」

 その後 SMAP全盛期の2000年頃、ある芸能記者が雑誌の記事で次のように述べていたらしい。「木村拓哉のカリスマ性、稲垣吾郎の色気、草なぎ剛の庶民性、香取慎吾の親しみやすさ、中居正広の器用さを全て足すと沢田研二になる」なるほど、しかし歌唱力はどうだ、彼らが束になってかかったところで、ジュリーを超えられただろうか。歌唱力は言うまでもなく秀逸な表現力、そして何より類い稀なルックスときているから、化粧や奇抜な衣装とパフォーマンスばかりが取りざたされたのは、ある程度仕方がないことかもしれない。その結果 有名作詞作曲家が手がけた派手なヒット曲の陰で、彼自身の手による楽曲は まるで素の彼自身のように寡黙だ。シンガーソングライターでもあるジュリーの作曲のセンスは、本当はもっと評価されてもいい、と思う。容姿に恵まれたが故にその能力を低く扱われたというか、見て見ぬふりされたような不合理さすら感ずる。

 

 一方、彼自身はそんなことを気にするそぶりすら見せず、2001年の新聞のインタビューで次のように語っている。「前を向いていきたいタチなんです。でも、同年代の人たちは、振り返ることしかしない」

 それから20年余り、古希をとうに過ぎて尚、変わらず全力で歌い続けるジュリーの姿が舞台にある。タイガース時代から数えて半世紀を越えた。

「50年たってもステージで歌っているのはカッコいい。…自分に歌があるうちは年齢にかかわらず青春時代だと思いますね」

「相撲じゃあるまいし、音楽は引退するものじゃない」

「まじめにいうと死ぬときが引退だと思っている。…これから先ぶざまになっても走り続けます。気力がないとかで辞めることは、ないでしょうな。…その後、死んだらきれいさっぱり、みんな忘れてくれたらいいですね」

かつてインタビューで彼自身が語ったように、今尚 歌い続けるジュリーはカッコいい。

『振り返ることは好きじゃないから、

 ただ明日のことを思って生きよう

 みんなにしてあげられることは

 一つも見つからないけれど歌なら歌える

 …歌いたい、声がかれるまでも

 …死にたい、いつか舞台で、

 死にたい、歌を枕にして』

彼自身の作詞作曲による「叫び」という楽曲の歌詞の一部で、ギター1本抱えて歌う当時の彼の映像が残っていた。20代のジュリーの姿は歌うことが楽しくて嬉しくて仕方がないようにイキイキと、そしてまた歌の妖精に取り囲まれたかのようにキラキラと輝いていた。稚拙ながらもストレートな歌詞には一人の若者の覚悟が滲み、聴く者にダイレクトに訴えかけてくる。渾身かつ魂心の一曲、魂の歌声が胸を打つ、心に響く。

 

「俺が沢田さんをえらいと思うのは…年に一枚新しいアルバムを出しては、それに合わせたツアーもかならずやってきていることなんだ。…同じペースを守り続けてきたということでは、沢田さんをしのぐやつはいないと思う。…沢田研二のコンサートに足を運ぶのがやめられないんだ」

  村上ポンタ秀一「自暴自伝」

   

   <邪視とファティマの手>

 新聞の連載記事で読んだ次のようなジュリーの言葉が強く印象に残っている。「吉田拓郎さんは『褒められる憂鬱』と言う。それは僕も感じる。褒められると生気を吸い取られていく気がするんです」

 別のインタビューでも次のように答えている。「確かにぼくは、ほめられると喜ばないところがあるからね。ぜったい本心ではないと思ったりすることがあってね。その裏には何があるのかなとか、わりとそういうところがあるね」

 この記事を読んだ時に思い出したのはイスラム圏でよく見かける「ファティマの手」であった。ファティマというのはイスラム預言者の娘の名前で、キリスト教聖母マリアのような存在と言えばわかりやすいだろう。一般的にファティマと言うとキリスト教の聖地・巡礼地であるポルトガルの田舎町ファティマをイメージする人が多いかもしれない。地元の子供の元に聖母マリアが出現したという奇跡でよく知られているが、ここで言うファティマとは無関係である。ファティマの手はアラビア語では五(本指)という意味のハムサと呼ばれ、文字通り五本指の掌を広げた真ん中に片目のモチーフのイスラム圏の護符のようなものだ。中近東には昔から民間信仰としての邪視信仰が存在する。自分が持っていないものを相手が持っておりそれを褒め称えた場合、自分が意識するしないに拘わらず羨望・妬み・嫉妬等の負の感情が相手に害をもたらすという考え方である。ファティマの手はその羨望の邪視を跳ね返す役目を負い、モロッコやチユ二ジア辺りに行くと家の玄関ドアに設置されているのをよく目にする。またトルコではナザール・ボンジュウという青い目玉モチーフのキーホルダーが土産屋の店頭に多数売られているのをよく見かけるが、これも邪視を跳ね返す為のお守りだ。

 前置きが長くなったが、若い頃のジュリーはその容貌を褒められ尽くした感がある。美しい、キレイ、カッコいい、色っぽい、妖艶etc… 当時のジュリーはこの邪視信仰を知らずとも、その称賛の奥底に潜む羨望・妬み・嫉妬の渦を敏感に感じとっていたのかもしれないとふと思う。仕事の場を離れても尚 四六時中、好奇の目にさらされる超有名人の立場というものを知る由もないが、想像以上にきついものと察するに余りある。…人生の晩年にさしかかった今でも別な意味でその容姿についてとやかく言われ続けることを気の毒に思う。だがそれは見方を変えれば、それだけ若い頃のジュリーが凄かった証左とも言える。この場に及んではもう宿命として受け入れざるを得ないだろうが、まるで過去の自分に刃向かうというか、復讐するかのようなその変化の中に、その複雑な心中を思わずにはいられない。

 彼はこの本が発売された4年後 40才の年齢でTVのドキュメンタリー番組のレポーターとしてイラク、エジプト、ヨルダン、イスラエル、トルコ 8千㌔に及ぶ旅をしており、その道中恐らくどこかでファティマの手やナザール・ボンジュウを目にしたことであろう。

「日本にいたら、何か自分でミスしても命を落とすような恐怖感はない。ところが、熱砂の極限地では、一挙手一投足が自分の身にふりかかってくるという緊張感がある。緊張感がふっと緩む解放感を味わえるときもある。その連続が極めて非日常的だ。日本での常識や衛生観念がまったく通用しない世界。…確かに強烈なパンチを食らった旅だった」

 ジュリーの感想に概ね同意する。そもそも日本の常識が通用しないという時点で大いに非日常的だ。遠い異国気分に浸りたい人には大いにお勧めできる土地と言えるが、とにもかくにもメンタリティは我々日本人と全然違う、戸惑う事も多々あるのでそのつもりでお出かけ下さい。

 

 

プラハ 「ロボット RUR」カレル・チャペック

・…科学を用いて、神を引きずり下ろそうとしたのです。度を超えた唯物論者で、だからこそ、ありとあらゆるものを作り出したのです。どんな神も必要としないことを証明したかっただけなのです。

・…そうやって人間なるものを捨て、ロボットを作ったのです。…ロボットは人間ではありません。我々より完璧な機械であり、驚くべき理性的な知能を備えていますが、魂というものがないのです。

・…人間は自分が愛することだけをするのです。完全に近づくためだけに生きるのです。

・これは世界の終わり。悪魔のように傲慢になって、主と同じように創造しようとしたからです。神を信じようとしないばかりか、自分が神になろうとするとは何という冒涜でしょう。神が楽園から人間を追放したように、今度は人間が全世界から追放されるのですよ。

・「ねえ、何か起きているの?」 「いえ、何も。進歩だけです」

・「何が不安なの?」 「この進歩というものすべてです。眩暈がするほどに」

・まったく、人類の黄昏だ!…私は享楽主義者になりつつある。

・…私たちは罪を犯した!自分たちの誇大妄想のために、何かの利益のために、進歩のために、何か偉大なもののために、私たちは人類を殺めたのだ!それで、その偉大さのせいで破滅するのだ!

・「ロボットは生命ではない。ロボットは機械だ」 「私たちは機械でした。ですが、恐怖と痛みを覚え、私たちは変わったのです」 「何に?」 「魂になったのです」 「私たち自身と格闘する何かになったのです。私たちの中に何かが入ってくる瞬間があります。私たちの中に、自分のものではない考えが入ってくることがあります」

・…この恐ろしい機械崇拝は止めることができない。…産業を支配していると思っている者は、実際にはそれに操られているのである。…人間の脳が生み出したものは、しまいには、人間の手におえないものとなってしまった。これこそが、科学についての喜劇である。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 題名でもある「ロボット」という言葉の生みの親となったチェコの作家 カレル・チャペックの戯曲本。氏は「園芸家12カ月」のようないたってのどかで平和な本を執筆する一方、この戯曲では人類滅亡の未来を予言している。今からおよそ百年前、1920年のことである。

 かなり長い引用だが 人類の滅亡とロボットに関連するひとつの意見を紹介したい。日本人のみならず殆どの現代人に当てはまる厳しい現実、紛れもない事実を突きつけられる。もう後戻りすらできないところまで来てしまったそうだ。さあ、これからどうする。

「…純粋の科学の力を持っているスーパーコンピューターとAI(人工知能)ロボットは、1973年以来その多くが人類の滅亡を予言している。

人間の終焉は、静かに平和にそして幸福にやってくる。我々が望むように、権利を与えられ幸福を与えられながら、楽しくやってくるだろう。それが家畜になるということの意味である。我々はAIロボットの家畜としての生命を与えられ、幸福で安楽に暮していくだろう。いまの人間が死ぬわけではない。AIロボットが人間としての働きをするようになって、その家畜として餌をもらいながら生きる。人間の魂が抜けてしまったら、別に餌さえあれば幸福なのだ。そして趣味とスポーツ、娯楽と旅行というところだ。

…現代人の考え方は、AIロボットがすべて仕事をして、人間は遊んで暮らすことを夢の世界としてのユートピアだと思っている。…それが人間の死だとわからない。…人間ならそのような暮らしに耐えられるはずがない。…人類とはいろいろなものに挑戦して失敗し、愛のために苦悩し、使命のために死ぬ存在だと私は叫び続けている。

ヒューマニズムと人権が独り歩きをしてしまい、あまりのもこの世を覆ってしまった。このヒューマニズムを乗り越えることは、もう現行の人間にはできない。AIを見れば、その全ての答えはヒューマニズムを軽視している。

ヒューマニズムに生きている人間はすべて、AIの家畜になるだろう。これはまさに、宇宙的な逆説である。ある意味では、エネルギー保存の法則通りと言える。人間大事、人間第一と思っていると、却って家畜に堕ちるということになる。…人間というのは宇宙の法則に則って生きている存在なのである。…宇宙がすべての中心である。そして人間は、その「魂」を除いてはどうでもいい存在なのだ。それが昔の人が言った「神が中心」ということだろう。神に創られたのが人間であり、それを忘れたのが現代のヒューマニズムと言えよう。

…自分の魂の故郷に戻るのである。水平の現代を捨てるのだ」

  執行草舟著「脱人間論」 

エルサレムの聖地までが家畜の飼育場となる」

「終生、死と対話しつづけた作家マルローは…最後の美術論、「非時間の世界」の結語をこのようにむすんで世を去りました。『非時間の世界も、また、永遠ならず』と。人類文明は更新する、というのです」

  竹本忠雄著「ノストラダムスコード」

「魂」の抜けた現代人の「餌」のひとつである旅行を生業とする者として、耳が痛い。

最後にディストピア小説の名著といわれる本の会話の一節を紹介しておきたい。

「快適さなんて欲しくない。欲しいのは神です。詩です。本物の危険です。自由です。美徳です。そして罪悪です」

「要するに君は…不幸になる権利を要求しているわけだ」「ああ、それでけっこう…僕は不幸になる権利を要求しているんです。…もちろん、老いて醜くなり無力になる権利、梅毒や癌になる権利、食べ物がなくて飢える権利、シラミにたかられる権利、明日をも知れる絶えざる不安の中で生きる権利、腸チフスになる権利、あらゆる種類の筆舌に尽くしがたい苦痛にさいなまれる権利もだね」長い沈黙が流れた。「僕はそういうもの全部を要求します」「まあ、ご自由に」

  オルダス・ハクスリー著「すばらしい新世界

    <ビール天国>

 百塔の街とも東欧の真珠とも呼ばれるチェコの首都プラハ。それはある意味 巨大な空間の化け物みたいなラスベガスの対極にある街だ。あくまでも人間の縮尺にあった旧市街の街並は、長い歴史に培われた奥行きと陰影が訪れる人を引きつけてやまない。2度の大戦の被害を免れた旧市街は、丸ごと世界遺産に指定されている。そしてそれはプラハ城内の黄金の小路に残る かつてカレル・チャペックが住んでいた家や、彼が歩いた石畳が今でもそのまま残っていることを意味する。更にパリやブリュッセル同様に複数のアールヌーボー建築が街のアクセントになり、その美しさを際立たせている。そんな旧市街を歩きまわるのは、草臥れはするものの同時に楽しい時間でもある。

 そして歩き疲れて一休みするのにもってこいのカフェやビアホールが、市内あちこちにある。チェコと言えば、なにはともあれビールだ。何しろ1人当りのビール消費量が、昔から現在まで常に世界トップに君臨し続けている国なのだから。現在世界的に飲まれているピルスナータイプのビール発祥の地がチェコピルゼン、そしてチェコで最も出回っているのがピルスナー・ウルケルという銘柄のビールである。仕事柄世界各地のビールを色々飲んだけれども、これが最も美味しいと思う。ヨーロッパでは他にもアイルランドの黒ビール・ギネスや、英国の各種エール、ベルギーのトラピストビールにカクテルのように甘口のフルーティなビール、ドイツの白ビールにスモークビールetc…多種多様なビールが作られているけれども…チェコからビールを取り上げたらその魅力は半減してしまう。ピルスナー・ウルケル以外にも米国のバドワイザーのルーツと言われチェスケー・ブドュヨヴィツェに本社を構えるブドヴァル社、元修道院を転用したプラハ市内最古の有名なビアホール ウ・フレクで出している黒ビール等 ビール大国の名に恥じない。ビールこそ秀逸だが、残念なことに食文化は余り発達しなかった地域と思われる。ビアホールで出される食事の多くは昔ながらの伝統的なチェコ料理だが、正直日本人の口に合うとは言い難い。海のない内陸国チェコの伝統料理=肉料理となり、魚料理を置いていないところも少なくない為 肉が食べられない人は、ベジタリアンメニューしか食べるものがなかったりもする。例えばチーズフライとか。

 チェコで美味しい料理に拘るなら ビアホールではなくきちんとしたレストランに行くことをお勧めする。但し評判の良いレストランの多くはフレンチかイタリアンか地中海料理、もしくはそれらのミックスしたモダンな創作料理で、チェコ料理専門店は滅多にない。モルダウ川沿いでプラハ城を眺められたり、逆にプラハ城側の丘の上から旧市街を見下ろすような立地の店も複数存在する。つまり食事と同時に景色も楽しめるというおまけ付きだから大抵は満足できてしまう。

 チェコを訪れるなら、暖かい季節が良い。冬は雪が降るし とにかく寒い。イギリスより南に位置してはいるものの、内陸性気候なので零下になることは、全くをもって珍しいことではないのだ。むろんビールを楽しむには暖かい季節が相応しいことは今更言うまでもない。但し冷房設備が普通にある土地柄ではない為 盛夏に行くと暑くて辟易させられる場合もあるから真夏の前後、春~初夏、もしくは晩夏~初秋が良い。暑い時期でも寒い時期でもない、暖かい時節が良いのだ。

 ところで「プラハの春」というと、2通りの意味がある。1つは旧ソ連・ロシアがプラハ市内に戦車を侵入させた紛争。もう1つは毎年恒例5月の音楽祭のことをさす。プラハの5月はまだ肌寒いことが多いけれども、日もかなり長くなって観光しやすい時期といえる。日本のGWに似た連休がヨーロッパではイースター休暇で、移動祝日の為 毎年変わるが 概ね3~4月となる。日本のGW同様この時期は各国ヨーロッパ人が入り乱れ観光地はどこも大混雑、イースターの時期にヨーロッパを旅行すると本当にゲンナリさせられる。その後の5月中旬~下旬はその賑わいも一段落、6月のバカンスシーズン直前の比較的静かに旅行できる時期でもある。何よりGW後は日本往復の飛行機代がグッと値下がりするという見逃せない大きなメリットもあるのだ。

 

 

 

ワシントンDC「ソラリス」スタニスワフ・レム

・われわれは宇宙に飛び立つとき、どんなことに対しても覚悟ができている。孤独、戦闘、殉教、死ーなんでもござれ、というわけだ。…実際のところはそれだけじゃすまなくなって、結局、覚悟なんてポーズにすぎなかった、ということがわかる。…実際には、われわれの世界の向こう側には、何やら人間が受け入れられないもの、人間がそれから身を守らなければならないようなものがある。…宇宙の向こう側から真実が…突きつけられたとき、われわれはそれをどうしても受け入れられないんだ。

・…彼女は実際のところ、きみの脳の一部を映し出す鏡なんだよ。彼女が素晴らしいとしたら、それはきみの思い出が素晴らしいからだ。

・人間は他の文明と出会うために出かけて行ったくせに、自分自身のことも完全には知らないのだ。

・そんなわけで海は存在し、思考し、行動していたのだ。…どうやら私たちは歴史全体の転換点に立っているようだ…思考するこの巨人が存在している以上、もはや人間たちは知らん顔を決め込んでいるわけには決していくまい。

・…人の望みを脳から読み取っているわけだが、なにしろ脳神経の反応過程のうち意識的な部分は、わずか2パーセントだからね。…おれたち自身よりもよっぽどよく、おれたちのことを知っているんだ。

・まさにこのソラリスは、きみの言う神の赤ん坊のゆりかごなのかもしれないな…この海は…絶望する神の萌芽、発端なのかもしれない。そして、元気のいい子供らしさのほうが、まだ理性をはるかに凌駕しているのかもしれない。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ポーランド人作家レムの1961年に発表されたSFの代表作。その後少なくとも38の言語に翻訳され、旧ソ連とハリウッドで映像化された。

 惑星ソラリスは、ある意思をもった「海」に覆われていた。その「海」の謎を解明する為 心理学者が地球から派遣されたが、宇宙ステーションで目の当たりにしたのは変わり果てた研究者、そこから驚愕の体験が始まる。。。

 田坂広志氏の著作「死は存在しない」の中で、次のように紹介されている。

「20世紀最高のSF作家の1人とも評されるレムのこの小説、…そのテ―マは深遠であり、まさに「ゼロ・ポイント・フィ―ルド」と「我々の意識」の関係の見事なメタファー(隠喩)となっている。

 …ある未来において、人類は、宇宙の彼方に「ソラリス」という惑星を発見する。その惑星の上に広がる「海」は、不思議な力を持っており、惑星研究のために、そこに近づいた人間の「心の中」を感じ取り、その心の中にある人物のイメージを「現実化」して、目の前に出現させるのである」

 科学者と研究者の道を歩み原子力工学博士でもある氏は「『化学』というものが、現代における『最大の宗教』になっている」と語る。そして「現在、最も注目されているのは『そもそも「物質」そのものが、極めて原初的な次元で「意識」を持っているのではないか」という仮説なのだそうだ。科学者の立場と目線で目に見えない世界の事を極めてわかり易く唯物論に偏ることなく書かれた良書である。

 冒頭から頭の中によぎったものは、ルドルフ・シュタイナーの「アカシック年代記」あるいはユングが言うところの「集合的無意識」である。この「海」はシュタイナーがいうところの原初の地球、人類の姿を思い起こさせる。確かに個人的な感想に過ぎず、作者のレムが地球外生物とのコンタクトを意図してこの作品を執筆したことは、著者自らの解説を読む限り、疑いようはないようだ。しかしながら例えそうした意図をもってしても、最終的に出来上がった作品が 全く別のことを指し示す結果になった可能性はゼロではないだろう。レムの描いた「海」はまさにシュタイナーが主張する原初の地球そのもの、むろんシュタイナーの主張を証明できるものは何もない。熱帯のジャングルに迷い込んだかのように途方に暮れて、あげくのはてに途中で読むことを放棄したい気分にさせられようとも、百年前に執筆された何冊ものシュタイナーの著作が、今も日本はじめ世界各地の図書館に鎮座しているという事実は重い。「アカシック年代記」「ソラリス」「死は存在しない」これらをまとめて読むと興味は尽きないのである。

 ところで、SF作品に欠かせない宇宙人や未確認飛行物体UFOについて、立て板に水のごとくつまびらかにした本を紹介したい。もやもやと立ち込めた霧が一瞬で雲散霧消してしまうような一刀両断ぶりが実に爽快で、思わずにんまりしてしまう。

「我々が考えている宇宙人などはいません。つまり、地球上の人間に似ている宇宙人ということです。…我々が人間と呼んでいるものは、分解するとCHON(炭素・水素・酸素・窒素)と少数の無機物まで分解できます。ここでのCHONと少数の無機物というのは、地球上の構成物質のことです。特に、その「割合」によって形は限定されてくるのです。…そして、これは地球での話なのです。その話がアンドロメダ星雲や、他の星々へいけば、主要構成物質がその世界のものへと全く変わってしまうのです。ほとんどが放射性物質だったり、ヘリウムだったりもする。従って…合成されるものは全く違うものになるのです。…最初にいないと言った宇宙人とは、人間をグロテスクにしたような形の生き物のことです。そういう生き物は地球でしか生まれません。もし存在するなら地球で合成させたものです。

 空飛ぶ円盤もありません。もしあれば、それは地球で作っている物です。…よく目撃者がジェラルミンの輝きとか、銀色に光っていたとか言っていますが、アルミニウムやマンガンなどからジェラルミンを合成し、利用するということは、現存する人間によって地球でしかできないのです。…実は地球というのは、非常に特殊な物質で出来ているのです。

 …宇宙空間は抵抗がないのです。抵抗というのは、空気抵抗のことです。円盤の形というのは空気力学的に考えたときの、理想形になっているのです。空気力学上、最も速く遠く移動できる形が円盤の形なのです。従って空気が存在しない場所では、、円盤の形である必要はまったくありません。その空気も、地球に特有の存在なのです。…空気とは、宇宙空間の中で極めて特殊な環境条件なのです。その特殊な環境条件である空気の中を、少ない抵抗で飛行できるというためだけの理由で、わざわざ何万光年もの彼方から円盤の形にして飛んでくるはずがありません。空気がないところでは、円盤は全くの無用の長物なのです。世界中で空飛ぶ円盤の目撃者は多いようですが、それらは、何かの電気的な自然現象なのです。もし本当に円盤が飛んでいるのであれば、地球上のどこかの国が作って飛ばしているということです」

 「宇宙に遍満する生命エネルギーによって、地球上に存在する物質が集められて生命が出来たのです。その生命は、生命自身を継続的に発展させるために、宇宙に遍満する生命エネルギーそのものをキャッチしやすい形として作られたと言ってもいいでしょう。…我々は元々、遍満している宇宙エネルギーをキャッチするアンテナとして作られた物質体なのです。そして、後から作られた物質体である我々が、元々あるエネルギーを論じようとするところに、難しさがあるのです。我々は、生命エネルギーという宇宙エネルギーに対して従たる存在なのです」

  執行草舟著「生命の理念Ⅰ」

    <21世紀 宇宙の旅>

 アポロ宇宙船の時代のあの熱狂も今では遠い昔、人類の宇宙への挑戦は 19~20世紀の多くのSF作家達がかつて想像したほどには、前進していない。それどころか宇宙そのものに対する興味が減少しつつあるようにすら思える。一昔前は外に向かっていた人類の意識も 今ではすっかり内側志向というか 無関心にすら見える。地球上に逼迫した問題が山積みなのに地球外のことまでいちいちかまっていられない、とりあえず月面に降り立ったことだし もう十分じゃないか、いや人類が持つ宇宙エネルギーの感知能力が衰えた。。。未知なる世界に漠とした憧れやロマンがあったあの時代も今は昔、時代は移りゆく。

 いずれにしろ21世紀の今でも 宇宙飛行士以外の大半の人にとって宇宙旅行は遠い夢の話だ。そんな宇宙を少しだけ身近に感じられるスポットが、米国・ワシントンDCの航空宇宙博物館だ。いわゆるスミソニアンと呼ばれる学術協会が運営する一連の博物館・美術館群の1つである。スミソニアンの守備範囲は実に幅広く 動物園まであるので、老若男女誰でも何かしら興味のある展示が見つかることうけあい。中でも1番人気がこの航空宇宙博物館、興味ないな~という人も騙されたと思って覗いてみてほしい、本当に一見の価値が「あります」ので。

 市内の本館と、郊外の別館(ウドヴァー・ハジー・センター)がある。別館はダレス国際空港近郊なので乗り継ぎ時間が長く時間を持て余す場合や、夕刻~夜のフライト利用時に便利だ。(ワシントンDCには空港が全部で3つあるので注意)東京ドームの1.45倍という巨大スペースに これでもかというほどの圧倒的な数の展示が圧巻、「やっぱり米国だな」と感心することしきり。宇宙船コーナーの中央にはスペースシャトルディスカバリーが鎮座しているが、間近で見るとその巨大さに圧倒される。また日本人なら誰しも原爆を投下した爆撃機B29 エノラ・ゲイと、そのそばに多数展示された日本の戦闘機を見るにつけ 複雑な思いがよぎる。更に今はなき音速旅客ジェット機コンコルドや初期の民間旅客機などなど。

《 お役立ち情報 》日本語館内図あり、コインロッカー使用の場合25セント要(使用後戻るが両替機なし)宇宙食等いわゆる土産品販売の売店あり、飲食店はマクドナルドのみ(周囲は見事に何もない)空港から983番の路線バスが約20分おき・片道約10分、2ドル位(シニアは1ドル位)因みにスミソニアンはどこも入場無料(任意の寄付は募っている)

 一方 市内の本館は月面探索機アポロ11号や「月の石」から 日本のゼロ戦までコンパクトながら 少数精鋭の展示となっている。(注 : 現在 長期の修復に入っており 従来の展示全てを見学できる状態にない。HP等で進捗状況を確認することをお勧めします)

 ワシントンへDCへは日本からANAの直行便がダレス空港に就航、ハワイやロサンジェルス辺りと違い 入国時に長い行列に並ばなくて済むという、それは地味ながら抜き差しならない大変大きなメリットである。首都という土地柄ゆえ 国家公務員の割合が高い街には、テレビのニュースやハリウッド映画でもおなじみのホワイトハウスに、リンカーン記念堂、ケネディ家のお墓のあるリンカーン国立墓地等 連邦政府の直轄地らしく、観光地ではないけれども 観光客が訪れる事実上の観光スポットが複数存在する。かつて日本から寄贈された桜も今のところ健在だ。(現地ガイド氏の話によると、近年ポトマック川の水位が上がって危機に直面しているらしい)

 マニアックな人には、更にヒューストン宇宙センターやフロリダ州ケネディ宇宙センターもあるが、同じ東海岸のニューヨーク辺りと組み合わせた方が、万人向け。

 尚、日本国内なら岐阜の航空宇宙博物館へ。小松空港そばの航空プラザはかなり残念な展示内容なので、空港の屋上で自衛隊の戦闘機の離着陸訓練を見学した方がよっぽど楽しめます。

フランス 「ナポレオン自伝」アンドレ・マルロー編

・…運命には従わねば、とりわけ国家の要請には従わなければなりません。兵士は、軍旗よりほかのものに執着してはならないのです。

・私には勉強する以外に手はありません。…十時に就寝、四時には起きます。食事も一日に一度だけ、でもこの節食は健康にはとてもいいんです。

・上に立つ人間というのは、気の毒な人間である。すべて近くから見れば、民衆というはその好意を期待していくら配慮してやっても、そんな骨折りにはすこしも値しないものと、認めなければならない。めいめいが自分の利益を追い求め、おどろおどろしい力を得たがっている。…これらすべてが、大きな夢というものを破壊してしまっているのだ。

・…諸君らが必ず守ると誓うべき条件がある。それは諸君らが今後解放する人民たちを、尊重すること、恐ろしい略奪行為への衝動を抑えること、である。略奪を行う兵は容赦なく銃殺に処せられるであろう。

・銃剣なしの兵士を眼にするくらいなら、ズボンをはかぬ兵士をみるほうがましだ。

軍学とは、まずあらゆる可能性を十分に計算し、ついで正確に、ほとんど数学的に、偶然を考慮に入れることにある。偶然はしたがって、凡庸な精神の持主にとってはつねに謎としとどまるのである。

・兵力の劣る軍を率いての戦争術は、攻撃地点あるいは攻撃されている地点に、つねに敵よりも大きな戦力を投入することにある。しかしこの術は、書物によってもまた慣れによっても会得されるものではない。戦争の才能を急速につくりあげるのは、行動上の機転である。

・(命令)外科医、意気地なしで、伝染病に冒されたと推定される病人と接触した負傷者を救うのを拒んだこの者は、フランス市民たるの資格に値しない。女装のうえ、ろばに乗せアレクサンドリア市中引回しのこと。背中には、つぎのように書いた張り紙をつける「フランス市民に値せず、この者は死ぬことを恐れている」 しかるのち、投獄、そして最初の船でフランスに送還されるべし。

・…無秩序に身をゆだねたり軍記を乱すよりは、頭を砂に突っ込んで名誉とともに死んだほうがよかったのだ。

・何事が突発しようとも、軍人が服従を怠るようなことがけっしてあってはならぬ。戦争における才能とは、作戦を困難にしかねぬ障害を取り除くことにあるのであって、作戦そのものを失敗させることにはない。

・ひとつのことを中断しようと思うとき、私はその引出しを閉め、ほかのを開ける。二つはけっして混ざらない。それぞれが妨げとなることもないし、私を疲れさせることもない。眠りたくなれば、引出しはすべて閉める。そしてもう、私は眠ってる。

・戦力は、力学における運動量のように、速度によって増量される総体によって量られる。一つの戦闘の運命は、一瞬の結果であり、一つの思念の結果である。…将軍は頭である、一軍のすべてである。ガリアを征服したのはローマの軍隊ではなく、カエサルである。ローマの市門で共和国軍をふるえあがらせていたのはカルタゴの軍隊ではなく、ハンニバルである。インダス川畔まで赴いたのはマケドニアの軍隊ではなく、アレクサンドロスである。…プロイセンを七年間防衛したのはプロイセンの軍隊ではなく、フリードリヒ大王である。…死は何ものでもない。しかし敗者として、名誉もなく生きること、それは毎日を死んだままに過ごすことである。軍人、私はそれ以外の何者でもない、…それは私の人生であり、習慣である。

・強固でなければならない。強固な心をもっていなければならない。さもなければ、戦争にも政治にもかかわってはいけない。

・祖国の利益に貢献しうるすべての人間が、私の幸福に本質的に結びつている。

・…力の結集、敏活さ、そして名誉とともに死すという揺るがぬ決意。あらゆる作戦でつねに私に好運をもたらしてくれたのは、戦術におけるこれら三つの大きな原理である。死は何ものでもない。しかし敗れて名誉もなしに生きること、それは毎日を死ぬことである。

・祖国への愛は文明人の第一の美徳である。

・…時間はあるかぎりはつかわなければ。永遠につづくものでもないのだから。

・…仕事こそ私の本領とするところだ。私は仕事をするように生まれついているのだ。私は自分の足の限界は知っていた、眼の限界も知っていた。しかし仕事となるとその限界はまるで知らなかった。

・電気、化学的電気、磁気とは何か?自然の大いなる秘密の、そこが難しいところだ。化学的電気は静かに働く。…人間はこれらの流体と大気の生成物である、脳がこれらの流体を汲み上げ、生命を与える、魂はこれらの流体から成っている、死後は、それらの流体は天上の電気の中へと戻ってゆく、そこから、それらの流体は他の多くの脳によって汲み上げられるのだ、と。

・後世の人々が私の真価を認めてくれるだろう。真実は顕れるだろう、そして私のなした善は私の過ちとともに判定されるだろう。もし私が万事に成功したのだったら、私はあらゆる時代を通じてのもっとも偉大な人間という名声とともに死ぬだろう。成功したのでないとしても、私は並はずれた人間と思われることだろう。私は50もの会戦を経験し、そのほとんどすべてに勝利した。

・私はワーテルローで死ぬべきであった。あるいはおそらくそれ以前に、と思う。モスクワで死んだなら、私の名声はかつて知られたもっとも偉大な征服者のそれとなったろう。しかし運命の女神の微笑みは終っていた。不運、それはある人間が死をもとめて、それに出会えないということなのだ。私の周りではみんなつぎつぎと斃れていった。だが私は砲弾に出会えることがなかった。

・…彼が攻撃行動をとるのをみた敵は、彼のほうが強力とみて、撤退した。戦争では、すべてはこのようになる。数よりも精神力が勝利を決定する。

・戦争とは奇妙な術だ。…私は60もの戦いを交えた、それがどうだ、私は最初の戦いで知った以外のものは何ひとつ学ばなかった!将軍の不可欠な資質は、確固不動の心である、そしてそれは、神の贈物なのだ。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「自伝」というタイトルながら、いわゆる一般的な自伝とは違う。原題は「ナポレオン自身によるナポレオンの生涯」ナポレオンが残した膨大な数の布告、訓示、演説、報告、軍事広報、そして妻であるジョセフィーヌ宛ての手紙や覚書等を作家アンドレ・マルローが年代順に抜粋、とりまとめ 一冊にしたものである。それは17歳という若さで始まり、流刑地セント・ヘレナ島で51才で亡くなるまでの34年間の記録である。

 大いなる違和感はその稀に見る早熟さである。これはナポレオンに限ったことではなく、日本の特攻隊員の残した遺書等を読んでも同様の印象を受ける。現代人と比較して一様に大人びた文面、その精神的な成熟ぶりに驚きを禁じえない。そしてそれは裏返せば現代人がいつまでたっても本当の意味で大人に成り切れていないという証左なのだろう。(幼稚で傍若無人な大人が増えている、自分も残念ながらその一員なのだが…)

 読み進むにつれ 軍人らしい余計な装飾を省いた簡潔な言葉の中にナポレオンの人となりが凝縮、浮き彫りになってゆく。非凡なる軍人、そして母国に忠誠を誓う愛国心溢れるフランス人だったことは、この自伝が証明している。更に妻ジョセフィーヌ宛ての手紙には、軍人という公の場から離れた一人の男性の姿も見え隠れする。

 2019年にナポレオン生誕250年、そして2021年に没後200年を迎えた。生前ナポレオン自らが語ったように、彼の残した業績は後世の人々により その真価を下されている。実際のところ その功罪については様々な意見が交錯している。例え幾つかの過ちを犯していたところで、ナポレオンが未来永劫フランスを代表する英雄であることは間違いないだろう。ナポレオンがもしもこの時代に生きていたとして、目に見えない未知のウイルスによって母国フランスのみならず世界中が右往左往しているこの状況に、彼なら果たしてどう対処するであろう、とふと思う。

 「指揮官がこのぎりぎりの線において、それを好機と見るか、危機と見るかによって勝敗が分かれる。…いかなる危機も必ず好機の裏返しとなる。またいかなる好機もその裏返しとしての危機の状態を含んでいる。物事は、必ず作用と反作用の状態に始まり、ぎりぎりのところで好機と危機の錯綜状態を呈するから、ここに人間の気力の重要性が出てくるのだ」

  執行草舟著「生くる」

「人間の迫力も、生命エネルギーの強さから出るものです。ナポレオンや織田信長などの歴史上の英雄の伝記を読むと、そういうことがわかります。戦いの時に自先陣を切って敵に突っ込んでいっても、矢が当たったり斬られることもありません。これも生命エネルギーが強いために当たらないのです」

  執行草舟著「生命の理念Ⅰ」

     <ナポレオンの遺物>

 ルーブルヴェルサイユ宮殿に展示されている巨大な戴冠式の絵、戦勝記念のあまりにも有名なパリの凱旋門、カルーぜルの凱旋門しかり、亡骸が安置されるアンバリッド、ナポレオンパイと呼ばれるイチゴのミルフィーユ、高級ブランデーの代名詞コニャックの等級のひとつにもなぜかナポレオン、ナポレオンの軍服モチーフのナポレオンジャケット、ナポレオンという名のホテルに、ボナパルト通りetc… スペインを訪れてコロンブス(彼はスペイン人でないにも拘わらず)抜きに滞在するのが難しいのと同じように、フランスを訪れてナポレオン抜きに過ごすのもまた容易ではない。それほどまでにナポレオンの残影は今もフランスのあちこちに点在する。出身地コルシカ島にいたっては島唯一と言っても過言ではない観光スポットが、ナポレオンの生家だろう。

 しかしこのような状況は世界各地で同様に見られることだ。英国ストラットフォード・アポン・エイボンに残るシェークスピアの生家しかり、オーストリアザルツブルグモーツァルトの生家しかり、だ。たった一人の英雄、芸術家、政治家等 著名人ゆかりの地というただそれだけで、その地元が授かる恩恵は計り知れない。同時に、一人の人間が成し遂げた偉業は こうして後世の時代へと語りつがれてゆくのだろう。

 フランスでナポレオンと並ぶ英雄としてもう一人ジャンヌ・ダルクがあげられる。パリ市内にもフランス有数の観光地モン・サン・ミッシェルにも彼女の像が建立されているし、ゆかりの地ルーアンには彼女の立派な聖堂も建造されている。

 いずれにしろ こうした歴史上の著名な人物や建造物を巡る旅は、ヨーロッパの真骨頂とも言うべきものだ。何しろ枚挙にいとまがないし 奥が深い、それだからこそ ヨーロッパは何度行っても飽きるということがない。歴史の浅い米国と決定的に異なる点は そこだ。実際ヨーロッパの人々は米国について「歴史がない」の一言で切り捨てることも少なくない。たかがヨーロッパ、されどヨーロッパなのだ。