・地獄には地獄の価値あり。物を掘り下げて追及していく。この本能のかげに何かがあるとすれば、あとで厳密にそれを追求していくのが有益だろう。
・…「自然の妙」が、なにか不感性の糸で織った袋をからだにかぶせ、それがなければ接触によって害をこうむる凶事を、それで守っているという仕組みのようだ。…おそらくそこには、われわれ人間が感知する以上の、なにか深い原因があるはずだからである。
・きみが信じられないことを信ずるのだ。あるアメリカ人が、信念というものを『人間が真実でないと知っているものをわれわれに信じさせる力』だといった。…われわれはすべからくとらわれない心を持って、そしてどんな小さな事実でも、それをつちかい育てて、大きな真理の芽に伸ばして行け。小さな石ころも汽車を止める。
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『吸血鬼ドラキュラ』を世界的に認知させるにいたった生みの親とも言うべき怪奇小説。ニンニクや十字架に弱いとか、昼間は眠って 夜間に人間の生き血を求めて活動するなどという誰もが認識しているドラキュラ像が、あますことなくえがかれている。話の舞台はルーマニア中央部の山に囲まれたトランシルヴァニア地方からロンドンへ。数名の登場人物の日記、あるいは手紙や電報だけで構成された500ページを超す本書は 途中間延びすることもなく一気に読ませる、怪奇小説の古典とも言うべき一冊だ。全体になんとも言えない妖気が漂う小説だが、これは翻訳者(平井呈一氏)の力量によるところが大きいと思われる。
訳者の文末の解説によると、吸血鬼信仰というのはかなり古い時代にまで遡り、キリスト教が確立される以前のギリシャ時代の記録にそれとおぼしきものが残っているとのこと。かつては神に背いて破門された者や自殺者などが、死後 吸血鬼になると信じられていたそうである。死者が人間の生き血を吸うことによって未来永劫 死者として(?)生きながらえるというのは、古来から人間が抱いていた不老不死の欲求に基づく信仰と考えられなくもない。氏は次のように述べている。
「人間本来の欲求である永世思想は、これが中世の科学と結びつくと、錬金術師たちの不老不死の探求となり、これが、神ならぬ悪魔と結びつくと、魔女の呪術などを通じて、死~回生~永世~血~力…、という観念から、そこに吸血鬼という信仰が派生的に生まれたものと考えられます」
作者ブラム・ストーカーはアイルランド人・ダブリンの出身で、名門トリニティ・カレッジ在学中から地元新聞に劇評執筆をよせていた。1897年この本が出版された当時 大きな話題をさらい、英国社会を震撼させたそうだ。エジソンが映画を発明したのが1895年、当時はまだ今のような興業的な映画もなく、「読書」がまだまだ幅をきかせていた時代だ。その後 映画産業の発展によって、こうしたホラー・スリラーものは特に「読む」から「観る」へと、お株を奪われたことは言うまでもない。それにしても こうした話しの舞台として今も昔も英国より相応しい場所は見つからないだろう。
<ヨーロッパの僻地はどこ?>
ヨーロッパの僻地と言うと、西はアイルランド、東はルーマニアを思い浮かべる。なぜかと問われても返答に困る。ただ漠然とした印象なのだ。各国どこでも都市部から1~2時間も車で走れば農村地帯の田舎や山間部が現れるものだが、必ずしも田舎=僻地という訳ではない。(そういう意味で日本は稀な国かもしれない。新幹線乗って民家が途切れることなく続くので東京は大きいなと思っている内に名古屋に着いてしまったという…日本を訪れた外国人の笑い話しがある)
恐らくそれは例え田舎であろうと都市部と変わらない現代的生活が垣間見れるせいかもしれない。一方、アイルランドとルーマニアは地理的な点はもちろんのこと、その度合いがが低いというか、どこかっぽ昔っぽいノスタルジックな雰囲気に満ちている。ルーマニアの田舎で農民が未だに馬車に乗って街道を普通に移動しているの目撃したのは2014年のことだった。
小説のなかでドラキュ伯爵の城があるトランシルヴァニア地方は「森の彼方の国」の意、実際ルーマニア中央に連なるカルパチア山脈に三方を囲まれた森の多い地域である。目立った観光資源のないルーマニアにおいて唯一と言ってもよい認知度の高い観光スポットがこのドラキュラ伯爵のモデルとなった人物ゆかりの館と郊外にある古城だ。辺鄙な場所にあって本来なら観光客も余り訪れないような寒村でも観光バスが立ち寄り土産屋が繁盛する。それはその背景に名作ドン・キホーテの存在があるスペイン ラ・マンチャ地方と酷似している。
「ヨーロッパのうちでも、文明にもっとも遠い、世間に知られていない地方である。…今年の夏、私たちは打ちそろってトランシルヴァニアに旅行をし、われわれにとっては今もむかしも生々しい恐怖の記憶の残っている、あのなつかしい土地を一回りしてきた。…あの城だけは、ありし日のままに、荒涼とした山の上に、巍然としてそびえ立っていた」
色々行き尽くしてもう行くところが見つからないとか、人と同じはイヤとか、大勢の観光客を避けたいとかいう人にはオススメなのがルーマニア。ツアーに参加の場合 ルーマニア単独のものは恐らく見つからないであろう、ヨーグルトで有名な隣国ブルガリアと一緒に訪れるという企画が殆どだ。地球の歩き方などガイドブックの類も大抵 2ヶ国一緒になっている。正直 集客も多いとは言い難く、催行が確実なのはブルガリアのバラ祭りの時期だが、この祭り、実はかなりローカルな祭りで事前のイメージと現実のギャップが大きい上、ほぼ日本人にだけ有名な為 ハワイかと見まがうほど一時的に日本人で溢れかえる。長蛇の列になるWCにもうんざりで(特に女性は酷い)正直この時期には行きたくないかな。。。
余談だが、首都ブカレストを移動中「ジプシー御殿」なる建物を見た。東洋と西洋の入り交じったような独特な装飾が施された建物であった。ガイド氏が言うにはルーマニアにはジプシーの国会議員も存在するとのこと。実はパリ市内でよく見かけるジプシー達の多くはルーマニア出身と言われている。
<ジプシー関する記述は『セビリア「カルメン」メリメ』を参照のこと>