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チロル地方~ドロミテ街道「五千年前の男」K.シュピンドラー

 「イギリスの考古学者ハワード・カーターがツタンカーメンの墓の中で、石棺の蓋を開けて、あのファラオの黄金のマスクを見たときのような気分ですね」

本の著者でもある考古学者は、当時のインタビューで奇をてらって大げさな受け答えをしてしまったと振り返る。しかしながら インタビューで話題の対象であった氷漬け人間のミイラは、エジプトのピラミッドもまだない縄文時代の人間のミイラだったという事が判明、世間の大きな話題をさらう。

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 1991年ドイツ人観光客が標高3,210メートルのアルプス山中で氷漬けの遺体を発見、当初は誰もが遭難した登山家と考えた。しかし どうも様子が違うということで 司法解剖前に考古学者に見せたところ、途方もなく古い時代 およそ5300年前に そのまま氷河で氷漬けになった人間ということが判明した。身につけていた服や所持品も見つかり、当時をうかがい知る貴重な手がかりとして、当時の考古学界を騒然とさせた。

 虫歯は1本もないが 摩耗が激しく、腰痛持ちでつぼ治療らしき跡が見られ 何かしらの医療技術があったことを示唆。持っていた斧の銅の純度は99,7%。靴の靴底は丈夫な熊の毛皮製、帽子も熊の毛皮の顎紐付き。上着は山羊・カモシカ・鹿の色違いの縞模様に接いで作られた既製品とおぼしきもの。外套は樹皮繊維で編んだ蓑のような形状etc… いわゆる青銅器時代の認識を覆すものであった。

チロル地方のエッツタール・エッツ谷で発見されたのでエッツィ、もしくはアイスマンという愛称で呼ばれ、その後の調査で発見場所が国境を僅かに越えイタリアであったことから、現在は北イタリア・ボルツァーノの博物館に保管・展示されている。

 2012に解凍・解剖が行われサンプルを採取、翌年 子孫がいるかどうかのDNA調査が行われた結果、19名のオーストリア人が該当したそうである。(NHKスペシャルで放送されたと聞いている)

 考古学の分野では、新たな発見がある度に、それまでの認識が大きく覆えってしまうことも決して少なくない。

「…現代の考古学では化石や骨などの物質的な証拠が残っているものだけで、太古の生物の世界を空想で作り上げようとするところに問題があるのです。現代の歴史学は土器や建物の遺跡などの物質的な証拠が残っているものだけで、古代社会を考えようとしているのです。これらはすべて、物質主義的な考え方による誤った歴史の捉え方なのです。…化石や骨として発見されていない、無数の絶滅生物がいるに違いないのです。また人間の文明や文化についても、同様のことが言えます。…現代物質文明の中生きる我々は、物質的な裏付けのないことを信じれれない人間になっているのです」 

  執行草舟著「生命の理念Ⅰ」

上記のようなものの捉え方について 今ひとつピンとこない人に是非読んでいただきたいのが、J.P.ホーガンSF小説「星を継ぐもの」だ。読み物としても面白いと同時に、先入観や思い込みによる弊害について深く深く考えさせられる。上記で紹介した話しの内容が俄然 説得力をもって訴えかけてくるに違いない。

   <チロル地方はどこにある?>

 チロリアンハットとかチロリアンテープ、あるいはチロルチョコ、誰もが耳にしたことはあるだろう。しかしこの "チロル“ が一体どこにあるのか、正確に答えられる日本人はそう多くないに違いない。アニメ "アルプスの少女ハイジ“ からスイスアルプスのどこかと漠然としたイメージができあがっているかもしれないし、場合によっては "チロル“ が地名ということ自体を知らない人だっているかもしれない。

 正解はオーストリア、チロルはオーストリア西部の州の名前である。特別な文化風習の残る地域、またアルペンスキーの発祥という説もあるヨーロッパ有数のスキーリゾート地域だ。むろん夏場はハイキングが楽しめる。ヨーロッパアルプスというと、確かにスイス抜きには語れないのは事実だが、オーストリアもひけをとらない。最高峰はグロース・グロックナー、大変見栄えのする男前の山だ。この山を臨む展望台までの道は、それはもう素晴らしいの一言に尽きる。(もちろん天気がよければの話だが)展望台からは氷河末端へのハイキングも可能だが、近年は氷河の後退が著しく末端に辿りつくことは、どの氷河でも年々困難になりつつある。

 そしてチロル地方の中心インスブルグから峠を越えて南下したところが、前述の北イタリア・ボルツァーノだ。ここも第一次世界大戦前までは、南チロルであった。オーストリアが負けたため、サンジェルマン条約でイタリアに割譲されたのである。1922年ムッソリーニ政権が誕生するとイタリア化政策が推し進められ、ドイツ語系住民(オーストリア人)の反発を招き、いわゆる南チロル問題が勃発、紆余曲折を経て現在ボルツァーノ県はドイツ語も公用語として認められている。ドイツ語名はボーツェン、街並は今もオーストリアの影響が残る。 ドロミテ街道の起点となる街だ。実はイタリアのドロミテ街道も素晴らしい。とにかくヨーロッパアルプスはスイスが全てではないということを知ってもらいたい。