至福の読書・魅惑の世界旅行

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米国「心臓を貫かれて」 村上春樹訳

・…僕らはみんな、僕らが生まれるずっと前に起こった何か、知ることを許されなかったその何かに対しての代償を支払ってきたのだ。結局のところおそらくそれは、誰一人その核心に手を触れることのできない謎として残ることだろう。

・「おい坊主、死んだ人を踏みつけにしてはならん」と老人は指を突き出すようにして僕に言った。「断じてならん。いいか、おまえは死者の残したものの上に生きているんだ。」

・おまえはうちの一家が救済されるための最後の望みなんだよ。

・人の敵は、その家族の内にあるであろう。「マタイ伝」

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 殺人犯の家族自らが語る壮絶な鎮魂の書ともいうべきノンフィクション。目には見えずとも明らかに存在するであろう”何ものか”に翻弄され彷徨う一家、3世代にわたる家系の辿った道筋に思わず息をのみ、悲痛に満ちた子供たちの会話に胸が痛む。

「これじゃまるで地獄だ。家庭そのもが地獄なんだ」

「俺達の家族に起こったことで、口にするのが辛くないことがあるか」

 過酷な家庭環境の中で、子供たちには逃げ場がない。しかし、生まれた家庭は宿命として受け入れざるを得ないのが、厳しい現実であるなら、”POINT OF NO RETURN”人生において引き返せないある一線があるなら、ギリギリのところで踏みとどまることが いかに重要かつ困難であるかということを突きつけられる。

 家系の因縁とか呪いなどという安直なことばでは言い尽くせない、毛細血管のように入り組んだ負の連鎖を執筆したのは、唯一平穏な人生を歩んでいるであろう印象の犯人の実弟である。4人の兄弟のうち二人は、背負う十字架が重すぎて人生の荒波に呑まれ溺れて逝った。その内の一人が連続殺人犯の兄である。自ら極刑を望んだ結果、本のタイトル通り銃殺刑となり、当時の米国社会にセンセーショナルな話題を提供した。享年36歳、誰もが認める聡明で絵の才能に秀でた人物だった。死刑執行により全てに終止符が打たれたかに思えたのも束の間、その後 驚愕の秘密が明かされることにより、残された家族が災いの一因を知る場面は、余りに切ない。血筋とか血脈というものの重さを思い知る。

「…今日われわれが対峙すべき『不都合な真実』は、ときに残酷で知りたくもない現実であるかもしれない。遺伝による支配とは、どこか不愉快で危険な香りのする主張ではないか。…遺伝的なサイコパス傾向が大きければ大きいほど、環境からの影響はあまり意味をなさなくなる」

  原田隆之著「サイコパスの真実」

 時代を遡れば誰にも無数の先祖がおり、それぞれの人生があった。中には救済を必要とする魂も少なからず存在するであろう。例え一人でも欠けたなら 今自分はこの世に存在していなかったかもしれず、その奇跡の末端に今我々は生きている(ざっと200年前 江戸時代後期辺りまで遡れば、直系だけで見積もって数百人、親戚も含めればその何倍もの膨大な数の先祖がいるらしい)

「人間は、やっぱり、二代も三代も前からのトータルで考えなければならないし、二代も三代もの長い時間をかけてつくられてくるものなんです」

  色川武大著「うらおもて人生録」

 犯人の母親はじめ100人に及ぶインタビューを元にジャーナリストが執筆した「死刑執行人の歌」が先に出版され、全米ベストセラーとなり ピュリッツァー賞を受賞、若き日のトミー・リー・ジョーンズ主演で映像化もされている。

 家系の歴史を辿った本は他にも複数執筆され いずれも興味深い内容ではあるが、とにかく“重量感”という点においてはこの「心臓を貫かれて」が群を抜いているし、村上氏の脂がのった感のある翻訳もすこぶるよい。

 佐藤愛子著「血脈」も同様に家系の歴史を遡った本。父は作家の佐藤紅録、兄は詩人のサトウハチローという紛れもない文筆家との血筋だが、破天荒で非凡な点も血筋なのだろうか。

 三浦義一の孫、三浦柳著「残心抄」も大変な力作で、“黒幕”とか”右翼”と呼ばれた人物像がまんまと覆される。身内のみが知りうるエピソードや本人の残した歌がそれを証明している。

 閑話休題、江戸時代の人相占いの大家・水野南北の伝記「だまってすわれば」で解釈される「血脈」の意を紹介したい。

「天の太陽の“気”を父の血脈として、地の太陰の水は潮となり、潮は陰中に陽火を受けて母の血となる。ゆえに、これらを合して父母の血脈となる。…血は陰で、脈は陽。…人間が生まれる時は太陽の気により(満ちてくる潮とともに)誕生し、その逆に、死んでいく時は太陰の気(ひき潮)につれ去られて息をひきとっていく。」

人間の生死が、陰陽血脈の道理から離れることはなく、従って懼るべきは天、敬うべきは父母、慎むべきは自分自身であるとの事。

     <アメリカという国>

 本の中ではユタ州モルモン教が、重要なポイントとして登場する。翻訳者である村上春樹氏はあとがきでユタについて次のように述べている。

「…うまく言えないのだけれど、なんだか不思議な場所だ。そこにはまだ、開拓時代から続いた伝説と呪縛が生きている。少なくとも僕にはそう感じられた。ユタはほかのアメリカの土地とは、いろんな意味において、ずいぶん違っているように思える。そこでは、そこにしかない力学が作用している。」

 また旅行記では

「ユタは風景が美しく、風土も興味深いところだったけれど…酒が飲めなくて弱った」

と短く感想を語っている(ユタ州モルモン教の聖地で、モルモン教イスラム教同様にアルコール禁止)更にチャップリンも自伝で次のように振り返っている。

「…呆れるほどだだっぴろい市、それが太陽の熱気の中で、蜃気楼のようにゆらめいているのだった。果てしない平原を横断してやっとたどり着いた人間にして、はじめて思いつくような広い大通りが、何本も走っていた。町自体がちょうどモルモン教徒のように超然として厳しかった」

  「チャップリン自伝」

ソルトレーク・シティの町は、ほかのアメリカの町と同じく、巨大な基盤の目のようにできている。ヴィクトル・ユーゴ―が『レ・ミゼラブル』のなかで書いた〈陰鬱なほどに悲しい直角〉に〈冷たく長い直線〉が交わっているのである。…このアメリカという奇妙な国では、人間性という自然なものよりも制度とか都市計画といった人工的な物が大切にされ、町も家も〈四角四面〉につくられるのだ」

  ヴェルヌ著「八十日間世界一周

 人間の縮尺を無視した空間のお化けのようなラスベガスも、大自然がつくりあげた壮大なグランドキャニオンも、そしてディズニーランドの夢の世界も全てアメリカ、一口にアメリカと言っても、気候風土はもちろんのこと、あらゆる点において大きく異なる。そして肌で感じる空気は、実際に足を運んでみないことにはわからない。米国のように西と東で3時間もの時差があるような広い国土を持つ国は、2回位に分けて訪れることができれば理想的だ。

 東海岸3都市(ボストン・ニューヨーク・ワシントン)美術館巡りを満喫できるコース。米国が想像した以上に膨大な数の印象派絵画を所有しているという事実に驚かされる。

 西海岸ならラスベガスを起点にグランドキャニオンやモニュメントバレー、アンテロープキャニオン等を巡るゴールデンサークルがおすすめ。人工の街・不夜城のラスベガスと自然美の両極を満喫できるコース。

 あるいはニューヨーク連泊。美術館・遊覧船・展望台・グルメにショッピング、そして夜のミュージカル…一ヶ所に腰を据えながら、それでいて多岐にわたる楽しみ方が出来るコース。尚 現地で後悔しないためには、例え少々割高でもミッドタウンの好立地のホテルを選択することを強くオススメします、本当に。